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すべてのことは人生の伏線(漫画家・美内すずえ)|わたしの20代|ひととき創刊20周年特別企画

旅の月刊誌「ひととき」の創刊20周年を記念した本企画わたしの20代。各界の第一線で活躍されている方に今日に至る人生の礎をかたち作った「20代」のことを伺いました。(ひととき2021年11月号より)

 16歳でデビューして、東京で最初に住んだアパートは西武池袋線の東久留米駅から歩いて3分。1969年当時、駅からその建物が見えるほど周囲に何もなくて、大阪の真ん中で育った私は、びっくりでした。もっと驚いたのは、同じ沿線に住んでいた編集長に「ネームができたら緑色、途中なら黄色、できてないなら赤い旗を窓に出して」と言われたこと。原稿の催促が怖くて電話も引かなかったら、まもなく出版社の近くの有名な〝缶詰旅館〟に送り込まれました。

 築40年の旅館には、一条ゆかりさん、竹宮惠子さん、赤塚不二夫先生がいらしたこともあります。隣室の漫画家の手伝いに萩尾望都さんが来ていました。大ファンだったので、部屋を訪ねたら、布団に丸まってイモ虫のように寝てらした。私も仕事に熱中すると、風呂にも入らず、顔も洗わず寝てしまうので、親近感を持ちました(笑)。

 20歳になったのも缶詰中です。誕生日はいつも締め切りに追われて祝った記憶はほとんどありませんが、25歳になった深夜、アシスタントさんがケーキを用意してくれたことがありました。うれしかったけど缶詰部屋にはナイフもフォークもない。仕方なく墨がついたプラスチックの定規を洗って切り分け、みんなでGペンで食べました。忘れられない誕生日です。

「ガラスの仮面」の連載を始めたのは24歳。主人公の北島マヤは、何をやってもダメな子だけど、演劇だけは天才的。この作品のもとは10歳のときに見た映画「王将」です。三國連太郎さん演じるダメ男の坂田三吉は、女房が逃げたと聞いても、もう一手、もう一手と指し続ける。のめり込んだその表情が印象に残り、いつかそういう人物を描きたかった。私の実家が理容室で、子供の頃、店にポスターを貼ると招待券がもらえたので、母と毎週のように映画を観たことが、役に立ちました。すべてのことは人生の役に立つ。伏線になるんですね。

 常に漫画のことで頭がいっぱいで、今振り返ると世間知らずでした。31歳で結婚して、少しずつ世の中のことがわかるようになった気がします。それでも好きな漫画を夢中で描ける日々は楽しかった。時間はなくとも、幸せな20代でした。

談話構成=ペリー荻野

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若くして大御所漫画家となった美内さん

美内みうちすずえ
漫画家。大阪府出身。16歳の時に「山の月と子だぬきと」を集英社「別冊マーガレット」に発表し、高校生漫画家としてデビュー。1976年から連載されている「ガラスの仮面」(白泉社)は超ベストセラーとなり、少女漫画史上、空前のロングセラー作品に。絶大な支持を得て、テレビアニメ化、テレビドラマ化、舞台化されている。

出典:ひととき2021年11月号


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