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秘窯の里に響く風鈴の音|文=北阪昌人

音をテーマに、史実をベースとして歴史的、運命的な一瞬をひもといていく短編小説。第5回は、行く末を案じる主人公がかつて祖父と訪ねた伊万里「風鈴まつり」を回想しながら、未来への一歩を踏み出す「秘窯の里に響く風鈴の音」です。(ひととき2021年7月号「あの日の音」より)

「目に見えない相手と闘うときに大事なことはなあ、自分の軸をブレないようにすることだけだよ」

 会社の屋上で、そんな祖父の言葉を思い出した。今日、辞令を受けた。来月から関連会社の執行役員になる。自分は本社で役員になるだろうと思っていた。これで完全にその道は断たれた。ただの派閥争いなのか、自分自身の問題か。つまり「風向きが変わった」のだ。仕方ない……。風向き? 

 そう、祖父は、風鈴が大好きだった。祖父との最期の旅は、佐賀県伊万里市。夏の風物詩、風鈴まつりを見に行った。響き渡る無数の風鈴の音を思い出す。屋上で、私の傍らを吹きすぎていく風の中に、ふと、リンリーン、リンリーンという音が聴こえたような気がした。

 伊万里駅からタクシーでおよそ15分。大川内山(おおかわちやま)は、深い緑の秘窯(ひよう)の里。ここは、江戸時代、鍋島藩の御用窯が置かれ、朝廷や将軍家に献上する鍋島焼が作られていた場所だ。窯の技法が外に漏れないように村の入り口には関所という名の木戸が設置された。名工数十名がこの地に連れてこられ、窯元を守った。今も伝統技術は受け継がれ、「肥前やきもの圏」は日本遺産に認定されている。

 鍋島焼の風鈴は、独特の音を奏でた。ガラスとは違う、深い音色。祖父は、うっとりと目を閉じた。

 私は、いわゆる「おじいちゃん子」だった。両親が小料理屋をやっていていつも忙しく、家にいなかったので同居する祖父に可愛がってもらった。運動会も授業参観も、いつも祖父が来てくれた。 福岡の実家の軒先には、祖父が大切にしている風鈴がぶらさがっていた。

 伊万里・鍋島焼のたくさんの風鈴を見ながら、祖父が話した。

「いいか、風っていうのは目に見えない。でも、何かにぶつかったとき、音を出して、初めてそこに吹いていることがわかる。風鈴はなあ、大きさや焼く温度で音色が変わってくるけれど、いちばんの決め手は、中子(なかご)、ああ、風鈴の中にある、陶片のことだが、その、中子なんだと思ってるんだよ。人間も、おんなじだよ、見かけじゃない、要は、中子だ、真ん中に、どんな陶片っていう軸を持っているか、それでその人間の音色、値打ちが決まるんだ」

 秘窯の里に、響き渡る、風鈴の音。リンリーン、リンリーン、奥深く、魂を揺さぶる。

 祖父は陶芸がやりたかった。でも、実家の小料理屋を継がなくてはいけなかった。私が父に反抗して店を継がず東京で就職すると言い張ったとき、祖父だけが賛成してくれた。

 風鈴の音を決める、中子。心の軸。

 私の中子は、今、どんな音を奏でているだろう。できれば、澄んだ、奥深い音でありたい。器がどんなに大きくても、中子が薄っぺらいと、高い音しか出ない。

 祖父が話しかけてくれているような気がした。

「おじいちゃん、大丈夫だよ。軸がブレないように、サラリーマン人生を全うするよ」

 私は心で返した。リンリーン。もう一度、優しい音が耳の奥で鳴った。

北阪昌人(きたさか まさと)
1963年、大阪府生まれ。脚本家・作家。「NISSAN あ、安部礼司」(TOKYO FMほか38局ネット)などラジオドラマの脚本多数。著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)など。

※この話はフィクションです。次回は2021年9月頃に掲載の予定です

出典:ひととき2021年7月号



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