大評判!田口俊樹『日々翻訳ざんげ』(本の雑誌社行)の試し読みページを公開!
名翻訳家・田口俊樹さんが自身が手掛けてきた訳書を再読し、当時の思い出や時には誤読について振り返る『日々翻訳ざんげ』が、3月上旬に本の雑誌社より刊行となります。
具体的な事例や翻訳のノウハウを教える指南書であるのはもちろん、その訳書の読みどころを訳者の視点で語るこの40年間の翻訳ミステリーの極私的ブックガイドでもあり、翻訳にあたっての数々の裏話はその本を読む楽しみを何倍にもしてくれます。本書は翻訳者志望や翻訳に興味のある人はもちろん、ミステリー好き、すべての本好きが楽しめる1冊となっています。
第一回 ジョン・ウィンダム「賢い子供」の巻 一九七八年 だるまに助けられる!
「きみは自分の訳書を読んだりしない? おれなんか読み返しちゃ、うっとりしてる」
翻訳の大先輩、故小鷹信光さんに生前、そんなことを言われたことがある。それぐらい自分の訳書には愛情を持て、ということだったのだろう。自信がなければ愛情は持てない、自信が持てないような訳などするな。そんな声まで聞こえてきそうだ。
一部を拾い読みすることはあっても、文庫化といったような必要に迫られないかぎり、私は自分の訳書を通読することはない。で、ふと思い立って、親しい翻訳者十人に訊いてみた。貴殿は自訳著を読まれるや否や。
答は全員ノーだった。読み返すのが怖いという人も何人かいたが、その気持ちも、ま、わからないではない。
翻訳者が普通あまりやらないことをやってみようと思い立ったのは、これはどう考えても歳のせいだろう。人間いくつになってもさきが見えるなどということはないだろうが、それでも見えてくるような気がすることはないでもない。でもって、大したものはもう見えそうにないとなると、まえではなくうしろを振り返りたくなる。回顧録というのはおよそそんなふうに書かれるのではないかと思うが、このコラムもだいたいそんなものだ。それと、改めて振り返ることで翻訳に関して、なにやらまだ発見もあるのではないか、といったちょっと欲張りな狙いもある。
ということで、まずは初めて「ミステリマガジン」一九七八年四月号に載ったワタシ的には記念すべき処女訳、イギリスのSF作家、ジョン・ウィンダムの短篇「賢い子供」から。
形質は遺伝しなくても能力は遺伝するのではないか。そんなことを思いついて、かかる研究に没頭している学者の話で、言われてみると、鳥の場合は巣づくりなど、明らかに後天的に獲得された能力が遺伝しているのに、どうして人間ではそうはならないのか、ちょっと不思議な気がしないでもない。で、この先生、ある人体実験を試みる。その結果……最後の一行で思いがけない事実が明らかになり、思わずにやりとさせられる、絵に描いたような見事な短篇だ。
私はこの前年の一九七七年に都立高校の英語教員になっている。三年ばかり、小さな出版社と児童劇団勤務を経てのことで、英語の教師になってまず痛感したのは英語に関わる自分の実力のなさだった。大学の受験問題など生徒に持ってこられ、質問をされても即答ができない。今は時間がないからなどとその場かぎりの言いわけをして問題を預かり、そのあと辞書と首っ引きになって必死に調べたり、先輩の先生に教えを乞うたりして、翌日、十年もまえから知っていたような顔をして生徒に解説していた。それが情けなかった。
そういう情けなさから自分を救うには、これはもう自分が勉強するしかない。そうは思ったものの、生来の勉強嫌いである。どうしたものかと考えあぐねていたときのこと、当時早川書房の編集者をしていた高校の元同級生の染田屋茂とたまたま会う機会があり、ふと思い立って、翻訳でもやらせてくれないかと頼んでみた。英語をただ勉強するのではなく、翻訳という目的を持てば要するに、実入りもあるとなると―勉強嫌いもさすがに勉強するのではないか。思えばなんともご都合主義なことだった。
染田屋はさっそく短篇を二篇送ってきてくれた。いわゆるトライアルだ。当時、早川書房は新人翻訳者には「ミステリマガジン」で短篇を何本か訳させ、これはという人材に長篇を任せるというシステムだった。いずれにしろ、私はその二本の短篇をどきどきして読んだ。正直に言うが、どういう話かわからなかったらどうしよう、それがものすごく不安だったのだ。細かいところは別にして(よくわからないところは多々あった)二作とも少なくとも話のオチだけはわかって、ほっとしたのを覚えている。
で、染田屋から指示されたほうの短篇をまず訳した。内容はもうまったく覚えていないが、分量は原稿用紙四、五十枚の短篇だったと思う。今にしてみれば大した分量ではないが、当時の自分にとっては大変な量で、どうにか最後まで訳しおえたときには、なんだかもうエヴェレストに登頂したような気分になった。そして、なにより思ったのが、翻訳ってこんなに愉しいことだったんだ! ということだった。
何度も何度も読み返して完成させた拙稿を郵便で送り、合否判定を待った。しばらくして電話で呼び出され、早川書房まで出向き(当時はまだ木造の社屋で、二階の編集部の木の床の節穴から一階が見えた!)近所の喫茶店で、染田屋から翻訳指導を受けた。判定結果は合格だった。いつとは言えないが、いずれ本誌に掲載すると言われた。いや、もうエヴェレストどころではない。天にも昇る思いだった。
ところが、そのあと染田屋からまた電話がかかってきて、版権などの関係からもう一篇のほうをさきに掲載することになったので、そっちのほうも訳してくれ、と言われた。そう言われて、はたと困った。実はそのもう一篇のほうは、先輩の英語の先生で、やはり翻訳に興味があると言っていた人に渡してしまっていたのである。どうしてそんなことをしてしまったのか、今となってはまるで覚えていないが、いずれにしろ、私はその先生に事情を説明して、トライアルになるけれど、先生もやってみてください、とかなんとか伝えたのだった。内心、ちっ! と舌打ちしながら。
ところがところが、それからしばらく経って学校で顔を合わせると、その先生からその短篇のコピーを返された。見ると、渋い顔をなさっている。でもって、自分には翻訳は無理だ、とおっしゃる。読んでもなんだかよくわからなかった、と。正直、びっくりした。というのも、その先生は米留学の経験もあり、それまで私はその先生から英語のことをあれこれ教えてもらっていたからである。英語力=翻訳力ではないことぐらいは当時からわかっていたとは思うが、それにしても思いがけない展開だった。
その短篇の最後のページの裏を見ると、いたずら書きがしてあった。だるまの絵がいくつも描かれていたのだ。その先生は絵心があって、正直なところ、なかなかうまい絵ではあった。しかし、サインペンで黒々と描かれており、表にまでにじんでしまっている。何、これ? いくらなんでも失礼なんじゃないか? 内心むっとしながら、ご本人に問い質した。すると、その先生曰く「手も足も出なかった」。ちょっと可笑しかったんで、赦してあげた。
いずれにしろ、ここが私のひとつの運命の分かれ道だったような気がしないでもない。私がとりあえず合格判定をもらった短篇は、結局、掲載されないままになったからである。そう、その先生が私に返してきたのがワタシ的には記念すべきこのジョン・ウィンダムの「賢い子供」だったのだ。
実はこの短篇、詳しい経緯は省くが、「ミステリマガジン」の編集者、小塚麻衣子さんと書評家の杉江松恋さんのおかげで、実にほぼ四十年ぶりに訳し直す機会に恵まれ、二〇一六年末発売の「ミステリマガジン」二〇一七年一月号にその新訳が掲載された。久しぶりに昔の拙訳を読んでまず思ったのは、読みの甘さである。四十枚ちょっとの短篇ながら、きちんと読めていないところや、明らかな誤読が少なくなかった。まあ、当然のことかもしれないが。その一方で、怖いもの知らずの勢いというのだろうか、今の自分にはまず思いつけないような、臆面もなく言っちまうと“うまい訳”もないではなかった。悔しいから新訳には取り入れなかったが。同じものを十人が訳せば、十通りの訳ができあがるように、同じ人間が同じものを十回訳しても十通りの訳になるのではないか。翻訳というのはつくづく一過性であり、“生木のようにくすぶり続ける”ことを宿命づけられているものだと思う。
翻訳稼業ほぼ四十年。今、ウィキペディアで数えたら、訳書数、百九十三冊。まあ、訳者としては多い部類だろう。その中から今でも深く記憶に残る作品を選んで、誤訳ざんげと回顧と翻訳談義ができればと思う。よろしくおつきあいのほどを。
第一七回 ジェームズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の巻 新潮社/二〇一四年 思い焦がれた名作の新訳!
(略)
さて、翻訳の話。
さきに書いたとおり本作の邦訳は拙訳も含めると、八つある。どれも読んだが、みなそれぞれ訳者と時代によって雰囲気の異なる作品になっている。原著の解釈が異なるところももちろんある。たとえば “I’m up awful tight, now.” 刑務所に入れられ、進退きわまったフランクの独白だが、この原文の訳を時系列で並べるとこうなる。
飯島正訳―もう僕はたまらない。(一九五三年)
蕗沢忠枝訳―また、たまらなく、切なくなってきた。(一九五五年)
田中西二郎訳―いま、おれは恐ろしくのぼせあがっている。(一九六三年)
田中小実昌訳―頭がすごくぼんやりしている。(一九七九年)
小鷹信光訳―おれはいま、死ぬほど緊張している。(一九八一年)
中田耕治訳―いま、おれはあたまがすごくぼうっとしている。(一九八一年)
池田真紀子訳―もう本当に頭が働かない。(二〇一四年)
拙訳―今は神経がひどくたかぶっている。(二〇一四年)
ずいぶんちがうでしょ? tightをどう理解するかでこれだけちがってくる。私としては拙訳が正解とは思っているが、自分の解釈に百パーセントの自信があるかと言えばそうでもない。
もうひとつ、これは解釈ではなく、ひとえに訳語の選び方に関することだが、フランクとコーラがコーラの夫を惨殺したあとの有名なシーン。殺人を自動車事故に見せかけるためにフランクに顔を殴られたあと、コーラがフランクとの体の交わりを求めて発することば “Rip me! Rip me!”
飯島訳―「やぶいて頂戴。やぶいて、みんな!」
蕗沢訳―「もっと、めちゃめちゃにして! めちゃめちゃにして!」
田中(西)訳―「やぶいて! やぶいて!」
田中(小)訳―「ひっちゃぶいて! ひっちゃぶいて!」
小鷹訳―「破って! めちゃめちゃにして!」
中田訳―「やぶいて! やぶいて!」
池田訳―「破って! 破って!」
拙訳―「破いて! あたしを破いて!」
これまたそれぞれ感じがちがうが、正直に言うと、私は田中小実昌訳が一番好きだ。悔しいけれど。だって、「ひっちゃぶいて!」ですよ。よほど知らん顔してパクろうかと思ったほどだ。ついでながら、ここは誰か人がやってくるまえに事故に見せかけなければならない一刻を争う場面である。だから、そんなときにそんなことをやってる場合か、と普通なら突っ込みたくなるところだ。それがそうはならない。逆にふたりのせっぱつまった思いがびんびん伝わってくる。こういうのもジョーシキがちょこっと覆されていて私なんぞは嬉しくなる。
(略)
田口俊樹『日々翻訳ざんげ』(本の雑誌社・2021年3月上旬刊行)
■四六判並製 ■216ページ ■定価(本体1,600円+税)
■ISBN 978-4-86011-455-8
目次
一章 ミステリー翻訳者
第一回 ジョン・ウィンダム「賢い子供」の巻 だるまに助けられる! 14
第二回 ローレンス・ブロック『泥棒は選べない』の巻 泥棒バーニイ×ジョン・レノン×ニューヨーク! 21
第三回 ウェイド・ミラー『罪ある傍観者』の巻 「が」と差別語が多すぎる! 28
第四回 ローレンス・ブロック『聖なる酒場の挽歌』の巻 数字の話あれこれ 35
第五回 アン・タイラー『アクシデンタル・ツーリスト』の巻 めざすべき翻訳とは? 43
第六回 マイクル・Z・リューイン『刑事の誇り』の巻 頑固親爺とおやじギャグ 51
第七回 エルモア・レナード『マイアミ欲望海岸』の巻 和臭か、無臭か、洋臭か。 58
第八回 クレイグ・ライス『第四の郵便配達夫』の巻 名物編集者との超肩こり初仕事 67
二章 昨日のスラング、今日の常識
第九回 チャールズ・バクスター『世界のハーモニー』の巻 現在形は悪魔の囁き? 80
第一〇回 ネルソン・デミル『チャーム・スクール』の巻 翻訳人生最大のピンチ!? 90
第一一回 フィリップ・マーゴリン『黒い薔薇』の巻 YOUに"こだわる" 100
第一二回 ジョン・ル・カレ『パナマの仕立屋』の巻 またしても翻訳人生の危機! 110
第一三回 ボストン・テラン『神は銃弾』の巻 難物中の難物に悪戦苦闘(1) 119
第一四回 ボストン・テラン『神は銃弾』の巻 難物中の難物に悪戦苦闘(2) 129
第一五回 デイヴィッド・ベニオフ『25時』の巻 映画を見て思わず「あっ!」 139
三章 悪人はだれだ?
第一六回 リチャード・モーガン『オルタード・カーボン』の巻 思い出がいっぱい詰まった難物 152
第一七回 ジェームズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の巻 思い焦がれた名作の新訳! 162
第一八回 レイモンド・チャンドラー「待っている」の巻 小鷹信光さんと三川基好の思い出(1) 174
第一九回 レイモンド・チャンドラー「待っている」の巻 小鷹信光さんと三川基好の思い出(2) 182
第二〇回 レイモンド・チャンドラー「待っている」の巻 小鷹信光さんと三川基好の思い出(3) 190
あとがき―エンタメ翻訳この四十年 201
著者略歴
田口俊樹(たぐち・としき)
翻訳家。1950年、奈良市生まれ。早稲田大学卒業。“マット・スカダー・シリーズ”をはじめ、『チャイルド44』『パナマの仕立屋』『神は銃弾』『卵をめぐる祖父の戦争』『ABC殺人事件』『壊れた世界の者たちよ』『ランナウェイ』など訳書多数。著書に『おやじの細腕まくり』『ミステリ翻訳入門』がある。「翻訳ミステリー大賞」発起人。フェロー・アカデミー講師として後進の育成にあたっている。
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