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【薩摩錫器】100年前の茶葉の風味も残したと伝わる驚きの密閉性 (鹿児島県霧島市)

日本全国の“地域の宝”を発掘する連載コーナー「地元にエール これ、いいね!」。地元の人々に長年愛されている食や、伝統的な技術を駆使して作られる美しい工芸品、現地に行かないと体験できないお祭など、心から「これ、いいね!」と思える魅力的なモノやコトを、それぞれの物語と共にご紹介します。(ひととき2019年12月号より)

 没後百年を経て発見された、明治の元勲・大久保利通公愛用の茶壺。蓋を開けてみると、中には緑茶の茶葉が、瑞々しい香りそのままに残されていたという。その茶壺こそ、鹿児島の伝統工芸「薩摩錫器(すずき)」だった。ずっしりとした錫の重みを掌に感じながら、茶壺の口に外蓋をのせると、蓋は滑るようにゆっくりと降りていき、カチッと音をたてて納まる。まるで磁石が仕込まれているかのようだ。その密閉性が、百年前の茶葉の風味を閉じ込めていたのだろう。

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錫製の茶壺や茶筒は密閉性が高く、茶葉やコーヒー豆の保存に最適

「茶壺が削れて、ようやく一人前」と、霧島市国分にある岩切美巧堂の専務・岩切洋一(ひろかず)さん。錫を溶かし、鋳造して作りあげた生地をろくろに固定し、鉄のカンナで表面を削って滑らかに仕上げていく。

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ろくろに取り付けた生地にカンナをあてると、削られた錫が糸のように吹き上がってくる。まさに熟練の技

「錫は柔らかい金属なので、機械では微妙な調整ができないんです。カンナをあてながら、歪みが出ないように慎重に仕上げていく。茶壺が削れるようになるまで、最低でも30年はかかります」

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錫を専用鍋で溶かして鋳型に流し込む。融点は約232度と銀などに比べ低く、適温は溶けた錫の色で判断するという

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鋳型から生地を取り出すタイミングを計るのも、長年の経験がものをいう

 鹿児島県の谷山地区で錫鉱脈が発見されたのは明暦元年(1655)のこと。国内ではほとんど産出されない貴重な金属だった。やがて元禄期(1688~1704)になると、錫鉱山は薩摩藩営となり、その頃から錫を使った器なども作られるようになった。ただし、それは一部の特権階級だけのもの。庶民の日用品を製作するようになったのは明治に入ってからだ。

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さまざまな製品のなかでも、最近はタンブラーが人気。錫は錆びにくく、抗菌作用に優れる

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雫形の銘々皿は波のような模様が美しい。伝統と革新性を併せもつ

「昔はたいていの家庭で、酒器や茶器として錫器が使われていましたが、戦争で原材料の錫が入手困難になり、一気に衰退してしまったんです」。錫鉱山は閉山し、昭和初期には十数軒あった製造業者も、今では県内で岩切美巧堂ともう一社だけに。「それでも創業以来百年以上にわたって代々受け継いできた錫器作りの技は絶やしたくない」。「錫器作りに大切なのは、手先、目先、そして根気」。岩切さんはそう語る。五感を研ぎ澄まして取り組む百分の一ミリの手仕事。まさに匠の技だ。

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岩切美巧堂の創業100周年記念に建てられた薩摩錫器工芸館では、アトリエで錫皿の製作体験ができる(要予約)

秋月 康=文 荒井孝治=写真

ご当地◉INFORMATION
●霧島市のプロフィール
鹿児島県中央部に位置する霧島市は、霧島連山の懐から温泉が湧き出る日本屈指の温泉地。市内に4つの温泉郷を擁し、10種に分類される泉質のうち9種を有する温泉の宝庫だ。日本初の新婚旅行として、慶応2年(1866)に坂本龍馬とお龍〈りょう〉が訪れた地としても有名。伝統製法による福山町の黒酢や香り豊かな霧島茶、シラス大地で育った薩摩芋を使用した焼酎など同市ならではの味覚も堪能できる。
●霧島市へのアクセス
九州新幹線鹿児島中央駅で特急きりしまに乗り換えて約33分、日豊本線国分駅下車
●問い合わせ先
霧島市観光協会
☎0995-78-2115 
https://kirishimakankou.com/
岩切美巧堂
☎0995-45-0177
https://www.satsumasuzuki.co.jp/

出典:ひととき2019年12月号
※この記事の内容は雑誌発売時のもので、現在とは異なる場合があります。詳細はお出かけの際、現地にお確かめください。


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