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なぜ核抑止はもう意味がないのか

先日以来、核抑止はもう意味がないと言われる所以を考えている。

きっかけはNHKの番組【保阪正康 最後の講義】。
とても力強いメッセージの連続で、伝えなければという保阪氏の思いに、TVの前でメモを取りながら見た。
その番組の中で、言われた……。核抑止は意味がない。保有国のエゴイズムだと。

広島サミットで各国の首脳が原爆資料館を見たとき、私は「みんな怖がって核廃棄できなくなるんじゃないだろうか」と思った。
ロシアが核をチラつかせてる現在、ロシアに核を使わせないためにも、保有国は自国の核を捨てられないし、非保有国は自分たちも核の傘の下に入りたいと思うのでは? と。

ロシアが今現在、ウクライナに核を落としていないのは、ロシア以外の国も核を持っているからで、その意味では核抑止は効いているのではないかとすら思う。

だが、ロシアがウクライナに侵攻することそのものを止めることは、できなかった。

戦況は双方死傷者多数で、このままロシアに打つ手がなくなっていけば、核のボタンに手を伸ばすかもしれない。
万一そうなったときに、核保有国は報復措置としての核攻撃をロシアにするだろうか。


どう考えても、NOだと思う。
ヒロシマやナガサキの事実が世界に伝われば伝わるほど、冷静な判断力のある国家元首は核報復をしようとはしないだろう。

核攻撃は破壊力が甚大であるがゆえに、一般庶民を巻き込まずに軍の拠点だけを破壊することはできない。
核を使えば必ず、子どもや高齢者や病人などをも虐殺する結果となる。
自国の元首がそんな判断を下したとして、それを有権者は支持するのか?
必ずその判断の非人道性を問われ、国家元首は政権の座を追われることになるだろう。
国民に人権意識があればあるほど、政権追従とはなるまい。


だから、逆に核のボタンを押せるのは、冷静に理論的判断力を行使できない国家元首と、その国家元首を無批判に支持・追従する国民がそろったときだけだろう。
冷静さと理論的判断力とを欠いている元首と国民に核を持たせても、冷静さと理論的判断力を欠いているからこそ、核抑止のシステムは作動しない。

冷静さと理論的判断力を備えた元首か国民の国でも、核報復ができないのであれば、そもそも核抑止のシステムバランスは成り立たない。

つまり核抑止というのは、強国が核の脅威をちらつかせて、小国を意のままに操ろうとするシステムに過ぎず、それは単なるエゴなのだ。

核の脅威があるから軍備増強しようとする。冷静に考えれば、通常兵器をいくら増やしたって核一発で全滅するのはわかっているのに、大国が高い武器を売りつける。小国は否とは言えない。
それをエゴと言わずしてなんと言おう。


私も、アメリカの核の傘から出る選択肢はないと思っていたし、核が分散してしまった現在では、核廃絶の道のりは遠く長く険しいと思っている。
でも、仮に日本が核攻撃を受けても、アメリカは報復攻撃をしないだろうし、じゃあ日本も核武装すべきだなんて言ったら、簡単に経済制裁をくらって日本経済は干上がるだろう。

すぐに結果が出なくても、平和的外交で問題を解決する方向で動くしか、未来の破滅を回避する道はないんじゃないんだろうか。

そんなことを考えながら、ぼちぼちと生きている。

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