【標本バカ-外伝-】カタニアさんとモグラ (後編)
国立科学博物館の「標本バカ」こと川田伸一郎先生による新連載! 標本づくりのこと、専門のモグラのこと、展示のこと、本のこと、標本バカな日常のことを不定期で配信します。
今回は『カタニア先生は、キモい生きものに夢中!』のおはなし後半戦。
(絵 浅野文彦 / 題字 川田吉永)
このモグラがどう獲物を捜索するかを確かめるため、
彼はモグラの鼻の穴を片方だけ塞いだ。
カタニアさんの実験アイデア
科博で来館者に向けてトークをする機会が、年に何回かある。モグラをテーマにした回では、しばしばカタニアさんのホームページ「Catania Lab」から話題を拝借させていただいている。Catania Labでは彼の研究が紹介されているが、彼が行った実験の動画が満載されているのがうれしい。本書を読むにあたっても、それらの動画を見ながら進めた方が理解が深まるし、納得ができるだろうと思う。
特に興味を引くのは、「星」を持たない「普通のモグラ」であるトウブモグラのステレオ嗅覚に関するものだ。通常このモグラは、獲物であるミミズを感知するとまっすぐそれに向かう。カタニアさんのすごいところは実験に対するアイデアである。彼はこのモグラがどのように獲物を捜索するかを確かめるために、モグラの鼻の穴を片方だけ塞いだ。
するとどうだろう、モグラは鼻が塞がれた側の逆方向へちょっとだけずれて直進し、獲物を探すのである。逆を塞げば逆のことが起こる。さらに右の鼻にチューブを差し込んで、左側に向けるとどうなるかまで、まあそこまでよくやりますなという実験を繰り返す。
彼はこの結果から、モグラは左右の鼻孔から入る獲物の臭いの強度のバランスで、どの位置にそれがあるのかを判断していると結論している。なんと素晴らしい実験成果であろうか。
臭いを感じるモグラと、振動を感じるミミズ
このストーリーが書かれているのは第4章だが、実はこの本においてはおまけに過ぎない。ここでの本題はミミズに関する興味深い実験だ。
ミミズは東西を隔てても普遍のモグラの大好物であるから、カタニアさんが興味を持つのもよくわかる。1999年にカタニアさんの家に泊めてもらった時に会話した内容が思い出される。雨降りの後に地上に出て死んでいるミミズのことだ。
「あれはモグラが近づいた時の振動と勘違いしてミミズが地上に逃れるために起こるのだろう」。
彼も僕も意見は同じだった。
モグラを採集しているといろんなことに気づかされる。モグラのトンネルを探してスコップで地面を突き刺すと、不思議なことにその付近からミミズがにょろにょろと這い出して来ることがあるのだ。こういう経験をするとだんだんミミズが振動に敏感であることに気づく。その「感覚に鋭く、振動に敏感に反応して地上に出る」という行動をするミミズは、モグラが近づく振動も感知し、地上に出ることで捕食を免れているに違いない。そして振動により敏感なミミズが生き残り、ミミズはさらに敏感な生きものへと進化する。こんなシナリオが見えてくる。
なんと、かのチャールズ・ダーウィンもミミズが這い出すのはモグラから逃げるためだと書物に書いているのだそうな。
ミミズ取り名人
さて、ここまでの想像は僕にだってできる。
カタニアさんが第4章で書いているのは、アメリカのフロリダ州に住むミミズ取り名人のことである。その方はこの地域で開催される「ミミズ取りコンテスト」(こんなものがあるのも驚きなのだが)で毎回優勝候補にあがるツワモノなのだとか。その彼が使用する道具は、金属の棒と木の杭というシンプルなもの。
杭を地面に突き刺して金属棒でこすると、奇妙な音を発するのだという。すると彼の周囲からおびただしい数のミミズが這い出して、奥さんがそれをバケツに回収して回る。なんと効率のよいミミズの捕獲法なのだろう。動画を初めて見た時は、カタニアさんとの会話を思い出しながら、大変驚いた。
カタニアさんはこの音がどのような性質のものなのかまで分析して、雨が地面にたたきつける音、モグラが地中を移動する際に生じる音とも比較して、ミミズの振動に対する反応を分析した。
その結果、ミミズ取り名人が出している音が、モグラが地中にトンネルを掘る音と類似していることがわかり、ミミズはモグラが出す音と間違えて地上に這い出しているのではないかとまとめている。
一方で雨音についてはというと、僕が想像していたのとは違って豪雨の時に慌ててミミズが這い出して来るようなことはないのだという。
このように、見過ごしてしまいそうな些細な出来事を、巧妙な実験によって分析し、その奇妙な生態の核心に迫っていくのがカタニアさんの研究の醍醐味である。全く感服する。
などなど、本の内容を全部紹介してしまうとネタバレに過ぎるのでここまでにしておこう。
カタニアさんの研究をじっくり知りたいならばやはり論文にあたる必要があるのだが、彼の本当の専門は神経生理学分野なので、かなり難解である。その難解な内容を一般向けに分かりやすく紹介した本書は、最近読んだ生物学の書籍でもかなり秀逸なものだった。我々はこの本を我々の言語で読むことができることに感謝しよう。
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profile
川田伸一郎
国立科学博物館動物研究部脊椎動物研究グループ研究主幹。1973年、岡山県生まれ。弘前大学大学院理学研究科生物学専攻修士課程修了。名古屋大学大学院生命農学研究科入学後、ロシアの科学アカデミー・シベリア支部への留学を経て、農学博士号取得。2011年、博物館法施行60周年記念奨励賞受賞。著書に『モグラ博士のモグラの話』(岩波書店)、『モグラ-見えないものへの探求心』(東海大学出版会)、『はじめましてモグラくん-なぞにつつまれた小さなほ乳類』(少年写真新聞社)、『標本バカ』、『アラン・オーストンの標本ラベル』(ブックマン社)、監修した本に『もぐらはすごい』(アリス館)など。
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