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『天使のたまご』を観た。

押井守監督のアニメ『天使のたまご』を観た。
1985年の作品。
当時、私は高校生だった。この作品の存在は知っていたけど、手が出なかった。芸術的な作品という前評判も、諦めさせるには十分で。多分、見てもわからないだろうな、と。

あれから36年。ひょんなことから、ついに観た。私は50代になってるし。
でもやっぱり、よくわからなかった。
ただ、すごく美しい作品だった、とは言える。(感想を伝える言葉が、全然成熟してないじゃんか~)


たまごを抱える少女と、大きな剣を担いでいる少年が、廃墟のような夜の町で出会う。
町では影のような魚が泳いでいて、軍服を着た男たちが魚をとらえようとするが、投げた銛を魚はすり抜けてしまう。

という世界観の中で、特に物語が語られるわけでもなく、作品は進行する。
天野喜孝氏の絵が動く、動く絵本のような美しい絵。集中して見ていると眠そうになるくらい、キャラクターはしゃべらないし、事件も起きない。夢うつつのような映像が続く。意識も飛びそうになる。難しい。

これは、今の日本では絶対つくられない作品だろうな。
1985年当時でも異色作だったけれど。

誰も何も語らないから、観ているこちらが想像するしかない。
廃墟のようなこの町は、人類の滅びの果てなのか。少女が抱えるたまごの中には何がいるのか、いないのか。少女は、そして少年は、いったい何者なのか。影のような魚(シーラカンス)は? 魚(シーラカンス)を追う軍人たちは? 
多分、観た人それぞれの中に、それぞれの物語が生まれる作品だと思う。
今なら魚は、新型コロナウィルスに見えるかもしれない。そう見えた私は、まだまだおめでたいのかもしれない。
いろいろ解釈することは、詩を読むようで、面白い。

わかりやすいものばかりが、もてはやされる世の中で、こういう難解な作品を観る。
難解な作品だからこそ、難解な作品であっても、自分の居心地をよくする自己啓発素材として作品を消費したくなることはある。自分が消費したいように、自分が楽しめるように、自分がラクになるように。

押井守・天野喜孝両氏はこの作品に何を込めたのか。つくられた1980年代半ばはどういう時代で、この作品は日本文化史の中でどういうポジションにあたるのか。
本当は、そういうことを考えるべきなのだろうけど。私も最近やっと、そういう見方を考えるようになって来た。(今さらかい?)

少年が乗ってくる戦車や魚を追う軍人に潜む影は、多分先の戦争。1985年はまだまだそういう時代だった。
少年と少女(というか幼女)の組み合わせも、非常に昭和的に思える。少女が主人公のようでいて、主導権を握っているのは少年。少年が主導権を握れるくらいの少女。決して主張の強い大人の女ではない。
否、この構図は昭和に限らず、現代にも蔓延る家父長制的なものだと言える。だが、当時はそれが当然のものとして存在していた。少女向け作品でない限り、女性キャラはいつも「男性主人公の幸福のための素材」。
そうやって考えていくと『天使のたまご』は、戦争においていかれた少年の幻想……というふうにも見えてくる。

なんて自己解釈を書き散らした後に、我が子が当時の『Animec』(アニメ雑誌だ)の古本を買っていたので、押井守氏の解説や天野喜孝氏との対談を読んでみた。丁度、そういうのが載っていた号があったのだ、ラッキー♬
それで。

要するに、存在するものとしないものとの対比、ということらしい。

ファンタジーの世界を描くからこその、背景のリアリティにこだわる、そのあたりの強さは、すごく伝わってきた。美しい作品、と私が最初に感じたそれは、背景描写の美しさだった。それも、単にきれいな絵というのではない、細部にまで気をとがらせた正確さ。
例えば、近年の新海誠作品を観慣れた方には「そんなの普通じゃん」かもしれない。でも、1985年だからね。これは。

あの時代の人たちの、現実を生きつつ非現実とのあいまいな中に生きているような、そんな空気感を描いた、ということのようではある。
いや、でも、その空気感って、36年後も少し形は違うかもしれないけれど、残ってやしないかい?
むしろ、現実の中の非現実の割合は、増している気もしなくはない……。

結局この作品は、観た人が自分なりの解釈を積み重ねていくところに、面白みがあるのかもしれない。
わかりやすくスカッとするだけのエンターテインメントではない、自分が予想もしなかったものを見つけ出す喜びもエンターテインメントである。押井守氏の思いは、そういうところにあるようだから。
たまごは希望というかたちで、観客に手渡されたのだ。




















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