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【小説】おにいちゃんのおむらいす

血液が白くなる病気。それが私が最初に抱いた印象だった。血液が赤いからひとは生きていける。それが白くなったら、貧血を起こしてめまいがして倒れてしまう。だから、点滴をつけて血液を赤くしなきゃいけないんだ。ママの血液は白くなってる。だから、肌も白くなってきている。血液を赤くしなきゃ。

だから、私はママに赤いものを食べるように言った。野菜ジュースを毎朝飲んで、夜にはボルシチを振る舞った。それくらいのことしかできない私は、まだ背が低い。ママの背に届くまでに、ママはいなくなっちゃうかもしれないなんて、薄々考えていた。

家の隣に住んでいる、金色の髪をした、肌が白い女の子がいる。テレビでいつも話している、ミサイルが落ちてくるところから来たらしい。そのところでは、ボルシチという料理を食べることが多いらしい。赤い色をしたスープで、とってもあったかい。これは元気が出るからと、私達の家族に毎晩作ってくれている。彼女の名前は、難しくて忘れてしまった。ただ、私は彼女を「ボルシチちゃん」と呼んでいて、彼女は私を「ジュースちゃん」と呼んでいる。彼女の日本語の能力では、「野菜」という単語と「麻里奈」という私の名前をいつも忘れてしまうせいで、こんなへんてこな名前になっている。そして、私は彼女の名前をもう忘れてしまった。私もそんな遠くの国のことばはまだわからないから、名前なんて聞いた5秒後に忘れてしまったのだ。だから私は「ボルシチちゃん」と呼んでいる。私の家は、野菜ジュースを手作りしているから、ボルシチの代わりにふるまっている。ママが病気になってから、すっかりこんな生活が続いている。

*

私はお母さんが寝込んでいる真っ白な病棟で、点滴がひたすら落ちるのを見ていた。それは雨のしずくが落ちるみたいで、いつでも見とれてしまっていた。静かにしていると、そのしずくの音まで聞こえてくるくらいだ。なんでだろう、看護師さんが走り回っている足音も、近くにあるICUから聞こえる機械音も、上の階にある小児病棟でこどもが騒いでいる声も、どれも、とても遠くから聞こえてくる。私の前にはお母さんだけがいる。私達は一切言葉を交わさない。それでも、とにかくここは静かだった。遠くから生命の声がする。遠くからアンドロイドの声がする。それでも、この生命が消えそうな部屋からは、いつも静けさが支配していた。

私の記憶には、とにかく白いものばかりが残っている。病室のシーツ、痩せてしまったお母さんの手、そして、真っ白な歯をときどき見せて無邪気に笑うお母さんの顔。この病院の下にある売店で売っているお弁当は、やけにごはんが多くて、とっても白い。そして、お母さんがいつも気を利かせてお見舞いのたびに用意してくれる、いちごが入ったサンドイッチも、やけに白い。そして、私の記憶はだんだん時間を経ると白くなっていく。遠くの世界に記憶が運ばれてしまう。そして、その記憶はどんどんまぶしく白くなっていく。

雨が降って、水の音が窓の向こうから聞こえてくる。それを綺麗だと思っていると、いつの間にか私の隣には誰かがいた。麻里奈だった。彼女はこんなに幼いのに、いつもこの部屋に来てくれる。そうすると、なんでだろう、吸い込まれなくて済むのだった。この真っ白い世界には、存在感がまったくないから、この綺麗な世界にすこし人間という不純物がないと、すっかり無機物の世界に吸い込まれてしまいそうなのだ。私達は言葉を交わさない。それでも、私達はいつもそばにいた。

*

私は日本語がまだわからない。こんな遠い世界の言葉を勉強する機会は祖国にはなかった。祖国には帰れる状況ではない。こんなことになるのなら、英語とほかの言語をちゃんと勉強しておけばよかったといまさらながら思う。こんなことがあるなんて、とあれだけ言っていた近所のおばさんだって、いつの間にか空襲系右方が出ても怯えなくなった。喫茶店でピスタチオのケーキを食べているときに、空襲警報が鳴ったけれど、誰も近くにあるシェルターに逃げなくなった。そんなころだ。「こんなものが新しい日常になってはいけない」と父親が行って、私とセルゲイと母が祖国を後にしたのは。父は、軍隊に行くからとこの国に残ることになった。私が日本に来たのは、セルゲイがすこし日本語を話せるから、それだけの理由だった。英語もできないし、ほかの国の言語もできないから、セルゲイだけを頼りに私達は日本に来た。

セルゲイは、私の3歳上の兄だ。彼は暇さえあればいつもアニメを見ていた。アニメといっても、18禁の気持ち悪いような画面ばかりのもので、それをもとにセルゲイの日本語の土台はできていた。なぜかこの国では、正教会の影響があるのに、エロティシズムが流行り、禁忌とされるようなことにも遠慮なく話されるような雰囲気になってきていた。そんな国である日本は、正直に言うと私は軽蔑していた。女性という性が売り物になって、どんな性的なことでもお金を出せばやってもらえるのだと、この国のメディアで聞いたことがある。Telegramの情報だから、信じてはいけないとは思うものの、私はアニメというものとエロティシズムの境目がわからずにいたし、それを一緒くたにして怖がっていた。

*

僕が麻里奈さんのお姉さん、つまり友里恵さんにはじめて会ったのは、いまにも倒れそうな白い肌をした女性と彼女が一緒にいたときのことだった。彼女は、僕の名前を憶えてはくれなかった。顔と名前を覚えるのは苦手らしい。僕は彼女の名前をすぐに覚えることができた。それは偶然にも。僕がいつも祖国でやっていたエロゲの主人公の名前だったからだ。

まあ、そんな不純な動機は置いておいて、僕は友里恵さんを綺麗だと思った。外見の問題ではない。あんなに華奢な手なのに、倒れそうな女性を抱えて一緒に歩いていた。あんなに折れそうな手をしているのに、ちっとも動かずに、きちっと彼女を支えている。

その女性が白血病で、余命宣告されているのに一時退院が許されていたのだと知ったのは、そのときだった。友里恵さんの妹の麻里奈さんに、僕がボルシチを振る舞うと、僕たちはすぐに仲良くなれた。「ママの血液が白くなっちゃうから、赤いのを飲まないとだめなの」麻里奈さんは、そう笑っていた。その彼女の手も、細いのに、とても強そうに見えた。

***

お母さんの得意料理はオムライスだった。最近食べていないけれど、私は作り方を知らないし、この家ではだれも作り方なんて知らない。この家の近くでよく遊ぶのはセルゲイとアンナだけだし、彼らはオムライスなんてとても知らないだろう。だから、頼みようがなかった。私は卵の割り方と、だしがどこにあるかと、ごはんの炊き方を知ってはいても、オムライスを作ることは何でだろうか、まったく想像ができなかった。

お母さんは、突然容体が急変して、病院にみんなで駆け付けた1時間後に死んだ。死んだとか、息を引き取ったとか、逝去したとか、pass awayしたとか、神様のもとに帰天したとか、そんな言葉はどれも似合わない気がしている。白い病室の一部になった、という思いしかなかった。無機物がひとつ増えた病院は、やけに騒がしくて、やけに賑やかだった。悲しいんだろうなあと思っている、自分をどこか遠くから見ているだけの冷静さはあっても、映画の中ではなく実際のこととして理解ができなかった。なんでお母さんが死ななきゃいけなかったんだって、そんなことを誰に言っても、あるいは誰かを恨んでも仕方がないことはわかっている。せめて、事故だったら誰かのせいにできたかもしれないのに。せめて、殺人事件だったら相手を恨むことだってできたかもしれないのに。なんで、誰も恨めないことがわかっている病気というはずれくじを、母は引かなければいけなかったんだろう。もっと悪いひとなんていくらでもいるじゃん。アンナとセルゲイの祖国を追う原因になった、戦争をつくったひととか、あるいは、誰だろう。あるいは、私なのだろうか。私が死ねばよかったのだろうか? こうやってひとを責めることばかり覚えてしまった私は、結局なんなのだろう。誰かが死ななきゃいけないのなら、もっとはずれくじを引くべきひとはいるのかもしれない。それが、私なのか、あの独裁者なのか、あるいはほかの誰かなのか、私にはわからない。でも、少なくとも言えるのは、神様がいるなら、せめてお母さんを良い場所に連れて行ってほしいと思うことばかりだ。

テレビをつけると、遠くの国で空爆があったと言っている。空爆では民家が5件吹っ飛んで、24人が死んだと言っている。ニュースはすぐに変わって、隣町で起きた殺人事件について話している。現場に残されていた車がなにか不自然だとコメントしていたひとがいた。そして、その車ではなく容疑者の過去に不可解な点があるとまた別のコメンテーターは語っていた。それが終わったと思えば、勇気ある女性がレイプされたことを告発した話をした。それが終わると、船が沈没した事故で息子を亡くした父親が再発防止を訴えているというニュースが流れた。それも気が付けばすぐに変わって、引っ越しの広告が流れて、そのあとで通販サイトの広告が流れた。それもすぐに終わって、居酒屋の広告、ビールの広告が立て続けに流れて、そのあとなにかをテレビは話し出したが、チャンネルを切った。

はずれくじを引いたのは私たち家族だけではないとわかった。それだけでよかった。でも、私の疑問は止まらない。なぜ、はずれくじがこの世にあるのだろう。神様はあなたを愛している。神様はあなたを大切に思っている。聖書はあなたへの神様からのラブレターだ。そんなことを、正教会で教えられたとセルゲイは語っていた。そんな宗教を憎むわけにはいかないけれど、神様がいるのなら、そもそもはずれくじなんてつくらなくていいだろう。はずれくじはあっても良いのかもしれないけれども、もっとリカバリー可能なものにしてくれ。そうしたら、人生をもっと愛せるようになるかもしれないのに。

ふと空を見上げた。

星が綺麗だった。

オムライスが食べたい。

なぜか、ふとそんなことを思った。

お母さんが作るオムライスを食べたい。

甘くて、おいしくて、味が深くて、とろけるようで、なんでだろう、すこし人生を愛せるような、そんな味がするお母さんのオムライス。

そんなことをずっと思っていると、夢にも出てくる。

あのふわふわの卵、だしの味が付いた卵、真っ黄色の卵、すこし焦げ目がついた卵。

甘いごはん、赤いごはん、味のしみたごはん、柔らかさが絶妙なごはん。

いつもは高いからとなかなか入れないのに、オムライスをつくるときだけ奮発してたくさん入れてくれるソーセージ。

あまりものだとは思えないほど、主役級の味を出しているパプリカとピーマン。

そのひとくちめを食べようと思ったときに、目が覚めた。妹が起こしてきたのだった。

オムライスが、食べたいなあ…。

「おねえちゃん、どうしたの」

妹に聞かれたのだが、いつも彼女は私を見通している気がする。こどもの純粋な瞳だと、世界はもっときれいに見えて、ひとを恨むことなんてないんだろうなあ、そんなことをいつでも思っている。

「オムライスが食べたいね」

私は虚空を見つめながら言った。

「そうだね」

妹は答えた。

オムライスを妹が作ったことはないし、もちろん私が作ったこともないし、あるいは外食したことだってない。

オムライスといえば、お母さんがつくるものだと決まっている。

妹は、たまごかけごはんとフルーチェしかできないし、私はそれにカップラーメンと袋麺を追加したくらいのことしかできない。

なんて不器用な姉妹なんだろうなあ、と私はいつも思っていた。アンナなんてあんなに小さいのに、もうボルシチを作れている。あんなに火を使って、煮込みが難しそうで、味加減も難しそうな料理、うちの妹には絶対無理だろう。だから、ボルシチはおろか、味噌汁すら作ったことがないし、作らせようともしない。

私は、料理に慎重だ。

それは、学校にいた同級生が、鍵っ子だったからと頑張ってつくってみた味噌汁をお茶碗に入れるときに、こぼしてしまって、左足のふとももから下のあたりにかなり目立つケロイドができてしまってからのことだった。アンナもセルゲイも、火を怖がることなく料理をしている。それがいつもすごいなあ、と素直に手を叩いて喜ぶと、彼らはいつも屈託のない笑顔を見せてくれる。

綺麗だ、と思う。

なにもかもを失っても笑えるんだ。

そんなことを、セルゲイは背中で語っていた。

アンナはまだ小さいから、なにが起きているのかをわからないのだろう。セルゲイは家庭を背負っていて、この家とアンナを守らないとと思っているのが、いつも彼の作るボルシチから伝わってくる。

セルゲイが、突然我が家に来た。

「だしって、どこにあるの」

彼はたどたどしい日本語で私に聞いた。

「だしかあ、ここじゃないかな」

私達の家のキッチンは、案外狭くて、綺麗だ。お母さんがいつも綺麗に、そして汚さないようにしていたからだ。

私が2番目の引き出しを開けたら、そこにはちゃんとだしが入っていた。

「そうか、サンキュー」

彼は言った。

彼の国の言葉で「ありがとう」という言い方を教わったのだけれども、私は忘れてしまった。彼も英語をあまり知らない。だから、突然英語が割り込むような不器用な文を私達は共有している。

「ちょっと、アンナと遊んできて」

私達は半ば追い出されるように、私達の家を後にして、隣にあるアンナの家に行った。

すこしすると、セルゲイが私達に窓を開けるようにと言いに来た。

信じられない。

そこからするにおいは、間違いなく母がそこにいるということなのだから。

「100まで数字を数えたら、この家に戻ってきて」

彼はそう言って窓を閉めた。

1,2,3…

100は意外と遠い。でも、私はセルゲイがなにを考えているのか分かった。

セルゲイが私たちを呼んだ食卓には、たしかに愛があって、たしかに母がいた。

「いつか私達もボルシチをつくれるようになりたいねえ」

そう、私達は言いながら、いつまでも飽きることなくくだらない話をした。アンナの学校の先生がダイエットに成功して20キロ痩せた話や、セルゲイの同級生にセルゲイが告白された話や、私が甲子園がどこにあるか知らなくて甲州にあると思っていたとか、そういったほんとうにくだらない話だった。

そんな話をしていると、いつしか目の前のオムライスはどんどん冷めていって、それでもなおセルゲイがつくったこの母の分身はとってもあたたかくて、食べてしまうのが惜しかった。

食べてみると、砂糖と塩を間違えたようで、ものすごくしょっぱいものができていた。それでも、とってもおいしかった。

*

あの日から5年がたち、私とセルゲイは学校を卒業した。そのころには、セルゲイもアンナも日本に残ることを決めていたようで、日本語の勉強をとても頑張っていたのを覚えている。私はなんとかボルシチがつくれるようになって、私と妹の誕生日にはセルゲイがオムライスを、セルゲイとアンナの誕生日には私がボルシチをつくるという、奇妙な食卓を囲むようになっていた。

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