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「春日さんが夢の中で…」ついに明かされる“秘儀”の正体|対談|岡本彰夫(春日大社元権宮司)×辻明俊(興福寺執事)#2

古都奈良の奥深い文化を紹介した、2冊の近刊が話題を呼んでいます。興福寺の365日(西日本出版社)を上梓したのは、興福寺執事の辻明俊(みょうしゅん)さん。日本人よ、かくあれー大和の森から贈る、48の幸せの見つけ方(ウェッジ)の筆者は、春日大社で長らく権宮司を務めた岡本彰夫さん。いにしえより縁の深い社寺で、神さま仏さまとともに過ごしてきたお二人に、春日・興福寺の歴史、行(ぎょう)に篭(こ)められた意味について語り合っていただきました。3回にわけてご紹介する第2回は、いよいよ竪義(りゅうぎ)当日のお話です。(→第1回から読む)

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左:岡本彰夫さん 右:辻明俊さん
2020年11月8日、奈良公園バスターミナルレクチャーホールにて

岡本:夜にも大廻りに行かはるんですやろ。

:11月7、8、9日は夜にも大廻り、後夜遶道(ごやにょうどう)というんですが、夜の8時から出かけるんです。これはまさに最後の神頼みですよね。行く前に南円堂で鐘を撞くしきたりがあるんですが、師僧がおっしゃるには、今から春日の神さんに参りますよ、という合図じゃないか、と。

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竪義加行は3週間におよぶ。朝の堂参に加え、11月7日~9日は、後夜遶堂といって、夜8時頃からも春日社をはじめ諸堂に参る。後夜へ出かける前、南円堂で鐘を9つ鳴らすという作法があり、これは春日の神さまへ今から参ります、という合図になる。

岡本:後夜の道中、問答を唱えはるんですな。

:はい。浮雲社から水谷社、三十八所神社から奥ノ院へ向かう道では、独りで問のみをブツブツ暗誦しながら歩きます。これは闇の中で諸魔を払う意味があると聞いています。魑魅魍魎(ちみもうりょう)が、行者の発する質問に戸惑っているうちに足早に通り過ぎるわけです。

岡本:道がね、いま我々が歩く道と違うとこ行かはるんです。これが参考になる。今は使っていない昔の参道がわかるんですわ。

:大廻りでは大昔の道順を歩くことになり、舗装されたところがあっても、あえて雑木林の中、獣道(けものみち)みたいな険しい道も掻き分けて進みます。後夜は足元が見えないなので、ほんまおっかなかったですね。

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岡本:面白いのは、大廻りで参る榎本神社での作法です。榎本さんは、常陸(茨城県)の鹿島から春日さんが来られた時、ここの地面を渡した土地神さまなんです。春日さんは「3尺だけ譲ってほしい」と言わはったんですけど、榎本さんは耳が遠くて、「3尺四方くらいなら」と渡してしまわはった。春日さんのお申し出は、この山全体を地下3尺まで借り受けたいと。
それで榎本さんは、桜井市の安倍山へと遷られたのやが、誰もお参りに来んので寂しいといって還って来られた。昔は参拝の人は、本殿に行く前に、必ず榎本さんへ参って柱を打ってお参りをしました。

:榎本さんは、耳が遠いので、お経を唱える前に、コンコンと扇子で柱を2回打って、お参りに来たことをお知らせします。大廻りの時には、こんな所作が今も残っているんです。

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大廻りの時、榎本神社では参拝前に扇子で柱を軽く打つ。

岡本:その本番の前には、夢見(ゆめみ)をしはるでしょう。

:当日の夕方、慈恩会の前に行われる儀式で、一般には公開できない秘儀です。鎌倉時代までは、竪義所立はたくさんあったんですが、しだいに固定化されていきます。それには理由があって、竪義を受験する竪者(りっしゃ)は当然ですけれど、質問する側の「竪問役」も勉強する必要があるわけです。そうすると竪問役の辞退がおこり、竪義の成立も困難になるんです。そういったこともあり、論題が固定されていったのでしょう。過去には50近くあった所立も、いまは4つしか残っていません。

ただし、形式化が進んでも、実際の概念としては、夢見の事の中で、春日の神さまから啓示された論題を袖の下から預かるんです。袖の下から、論題を……実際には白紙ですよ、何も書いてないんですけれど、そういう紙(短冊)を受け取って、本番に挑むんです。

岡本:それは探題(たんだい)が出さはるんですか。

:はい。探題です。

岡本:探題いうのは試験官ですわな。

:法会の主催者であり、及落を判定する最高権威者となります。

岡本:今の話はよう分からんかったですよ(笑)

:夢見の事は秘儀ですから。わかりやすく言えないんです(笑)

岡本:本坊内に設けられた探題房で、探題が春日赤童子さんの絵を背にして、座ってはります。そこに慈恩会竪義を行う竪者が御簾(みす)を巻き上げて入っていくわけです。そこから先は夢の世界やと想定するんです。そして探題が袖の下から答えを出してくださる。夢で見たという形を取るわけです。

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鎌倉時代にはおよそ38題あった論題も、室町時代には9題にまで減り、やがて現在の暗記するスタイルに定着。暗記といってもその分量は90分~120分となる。

:竪義を不合格になると寺を去らなければなりません。昔は落ちるとまずい方もいらっしゃったのでしょうかね……。

岡本:この仕組みがすばらしい。前加行で、もう42題覚えとるわけです。毎日パスしてるから、もう合格ですねん。ところが竪義は、一山大衆の面前でやらないかんさかい、中にはあがり症の人もおるからね。高座に登ったら頭、真っ白になる人とかおりますやろ。だから予め、答えをくれはる。春日さんが夢の中で教えてくれはったということで、袖の下から渡すわけです。これが日本人の考えた素晴らしい試験です。

:夢見の事で手交された短冊は、お守りとして懐に入れてたんですけれど、竪義を終えて懐から出すと半分にちぎれていました。思い返せばこれも不思議なことです。

岡本:竪義を行う仮講堂には、影向(ようごう)の戸から入りはるんですか。

:影向の戸から入って来られるのは、探題と探題箱・梅枝(春日明神の依り代)です。竪者は探題より少し遅れて会場へ向かいます。

岡本:影向は、神仏が仮の姿となって現われることをいいます。影向の戸は、神分、勧請で春日さんが入ってきはるという想定の戸。そこから入ってくるんです。

:はい。春日の神さんが入堂する入口でもありますから、その上には注連縄がひかれています。ちなみに竪者は西南の扉から静かに入堂して、その時(試験)がくるのを待つんです。

岡本:法隆寺さんは、入った後に注連縄をちょっと折られると聞いています。神さんがお帰りにならんようにとの願いでしょうなあ。

:興福寺の場合は、探題が会場(えいじょう)に入ると影向の戸を大きな音をたてるようにして閉め、閂をかけます。

次回、まだまだ続く竪義の話。第3回へ

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構成=石田彩子
写真提供=飛鳥園

岡本彰夫(おかもと・あきお)
奈良県立大学客員教授。「誇り塾」塾頭。昭和29年奈良県曽爾村生まれ。昭和52年國學院大學文学部神道科卒業後、春日大社に奉職。平成27年6月に春日大社(権宮司職)を退任。平成5年より平成19年まで国立奈良女子大学文学部非常勤講師。平成25年より平成27年まで帝塚山大学特別客員教授。著書に『大和古物散策』『大和古物漫遊』『大和古物拾遺』(以上、ぺりかん社)、『日本人だけが知っている 神様にほめられる生き方』『神様が持たせてくれた弁当箱』『道歌入門』(以上、幻冬舎)。

岡本彰夫さんのご著書

辻 明俊(つじ・みょうしゅん)
1977年生まれ、奈良県出身。2000年に興福寺入山。2011年に「竪義」を終え、2012年から興福寺常如院住職。2004年から広報や企画事業を担当、2013年、駅弁を監修し、日経トレンディ「ご当地ヒット賞」を受賞したほか、2014年、三島食品(広島市)と共同開発した「精進ふりかけ」がiTQi(国際味覚審査機構)の審査で、ふりかけとしては世界で初めて三ツ星を受賞する。現在は興福寺・執事兼境内管理室長。

▼辻 明俊さんのご著書


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