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作家になるのは簡単? 作家でいるのは超大変! 鈴木輝一郎『印税稼いで三十年』試し読みページ公開!

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ベストセラー作家の教えなんて参考にならない。彼らは天才なのだから。

賞とは無縁。書評に取り上げられることも滅多にない。担当編集者から「何もしなければ消えてしまう」「次の作品の返本率次第では弊社からは刊行できかねます」とまで言われた小説家・鈴木輝一郎だからこそ教えられる作家サバイバル術。

果たして待っていたのはベストセラーか、あるいはアルコール漬けの日々か。あなたはそれでも印税の夢を見ますか?

「本の雑誌」の人気連載「生き残れ!燃える作家年代記」に倍以上の書き下ろしを加えて待望の単行本化! 発売に先駆けて目次や試し読みページを公開です! 本の雑誌WEBストアではサイン本予約も受付中です。

鈴木輝一郎『印税稼いで三十年』
■四六判並製 ■232ページ ■定価1760円(税込)
■ISBN 978-4-86011-460-2
2021年7月下旬発売

はじめに 人生けっこうなんとかなるもんでござる

 その日、某書店のレジ横のサービスカウンターで、カバン持ちのアシスタントと二人で立ったまま待っていた。午後一時半。新刊が出たので、「よろしくお願いします」と挨拶にお邪魔している、何軒めかのことだった。
 すでに三十分が経っていた。
 この店のサービスカウンターとレジカウンターは連結していて、レジのなかで書店員さんが三人、待機してはいるのだが、せわしなくレジと背後の客注棚とを行き来していた。とても困ったことに、かなり露骨にこちらと視線を合わせないようにしている。
 新刊書店まわりのとき、書店員さんにサイン献本を手渡したら、目の前でゴミ箱に捨てられたり、「○○さんへ」と為書きを書き終えたところで「読まないから要らない」と突っ返されたりすることは何度か経験しているので、たいていの対応はわかっている。
 ただ「レジ全員でがっつり無視」は初めての体験で、おおいに当惑した。さて、どうしたものか。
 まあ、そう書くと書店さんを非難しているように思える。けれどきちんと言っておこう。アポなしで訪問しているこちらが悪い。
 鈴木輝一郎の本は、初版部数の関係で、大都会のマンモス書店にしか平積みされていない。
 新刊が出たときに書店に挨拶まわりに行く場合、岐阜に住んでいる関係上、書店を訪問するために出張する日時は限られる。いきおい、こちらの自己都合優先になる。やむなくアポなしの飛び込みが中心になる。
 もちろん三十年も新刊書店まわりをやっていればそこらへんのノウハウはある。在店時間は三分以内。お店とお店のお客さんに邪魔にならないような場所に立ち、書店の繁忙時間やレジの出入りのローテーションなどを頭にたたきこみ、行動には細心の注意を払っている。だが、それでもこうしたミスを犯すことはある。
 二時を過ぎたころ、遅番の昼休みを終えた書店員さんが交代要員としてレジにはいり、そのときに目が合い、「どういったご用件でしょうか」と声をかけていただいた。
 そこで宣材類を一式お渡しし、担当者への伝言をお願いして離脱し決着した。
 難しいのは、これでここの書店さんでの鈴木輝一郎へのイメージが最悪に落ちてしまったのが確実だったことだ。
 ただ、私は絶望はしない。
 人の心は、必ず融けるからである。
 神保町の東京堂書店は、三十年前に初めて訪れたときからずっと佐野さんが店長をしておられた。
 三十年前は哲学書などが中心の品揃えだった。店のレジの横にガラスに囲まれた『著者サイン本コーナー』があった。当時としては珍しかった。
 レジのところで名刺を差し出したところ、いきなり佐野さんから「レジに立たないで! お客様の邪魔になるでしょ!」と一喝された。ここらへん、指摘されないと気づかないところが、我ながらどれだけテンパっていたか、よくわかる。
 ともあれ自著にサインをして手渡したとき、つい、視線が『サイン本コーナー』に行った。間髪いれず、佐野さんが苦笑しつつ「まだまだ」と言った。吉行淳之介や安岡章太郎のサイン本がならべてあったんだから当たり前だわな。
 それから毎回、新刊が出るたびに東京堂をおとずれた。佐野さんに献本を手渡すたびに視線が『サイン本コーナー』に行き、佐野さんに「まだまだ」と言われた。
 そんなやりとりが十年ぐらい続き、『片桐且元』(小学館)が出てお店をおとずれたとき、佐野さんから「んと、十冊ぐらい配本があったから、サインしておいてくれない?」とさらっと言われた。
 それから佐野さんが定年になるまで、訪問するたびにサイン本を置かせ続けていただいた。
 人の心は、必ず融ける。
      
 いまからは信じられないだろうが、三十年前は「小説家が書店に『私の本をよろしくお願いします』と頭を下げに行くなんてとんでもない」という考えがほとんど。
 私はたまたま自社製品をホームセンターに納品していた時代で、業者間の売り場の争奪戦に揉まれていた。棚に陳列してあるフェイスを確保することは売り上げに直結している。店に新製品を置いてもらうことが最も重要なことだった。
 新刊の書店まわりはそれと同じ発想だった。要するに「書店員さんに鈴木輝一郎という作家の存在を知ってもらうこと、そしてよりよい場所に一日でも長く置いていただくために」ということだ。
 それ以前、新宿のスナックやバーを中心にカラオケの飛び込み営業をやった経験から、この種の営業活動は九割九分が無駄足なのはわかっていた。だから当初書店員さんからの反応が鈍いのはしかたない。
 閉口したのは、同業者や編集者の「みっともないからやめなさい」「イロモノと思われるからやめなさい」「あんなパフォーマンスはやめろ」といった雑音の多さのほうだった。エッセイで名指しで忠告されたこともあるし、酒席でこんこんと説教されたこともある。
 唯一の例外は、大沢在昌さんに「輝一郎君みたいに田植えするように読者を増やすタイプの作家は見たことがないので、いいことか悪いことかはわからない。だけど、やるんなら一生やり続けなさい」と励まされたことか。だから、続けている。
 で、いまはというと。
 都内で新刊書店まわりをしているとき、ベテランどころの編集者が若い作家を連れて書店を挨拶してまわっている場に遭遇する機会が増えた。
 意外なのは、若い作家が「出版社から『書店に挨拶に行く作家が増えすぎてて、書店さんの通常業務が滞るからやめろ』と言われるようになったんですよ」と愚痴るようになったことだ。まあ、飛び込み営業ができるような人物ならそもそも小説家はやっていないんで、何をやらかしているか、だいたいの想像はつく。ただ隔世の感はある。
 それにしても、人の心と時代は、こつこつ続けると、融けるし変わるもんではある。


心がけ編 作家には定年がないが明日もないんでござる

 担当の杉江さんから、
「なぜ作家であり続けるのか、ということを読みたい」
 とリクエストがあった。このメールを読んで何日か考えこんだ。意味が理解できなかったからだ。
 で、ふと、
 ──杉江さんは「作家であり続けようとするために、どんな意思とか情熱が必要なのか知りたい」
という意味ではないか?──
 と思い至って意思の齟齬に納得した。おたがいにものすげえ誤解があった。
 作家が会社員と決定的に違うのは、仕事をやめたり続けたりすることについて、人間の意思はほとんど入らない、というところなんでござる。これは固定給のある人にはわからない。
 小説家には定年はないが明日もない。小説家が仕事をやめるのは、
 一、書けなくなって筆を折るか
 二、売れなくなって次が出せなくなるか
 三、死ぬか
 のどれかしかない。このうち、人間の意思が入れられるのは三しかない。そして、ちょいちょいこの三つは手に手をとって白鳥の湖をBGMにパ・ド・トロワを踊りながらこちらにやってくるんである。デビューは意思と努力でけっこうなんとかなる。ただし、作家であり続けるには、自分の意思や情熱や努力だけではどうしようもない。
 なぜ鈴木輝一郎が作家であり続けているか。
 ごっつ誤解されている模様なのではっきり申し上げる。
 小説家鈴木輝一郎は売れているからである。
 大化けはしていないし賞に縁遠く書評にあがることもなければネット書店のレビューもほとんど書かれない、地味で目立たない作家ではある。
 ただし、実売の底が固く、書店の店頭売りと、店頭から消えたあとのロングテールな売れ方に強い。
 書店の店頭で買ってくださる読者と、書店から消えても図書館で拙著を見つけて興味をもち、過去作を探して買ってくださる読者にささえられている。
 エッセイは『新・何がなんでも作家になりたい!』以降、小説は『信長と信忠』以降、この十年、初版部数を削られたことがない。
 ことあるごとに「本が売れない」と嘆きが多い時代に申し訳ないが、実は作家人生のなかで今がいちばん売れている。いまだから言ってしまうが、近刊の歴史小説『桶狭間の四人』の初版部数は、日本推理作家協会賞受賞作を収録したハードカバー『新宿職安前託老所』の初版部数のほぼ二倍である。
 十数年前、河出書房新社の太田さんと打ち合わせをしたときのこと。
「大切な話があります」
 と切り出された。
「弊社で何作か出させていただいたのですが、『何がなんでも作家になりたい!』以外がことごとく玉砕しています。次の作品の返本率次第で弊社からは刊行できかねますので、ご了解ください」
 とはっきり言われて衝撃を受けた。
 作品自体は冒険をいとわない担当者で、戦国の歴史を舞台にした伝奇小説のミステリーや、関ヶ原合戦の落武者と関ヶ原に住む薬種問屋の女主人の大人の恋愛小説だとか、けっこう冒険をさせてくれたし、作品の出来もよかった。
 ただし、中身がいいだけでは数字にはつながらない。努力に酔い、情熱に甘えて、足元を見ていなかった。プロなんだから、頑張ったからいいでしょ、なんてことは通じない。早い話が、「冒険している頑張った君」になって売り上げで自爆した、ということだ。
 そこで大きく方針を転換した。芸術家を気取るのではなく、読者に楽しんでいただける職人に徹することにしたのだ。
 その直前、『片桐且元』でそれなりに当てていたんで、歴史小説のコンサバティブな書き方は承知はしていた。女性を主人公にし、舞台は戦国時代。タイトルは無駄に凝ることをやめ『お市の方』とした。
 刷り部数と定価からページ数を割り出す。本は技術的な理由から八ページ単位で構成されている。このページレイアウトから外れると製本コストがはねあがり、定価に響く。指定された文字組みでもゲラにするとかなり増えたので、ゲラの段階でごっそり削った。
 その結果『お市の方』は、重版こそかからなかったものの、しかるべき数字をはじきだし、次の作品へとつながり、今日にいたっている。
 こうしてこの業界に生き残っていられるのは、河出の太田さんの提言のおかげだと断言していい。普通の編集者は作家の耳に痛い忠告はしない。売れなければ次から仕事を頼まなければいいだけのことだ。鞭を打ってくれたおかげで、冒険と慢心を取り違えた、ってことを教えてくれたのだ。
 北方謙三さんが何年か前、ある日を境に急にスリムになった。血色がよいまま細くなっていたので、やつれたのではなく、ダイエットなのはわかった。
「とにかく食べるのが趣味で、陰にかくれてコソコソと冷蔵庫をあさるほど」とは聞いていたんで、冷やかし半分で、「なんでダイエットする気になったんです?」と聞いた。
「んー、まだ書きたいものがあるんでね」と照れくさそうに笑いながら続けた。「いま死ぬわけにはいかねえんだ」
 立ち話のことで、詳しい日付は覚えていない。たしか『三国志』を書き上げ、『水滸伝』を書き終えたあたりだったころだ。
 書きたいものがあり、書くチャンスがあれば、どんなことをしてでも書くのが作家、でもある。
 作家とは、職業ではなく状態なんでござる。


執筆編 小説家とブルースハープはプロとアマが同じ道具を使っているんでござる

「どんな執筆環境ですか?」とよく聞かれるのと、執筆環境まわりの話をすると盛り上がる。ふだんは「どんな環境でもかまわんだろ、パソコンが原稿を書くわけでなし」で済ませるんだけど、せっかくの機会なんで。
 ざっとしたリストを作ってみたら電子執筆環境の歴史になってて苦笑したでござる。フロッピーの出現から消滅までリアルタイムで経験してるよ、俺。
 タイトル通り、小説家とブルースハープ(テンホールハーモニカ)奏者は、一流のプロも書き始めたばかりのアマチュアも同じ道具を使う、珍しい職業ではある。
 現在の執筆環境の話をしましょうね。
 ハードは無駄にハイスペックです。ただしぼくの場合、鈴木輝一郎小説講座の動画編集&配信という特殊用途があるので、例外だと思ってください。
 現在の執筆環境はというと、デルのXPS8930というデスクトップマシンでCPUはi7、メモリは48GB。このマシン構成で執筆するのはナタで蚤の頭を割るようなものです。
 プロの小説家っぽいハードはモニターかな?
 三台並べて使っています。正面は執筆用。左側のモニターはブラウザを立ち上げっぱなしにしてネット検索用。右側はファイル管理用。いくつものファイルやフォルダを同時に開けるので。
 バックアップ用の外付けハードディスクは二台。
 原稿のバックアップは外付けハードディスク二台とメーカーの異なる(同じだと初期不良が同じロットで出る可能性がある)USBメモリ二本、予備パソコン本体と予備パソコンの外付けハードディスク一台、という具合に合計六本とってあります。
 バックアップのとりかたがいささか偏執的ですが、これはパソコントラブルに泣かされ続けた過去の経験からです。
 プリンタはモノクロレーザープリンタとインクジェットプリンタの二台。
 執筆用はモノクロレーザープリンタで、一万円台の安物です。さすがに「業務用」なんでトナーは純正のものを使ってます。
 インクジェットもブラザーの安物です。名刺やチラシなどの印刷ぐらいしか使いません。
 いずれにせよ、プリンタは酷使するので真っ先に壊れます。はっきり言って消耗品です。
 最近、小説講座の受講生から「プリンタは必要でしょうか?」と質問を受ける機会が増えました。時代の差を感じますね。
 執筆用のソフトは秀丸エディタが中心です。
 エディタで書き、編集部に渡す紙原稿に整形するときだけはMS-Wordにテキストデータを流し込んでプリントアウトします。
 登場人物の履歴書や作品内時間管理、おおまかなプロット、作品の進行表などはエクセルで管理しています。
 ここらへんは小説家志望者のかたと執筆環境はかわらないかな。
 小説家志望者のかたと大きく異なるのは、ハードをまったく信用していないことと、ソフトの選択基準、かな?
 ハードは「故障してからでは遅い」ということから、デビューしてからは二年から三年ごとに買い換えています。
 デビュー前にワープロ専用機を三台買い換えていますが、これは技術上の事情です。当時のワープロ専用機には記憶媒体がカセットテープしかなく、長編の執筆に不向きだった。東京の小説講座に通うようになって長編の執筆環境を整える必要を痛感し、ブラウン管式の、フロッピーディスクのついたワープロ専用機を買いました。
 パソコンに乗り換えたあとの奮闘話はまたいずれ。
 ソフトは使いやすさよりも継続性を優先しています。
 長いあいだsol4というアウトラインプロセッサを重宝して手放せなかったんですが、作者がバージョンアップを終了し、ソフトの公開を止めてしまったんで立ち往生しました。
 プロット管理の面でエクセルはきわめて使いにくい(そもそもセルの中に文字を大量に書き込む仕様になってない)。ワープロソフトとしてのWordはいいところがまったくありません。
 ただ、マイクロソフトの製品なんで、「OSのバージョンアップが原因で使えなくなる」という心配はしなくていいので我慢して使っています。
 あと、これはソフトではありませんが、キーボードも継続性を優先しています。
 二十五歳でワープロ専用機を買ってから十年ほどは親指シフトで入力していました。ですが親指シフトキーボードのメーカー在庫が三十台を切ったという話を聞き、二ヶ月かけてローマ字入力に乗り換えました。
 ブラインドタッチができるのはアルファベットだけ。そのかわりJIS配列でもUS配列でもどちらでも打鍵可能です。
 執筆環境にこだわらないことにしています。不意の仕様変更や製造中止に振り回されてきましたんでね。
 ブルースハープはジェームス・コットンが使ってたのと同じものが楽器店で何千円か出せば簡単に手に入る。小説も、パソコン環境自体はプロとアマの違いはないっす。そこらへんが珍しいところ、かなあ。

執筆編 編集者は常に控えめにものを言ってるんでござる


 この連載をするにあたって、新しい同業者の知人に話を聞いてるんだけど、「編集者とのつきあい方がわからない」ってケースがけっこう多いよねえ。
 よくあるのが「編集者の言うことはどこまで真に受けたらいいのか」ということ。

 けっこう誤解されているけれど、担当編集者だって絶大な自信をもって作家に臨んでいるわけじゃない。担当編集者は書籍流通のシステムのなかのごく一部であって、担当編集者のゴーサインだけですべてが回るわけでもない。
 編集者自身、どうやったらいいのかよくわからずに指示していることはけっこうある。「ここがおかしい」とはっきり改稿の指示を出していても、それは対症療法であって根治療法じゃなかったりする。

 また、担当編集者のやる気以外の事情で刊行の可否が左右されることはけっこうある。編集長やデスクの人事異動で部署の方針がかわったり、前作の売り上げで惨敗して営業が首を縦に振らなかったり。まあ書いていて自分でも首筋のあたりが冷たくなって来る話だけどね。

 よく愚痴られるものはだいたい二つ。
 一、プロットを何本も提出したがことごとくボツ。ようやく通ったプロットで書きあげてみたらそれもボツ。
 二、大量の原稿の直しを指示され、言われた通りに直してみたら、結局直す前のものにOKがでた。
 あたりかな?

 文芸書籍の業界は他の業界同様、業界固有の言葉づかいがある。
 一、編集者が「プロットを持ってきて」という場合、「全部書き上げて持ち込んだら、そのとき考えるよ」と同義語です。
「プロットだけでは作品の出来はわからないし、提出されたプロット通りのものがあがってくる保証もない。だから完成原稿を読みたいのだが、原稿の段階では一銭も払えない。そうして書き上げられた作品の出来が玉砕していた場合、ボツにせざるをえないけれど、そんなにたくさん作家にタダ働きをさせて恨まれるのは嫌」
 というのが「プロットを持ってきて」って発言の真意ね。
 ぼくははじめのころ、この意味がよくわからなくて言葉ヅラ通りに何十本とプロットをだしてことごとくボツになり、「こんなぐらいなら本稿書いたほうが早い」と思って現物勝負にし、採用されたのが何度もあって、ようやく学びました。
 二、「大量の原稿の直しを指示された」場合、それは「原稿をゼロから書き直して持ってこい」の意味です。
 また、「言われた通りに直してみたら、結局直す前のものにOKがでた」というのは「言われたところしか直していないので印象がかわらない。これなら元のほうがよかった」という意味です。

 そういう話をすると「プロの小説家はそんなに無駄働きが多いのか」と愕然とする人がけっこういる。はい、そうです。
 特にデビュー間がない新人のうちは、担当編集者の言葉を「神の声」と思って絶対視しがち。「担当者のOKが出たらすべてOK」と間違う。
 担当編集者はというと、編集の腕に自信はあっても、新人作家はどんな作家なのかがわからず、おっかなびっくりで手探りで進めている、ってな側面がある。
 そうした齟齬が話をややこしくするわけだよね。
 小説家経営的には「とりあえず全部書き上げる」「直しの指示がでたらアタマから全部書き直す」ほうが話が早い。数をこなせば確実に筆力はあがるので、最初にハードにやっておくと、あとあとラクだしね。

 あと、意味不明な全ボツが繰り返された場合、その社で出した直前の作品の実売が玉砕してその出版社で出せなくなったことを著者にしらせるため、というケースもあります。
 ぼくが経験したのは、「注文原稿を送って一ヶ月おいてアポをとったが、上京して打ち合わせの場で『急な原稿が入ったのでまだ輝一郎さんの原稿は読んでいません』を三ヶ月間続けてやられた」ことですね。このときはさすがにこの出版社から引導を渡されたと理解して原稿を取り下げました。おかげさまで別の出版社に出したらけっこう好評でしたが。
 担当者や編集部などの判断でボツにした作品が他社で大化け(意外とある)した場合、担当者の責任問題になりかねない。
 くりかえされるボツに嫌気がさした著者が、著者の判断で原稿をとりさげれば、それは編集者ではなく根負けした著者の責任ですわな。
「そこらへんの判断の責任を著者がとらされるのか」というと、答えはイエスです。出版社といえど会社組織なので、担当編集者のメンツへの配慮は重要です。
 数字は時の運に左右されるし、誰の責任でもない。たまたま玉砕することはあっても、他社で売れれば、またその出版社とのつきあいは再開されます。
 一定水準の作品をていねいに書き続けていれば、必ずチャンスはある。次のチャンスを活かすためなら、目の前のプライドやメンツはどうでもいい。次のチャンスにつなぐことが最も重要です。
 いずれにせよ、編集者とのつきあいは、重要なわりに教えてもらう機会はすくない。ひとりで悩まず、同業者の複数の(ここ重要)先輩に相談することが重要ではあります。

目次

|はじめに|人生けっこうなんとかなるもんでござる6
|処世術編|ボツ原稿供養なんてヌルいことやってたでござる|10
|執筆編|突然現場に放り出されて戸惑うんでござる|14
|健康編|果報は寝て待て待ちたくなくても寝ろでござる|18
|心がけ編|他人に笑われるぐらいがちょうどいいでござる|22
|お金編|収入が低いことより固定収入がないことが恐怖なんでござる|26
|処世術編|編集者は雑用係でも上司でも友人でもなく仕事相手でござる|30
|お金編|青春と未払いの原稿料は二度とかえらないんでござる|34
|心がけ編|作家には定年がないが明日もないんでござる|38
|プロモーション編|名刺を交換しなきゃならん相手は俺を知らないし興味もないんでござる|42
|健康編|小説家に医者はけっこう鬼門なんでござる|46
|執筆編|小説家とブルースハープはプロとアマが同じ道具を使っているんでござる|50
|お金編|たかが金でトラブるぐらいならサクッと明朗会計がいいんでござる|54
|心がけ編|いつから自分をどう呼ぶか迷うもんでござる|58
|処世術編|編集者は一人で何十人も担当しているのを忘れてはならないんでござる|62
|執筆編|「スランプ」は超一流の人がいうものでござる|66
|執筆編|駄作を世に出す勇気が大切でござる|70
|プロモーション編|オリジナル軍手は工夫と錯誤と継続なんでござる|74
|執筆編|編集者は常に控えめにものを言ってるんでござる|78
|執筆編|人生是日々廃業の危機でなにをいまさらなんでござる|82
|プロモーション編|著者手書きPOP濫觴の煩悶でござる|86
|執筆編|筆記具にいかに対応してゆくかが生き残りのカギなんでござる|90
|執筆編|パソコンは必ずトラブるという覚悟が重要でござる|94
|執筆編|彼は書く。いつでもどこでも何にでも、でござる|98
|プロモーション編|こうしてみるとけっこうネットに淫した生活でござる|102
|執筆編|時間と体力の戦いのデビュー前夜でござる|106
|プロモーション編|著者書店まわり第一号は鈴木輝一郎なんでござる|110
|執筆編|資料代が湯水だった時代があったんでござる|114
|心がけ編|先生だってたまには自慢したいんでござる|118
|執筆編|原稿の直しの無限地獄へようこそでござる|122
|健康編|ノムウツカウに耽溺するのも注意が重要でござる|126
|心がけ編|そういえばシャチョーさんだったんでござるよ|130
|執筆編|我輩の辞書に不可能の文字はやたら出てくるでござる|134
|心がけ編|デビューは突然やってくるんでござる|138
|お金編|ビジネスとしての小説家なんて話はあまりしなかったでござるな|142
|心がけ編|社会の窓はいつも開けっぱなしにしておくのが肝要なんでござる|146
|執筆編|デビュー前に執筆外環境を整えるのは本当に重要でござる|150
|プロモーション編|いろいろネットで遊んでやがるな俺、でござる|154
|処世術編|デビューしてからどうやって売り込むのかが肝要なんでござる|158
|心がけ編|読者とのおつきあいは人間修行の場なんでござる|162
|執筆編|師は多くを語らず背中を見せるんでござる|166
|処世術編|同業者の友人はけっこう大切なんだぜでござる|170
|心がけ編|生徒から学ぼう小説講座の先生でござる|174
|プロモーション編|書店イベントはリアル書店にしかないすごい技なんでござるよ|178
|お金編|ベストセラー作家と売れっ子作家と有名作家は似て非なるものでござる|182
|心がけ編|図書館ならばどこへでも俺の講演で誰も寝かせないでござる|186
|執筆編|電子辞書を叩いてみれば文明開化の音がするでござる|190
|お金編|髪と貯金は、なくなるときは一瞬なんでござる|194
|処世術編|預言者と小説家は故郷ではうやまわれないでござる|198
|プロモーション編|サインと小サインは三角関数とは無関係なんでござる|202
|処世術編|映像化されても著者本人には大したメリットはないんでござる|206
|心がけ編|小説家は読者のサンドバッグにしていいと思われているらしいでござる|210
|プロモーション編|著者インタビューはされる側にだっていろいろコツってものがあるんでござる|214
|処世術編|作家にはいろんなコースがあるけれど自分で選べないんでござる|218
|執筆編|錯覚も気力の源泉になるでござる|222
|おわりに|226

著者プロフィール

輝一郎執筆デスク人有り

鈴木輝一郎(すずき きいちろう)
一九六〇年生まれ。日本大学経済学部卒。推理小説を山村正夫に、時代小説を南原幹雄に師事。九十一年『情断!』でデビュー。『めんどうみてあげるね』で第四十七回日本推理作家協会賞を受賞。『国書偽造』を契機として歴史小説にも進出、『浅井長政正伝』『光秀の選択』『桶狭間の四人』など著書多数。また『家族同時多発介護』や『新・何がなんでも作家になりたい!』『新・時代小説が書きたい!』などエッセイや小説指南書も多数執筆。全国屈指のプロデビュー率「鈴木輝一郎小説講座」を主賓し、ダイジェスト動画をYouTubeに配信中。

「鈴木輝一郎小説講座ダイジェストチャンネル」
https://www.youtube.com/c/kiishirosjp

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印税稼いで三十年
鈴木輝一郎

■四六判並製 ■232ページ ■定価1760円(税込)
■ISBN 978-4-86011-460-2
2021年7月下旬発売

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