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「そんな簡単に神さんと仏さんを分けることはできません」―春日大社と興福寺の深いつながり|対談|岡本彰夫(春日大社元権宮司)×辻明俊(興福寺執事)#1

古都奈良の奥深い文化を紹介した、2冊の近刊が話題を呼んでいます。興福寺の365日(西日本出版社)を上梓したのは、興福寺執事の辻明俊(みょうしゅん)さん。日本人よ、かくあれー大和の森から贈る、48の幸せの見つけ方(ウェッジ)の筆者は、春日大社で長らく権宮司を務めた岡本彰夫さん。いにしえより縁の深い社寺で、神さま仏さまとともに過ごしてきたお二人に、春日・興福寺の歴史、行(ぎょう)に篭(こ)められた意味について語り合っていただきました。3回にわけてご紹介する第1回は、千年の歴史をもつ大儀「竪義」(りゅうぎ)とは何か、そしてそのための準備について。

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左:岡本彰夫さん 右:辻明俊さん
2020年11月8日、奈良公園バスターミナルレクチャーホールにて

:岡本先生のことは、春日大社の権宮司でいらしたときから存じておりましたけれど、何となくおっかない(笑)。声もかけられない雲の上の人でした。

でもある年のおん祭(まつり)で、若宮様のお還り(還幸の儀)を暗闇の中で静かに待っていると、御旅所から上がってこられた御神体を囲む一行が、ちょっと口ではうまく言えませんが、「何か」を落とされたんです。これは踏まれては大ごと、とっさに拾い上げて、その日は持ち帰りました。

翌朝、「春日大社へ落し物を返しに行かなあかん」、そう思って寺務所の玄関を出たら、なんと岡本先生が立ってたんです。これにはほんまびっくりしました。それで昨夜の出来事をお話ししたら「あ~~、それは神さんがあんたに持って帰れと渡さはったもんやから、大事にしときや」って言われて。

それ以来、先生には何かと気にかけていただいているように思います。ちなみに神さんからの授かり物は、今も自坊にお祀りしています。

◎春日若宮 おん祭
https://www.kasugataisha.or.jp/onmatsuri/

岡本:最初に春日・興福寺の歴史をお話ししときます。2つの社寺は、奈良時代に鎮護国家を祈る社寺として創建されますが、一面として藤原氏の崇敬する氏神、氏寺という性格を持ち、一体となって発展したんです。現在の興福寺はその一部。昔は奈良公園から奈良町のあたりまで、みんな興福寺の境内。子院(しいん)が170余り建ち並んで、その中には一乗院、大乗院という、皇族や摂関家の子弟が入寺し、興福寺の別当を勤めた、格の高い門跡(もんぜき)寺院もありました。

室町幕府の最後の将軍、足利義昭はこの一乗院の門跡やったんですけど、還俗(げんぞく)して将軍にならはった。ほかにもすごい方々がたくさん門跡でいらしてます。明治の神仏分離令で大きく変わりましたけど。

:神仏判然令なんてこともありましたけれど、いまも春日大社と興福寺は深く結びついています。そんな簡単に神さんと仏さんを分けることはできません。南都の諸大寺では法要の時に神分(じんぶん)・勧請*をお唱えするし、修行のときも、春日の神さんがそばにいらっしゃる、と思うことがあります。9年前の話ですけれど竪義を無事に終えて加行(けぎょう)部屋に戻ると、浄火(じょうか)がぱっと消えて、「あ、神さんお還りになったんだ」、そう感じたり……語りだしたら止まりませんね。

*神分・勧請:法会や修法の折に唱える、諸天諸神に来臨影向を請願する句。

岡本:ちょっと解説しますわ。これじゃ何のことやら分らんでしょ(笑)。法相(ほっそう)宗の宗祖は慈恩(じおん)大師という僧侶なんですけど、この方が亡くなられた11月13日に興福寺で慈恩会(じおんね)という追孝(ついこう)法要をしはりますねん。その日に竪義という、擬講(ぎこう)から已講(いこう)という格の高いお坊さんになるための試験をされるんです。

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慈恩会の歴史は古く、951年に興福寺第十四代別当空晴(こうじょう)の発願により始修された。興福寺においては最も重要な法会である。
◎慈恩会
 https://www.kohfukuji.com/event/jionne/
◎慈恩会竪義
 教学の口頭試問で、立義とも記す。慈恩会の法要の後に執り行われる。

:現在の慈恩会竪義は子院住職になる階梯としての口頭試験になっていますが、創始は981年なので、なんと千年の歴史があります!! 13世紀頃からしだいに固定化された所立(しょりゅう・論義の主張命題)を暗記する形式になります。もちろん現在でも、論義を覚えて挑みます。

たかが暗記と思われるかもしれませんが、独特な節の暗誦もありますし、その内容はおよそ2時間程度になるんですよ。法相宗の竪義は一生に一度だけ受けることを許されるのですが、その時宜は師僧が判断します。

本番当日まで三七日(さんしちにち)、つまり21日間の前加行を勤めることになり、狭小な行部屋に籠ってひたすら勉強に励みます。また加行中は「毎日講」といって、毎朝、20分程度の講問2題が課せられます。当然、この2題も暗誦します。問答はもとになる『無重問答抄』(むじゅうもんどうしょう)という書物から作る必要があって、この作業に1日の大半を費やしていたような……。

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【毎日講】右の『無重問答抄』42題から、左の『間の詞(ことば)』を引用して問答を作る。因みに42題は前加行に入る前に書写をする必要がある。

難苦して完成させた問答を夜中に覚えて、翌朝試験が終わったらまた新たな講問に取り組んで……毎日2題ずつこなしていくわけです。竪義の論義を暗記するどころじゃなくて、これは本当に辛かったですね。

岡本:行部屋では行者が座す上に注連縄(しめなわ)を張ったって、赤童子*さんと慈恩大師の絵像がお祀りしてある。そこに春日さんからいただいた火を置いて、ずっと勉強しはるんです。

:部屋の灯りも、湯を沸かすのも、春日大社から拝受した浄火を種火として大切に扱います。半畳の小さな空間に3週間、春日さんの加被(かひ)*のもと、神火と向き合って、自分を試される。

*赤童子:春日大社の神の姿とされる図像。顔と身体の赤い童子が、忿怒相(ふんぬそう)で杖を持ち、岩座に立つ。
*加被:神仏が力を貸してくれること。

2時間にわたる竪義を終えた日、加行部屋に戻ると、瓦灯(がとう)の中で部屋を照らし続けてくれた浄火が、ふすまを開けた瞬間に大きくきらめき、“ぽん”と音を立てて消えたんです。もちろん簡単に消えるものではありませんよ。これには目を疑いましたが、春日の神さんが竪義成満(じょうまん)を安堵されてお還りになった、すぐさま感得することできました。ほんま有難いことです。

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加行部屋。座と箱建水の間にある小さな箱を御八講箱(みはっこうばこ)といって、これが勉強机になり、食卓にもなる。部屋の灯りは瓦灯のみだ。

岡本:長い間、横になって寝られへん。座睡(ざすい)しはるんですな。

:はい。加行中は無言で、正午を過ぎると湯茶以外は口にできない「不可中食」、そして座睡といって横になって寝ることは許されません。眠くなったら背もたれに体をあずけまぶたを閉じる。行中はほとんど寝てないわけですから、夢か現(うつつ)かわからなくなって……毎日講の問答を作ると、A4の紙5枚ぐらいになるんですけれど、ある日、眼を開けたら何も書いてない。??? どうしたんやろと思って、じ~っと見たら筆跡が残っているけれど、字は消えている。しばらくして原因が分かったんです。なんとフリクションペン(笑)。あれ、60度以上になるとインクが消えるんですね。うとうとしたときに、風呂釜に近づけてしまったみたいで――。

岡本:ずっと勉強しはるから、足腰弱りますわ。それで、遠くまで参拝を折々しはる。

:毎日講の後に諸堂参拝へでかけるんですけれど、特に1と6のつく日は、一六(いちろく)の大廻(おおまわ)りといって、まず春日さんに参ってから、興福寺伽藍を巡拝、そして近鉄奈良駅近くの神社へも参詣します。その距離は約7キロ、いくつか決められた所作なども行いながら廻るので3時間ほどかかります。

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春日大社や興福寺の諸堂、率川(いさがわ)神社などを廻る「大廻り」は距離にしておよそ7キロ。

岡本:南円堂だけは、春日さんもお祀りするお堂やから裸足でお参りしはるんですな。

:興福寺内で南円堂は別格の尊信をうける堂です。ここだけは堂参の時、基壇の下で草鞋をぬいで登壇する定めがあるんです。

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南円堂は興福寺にとって別格のお堂。竪義加行の時、基壇への登壇は裸足と定められている。

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南円堂から東を向いて二礼二拍手一礼をするのは、春日大明神へ成満祈願をする意味がある。普段でも南円堂から東を向くと気持ちが引き締まる。

次回、いよいよ竪義当日。その所作にも様々な意味が。

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構成=石田彩子
写真提供=飛鳥園

岡本彰夫(おかもと・あきお)
奈良県立大学客員教授。「誇り塾」塾頭。昭和29年奈良県曽爾村生まれ。昭和52年國學院大學文学部神道科卒業後、春日大社に奉職。平成27年6月に春日大社(権宮司職)を退任。平成5年より平成19年まで国立奈良女子大学文学部非常勤講師。平成25年より平成27年まで帝塚山大学特別客員教授。著書に『大和古物散策』『大和古物漫遊』『大和古物拾遺』(以上、ぺりかん社)、『日本人だけが知っている 神様にほめられる生き方』『神様が持たせてくれた弁当箱』『道歌入門』(以上、幻冬舎)。

岡本彰夫さんのご著書

辻 明俊(つじ・みょうしゅん)
1977年生まれ、奈良県出身。2000年に興福寺入山。2011年に「竪義」を終え、2012年から興福寺常如院住職。2004年から広報や企画事業を担当、2013年、駅弁を監修し、日経トレンディ「ご当地ヒット賞」を受賞したほか、2014年、三島食品(広島市)と共同開発した「精進ふりかけ」がiTQi(国際味覚審査機構)の審査で、ふりかけとしては世界で初めて三ツ星を受賞する。現在は興福寺・執事兼境内管理室長。

▼辻 明俊さんのご著書


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