『平家物語 犬王の巻』を読んだ話。
『平家物語 犬王の巻』を読みました。
古川日出男さんの原作の方を。
正月に……。
読書録記事書くのに、どんだけ躊躇してんだよ、というやつですが。
アニメの『犬王の巻』がめっちゃ人気なのに、そのアニメを観てなくて、観ようかと思ったら応援上映しかなくて、いきなりハイテンション観客の海に潜り込むほど度胸はなくて、でもこのご時世に『犬王の巻』といったら、皆さんアニメの方を思われるだろうしなあ……と、うだうだ。
文庫本を、昨年の夏に出たときに買っていたのに、ずっと【フィクションが読めない症候群】を発症していたので、積んでいたんです。
読めないとわかっていたのに、読みたいから買ってしまう。読めるんじゃないかと期待して、買ってしまう。なにやっとんの? ですが。
本には読み時というやつがあって、それはひとりひとり違うから、どうしようもない。
でも、記事にするなら潮時というのもあるから、潮目を逃すと、いるかがどんどん泳いできてあっぷあっぷになるわけです。
駆ける文体
この小説の特長は、とにかくテンポの良い文体ですね。
琵琶法師の弾き語りを聴くような、読んでいて心地の良い文体が特徴的です。
だから、すらすら読める。
文字を追うことが、心地よい。
小説って、物語の面白さとかキャラクターの魅力とか、いろいろ味わいポイントがあると思いますが、文章のテンポも欠かせない要素だと思います。
おいしい文章。
【フィクションが読めない症候群】の突破口は、テンポの良い文章だったんじゃないかと思ってしまうほど、ラーメンのようにつるつるいけます。
平家物語と言いつつ、舞台は室町時代
室町時代の話なので、平家はもちろん、琵琶法師も亡霊となっていて。
友魚(友一・友有)と犬王というふたりの主人公たちが、亡霊たちの力を手に入れながら成長していく物語(なんか違う……)です。
平家物語が、重要なコンテンツとなっているところがミソと言いますか。
確かに平家のあれこれに振り回されて、友魚の人生は変わってしまうし、かたや犬王の人生は開けていくんですが、二人にとって所詮は題材なんですよね。平家って。
琵琶法師として語る題材。
能楽師として舞う題材。
たかが題材。されど題材。
ただ、二人の平家物語との距離感がどんどん変わっていくので(一蓮托生のようでいて本質がずれていく)、そこがはらはらモノでした。
気になったのは犬王を観る観客の目
これは本文とは関係ない話なんですが、犬王の舞を観に来る観客の中に、彼と同じ「己を醜い」と感じる子がいた場合、その子はどうなるのだろうか、そちらが気になって気になって仕方ありませんでした。私は母なので。
というのも、犬王が芸を会得することで美を手に入れるというのが、ね。
芸事の世界で美が求められるものとして存在するのは、どうしようもなくアリなんですが、美の追求→平家物語→美意識の平安貴族みたいな図式も出てくるので。
美を手に入れるのは勝ち組なのか?
それとも滅びの象徴なのか?
犬王に憧れたり、希望を投影したりして観ている子たちは、犬王と自分とは違うという現実を突きつけられて、どんな感情の浮き沈みに翻弄されるんだろう。なんか行間に潜む架空のモブを心配してるみたいですけど。母なので。
犬王が光を浴びればその分、影も生まれる。
そんなのわかりきっているけれど、「仕方ない」で切り捨てるのは切ない。
こういう気持ちから、皆さん二次創作をされるんでしょうね。
座って何?
この作品の中で重要な位置を占めるのが座です。
座ってなんだっけ? 職業ギルト的なやつだっけ?
こういう部分で日本史の知識不足が露呈するわけですが、悔しいから知りたくなるわけです。
物語の前半では、主人公たちを導く労働組合的なポジションだったのに、だんだん若者の前に立ち塞がる既得権益集団のようになっていく。
連合が権威主義体制と提携しちゃってるようなもん? などと思ったりして。
思えば中学高校の歴史の教科書って、政権がどういうふうに移っていったかがメインで、友魚のような庶民のことなんて、結構スルーされてたような気がします。
農民とか漁師とかは当たり前にいて、貴族や武士に搾取されてただろう。琵琶法師や能楽師もいたし、職業として存在するくらいだから社会の一部として回っていたんだろうけど、実際はどうだったのか。
貴族や武士が、庶民の苦難の上に胡坐をかいて裕福な生活をすることを当たり前としていた時代に、庶民はどうやって生きていたのか。さらに言えば、日本にも庶民の自立のような動きはあったのか。
読みながら、いろいろ気になってしまいました。
おわりに
歴史ものの小説って、それ単品でも楽しめるんですけど、やっぱり作品世界の基礎教養があるとなしとでは、全然味わい方が違うんだろうな、というのをあらためて突きつけられた感じです。
『犬王の巻』は面白かった。でも裏を知っていればもっと面白いだろう。
それはいちげんさんお断りというのではなく、手招きされてる感じで。
もっと学習しょう! と誓うのでした。
(ただその誓いも長続きするとは言えない、続きは次回の記事で)
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