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人生を変えた天の声(日本美術史研究者・山下裕二)|わたしの20代|ひととき創刊20周年特別企画

旅の月刊誌「ひととき」の創刊20周年を記念した本企画わたしの20代。各界の第一線で活躍されている方に今日に至る人生の礎をかたち作った「20代」のことを伺いました。(ひととき2022年3号より)

 広島から大学進学のために上京し、新入生歓迎会で琴を弾く先輩を見て「カッコいい!」と思い、まったく経験がなかったのに、琴サークルに飛び込みました。以後は授業そっちのけで取りつかれたように琴一色の日々。朝から部室で稽古、午後は演奏会、夜は4畳半の下宿でレコードを聴く。本気でプロになるつもりだったので、就職したら演奏活動ができないと考え、大学院に進みました。

 転機は、修士課程が終わる24歳の時、琴のプロ資格試験で全国1位になったことです。それで踏ん切りがつき、某デパートに就職しました。しかし、会社勤めは性に合わず、4カ月で退職。とりあえず学習塾でアルバイトをしました。

 そんなある日、大学の恩師・辻惟雄つじのぶお先生から電話がありました。先生は僕が会社を辞めたことを知り、博士課程に戻ったらどうかと声をかけてくれました。学生時代は琴ばかり弾いていた僕でしたが、それでも修士論文のため、室町時代のマイナーな画家の研究は頑張りました。先生はそれがよく書けていたと認めてくださったのです。25歳で復学した時には、美術史の世界で生きていくと腹をくくりました。28歳で研究室の助手になり、明治学院大学の教員になったのが31歳。

 20代から調査の旅はたくさんしました。雪舟せっしゅうについては代表作「山水長巻さんすいちょうかん」を所蔵する毛利博物館をはじめ、全国をこまめに回り、アメリカでは1カ月かけて室町時代の貴重な水墨画を調査しました。知人の家に泊めてもらいながらの貧乏旅行でしたが、「実物を見る」ことは何より大切。自分の基礎を作る貴重な経験でした。

 バブル景気で世の中が華やかな時期に、僕は研究室と図書館とアルバイト先を行き来するだけ。20代は暗黒時代です(笑)。でも、30代で赤瀬川原平あかせがわげんぺいさんと意気投合して以後対談集を何冊も出版し、岡本太郎さんの研究も始めました。固い論文ではなく、一般の方に日本美術を伝える広報部長になろうと活動を続けています。すべては辻先生の電話から始まった。僕は「いのちの電話」と呼んでいます。辻先生、赤瀬川さん、岡本さん、良き師と出会えたことに感謝したいです。

談話構成=ペリー荻野

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琴を突き詰めた20代。これと決めたら生半可にはできなかった

山下裕二(やました・ゆうじ)
日本美術史研究者、明治学院大学教授。1958年、広島県生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業、同大学大学院修了。室町時代の水墨画の研究を起点に、縄文から現代まで幅広く日本美術を論じる。主な著書に『日本美術応援団』(赤瀬川原平氏との共著)、『岡本太郎宣言』など。近刊に『商業美術家の逆襲 もうひとつの日本美術史』。

出典:ひととき2022年3月号


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