いにしえ人の息遣いを肌で感じる京都でアート思考の気づきを|花の道しるべ
週末の京都駅。新幹線コンコースは行楽客で溢れ、これまで閑散としていた土産物売り場にも長い列ができていた。週末のみではあるが、こうして人出が戻ってきたのを見ると、少し安心する。
京都の観光にとって厳しい状況が続いている。観光業は売り上げ9割減とも言われ、雇用を維持するのも困難だ。音楽や舞台芸術をはじめとした文化産業も、それに近い状況にある。我々伝統文化も、行事の中止・縮小を余儀なくされた。しかし、そんな状況に落ち込んでばかりはいられない。オンラインの活用は当たり前、様々な試みに挑戦し、必死にもがいている。
人生は、波のようなもの
先日、文化と幸福について研究されている京都大学の内田由紀子教授とお話する機会を得た。日本人は幸福度が低いと言われるが、そもそも日本人は「幸せになると人から妬まれる」と考え、人並みの日常的な幸せを大切にするのだという。だから胸をはって「私は幸福だよ」とは言わない。逆に、不幸せは「自己向上のきっかけになる」と前向きに捉えるわけだ。
日々の変化の捉え方、未来予測も、洋の東西で異なる。中国とアメリカで行われた実験によると、それまでの変化に沿った予測を行う傾向はアメリカ人のほうが強く、それまでの変化と逆の予測を行う傾向は中国人のほうが強いという。景気がよければ、そのまま続くと考えるのがアメリカ人で、悪くなると考えるのが中国人。西洋人は変化を直線で捉え、東洋人は「人生万事塞翁が馬」「人生楽ありゃ苦もあるさ」と、人生を「波」のように捉える。
得意澹然、失意泰然*。順調なときは、おごらず淡々と。うまくいかないときは、焦らず落ち着いて。そんな心構えが、逞しく、しなやかに生きるコツなのではないだろうか。
京の夜の風物詩「花灯路」に幕
新たな京都の風物詩として定着してきた「花灯路」という観光イベントがある。花と灯りをテーマとした新たな観光で盛り上げようと、2003年にスタートした試みだ。
桜の季節を迎える前、3月初旬には「東山」で、紅葉が終わる12月半ばには「嵐山」で開催される。露地行灯に導かれて、ライトアップされた夜の京都をそぞろ歩きする企画で、老若男女問わず多くの人々が訪れる一大イベントとなった。京都いけばな協会も、初回より全面協力し、道中に大作いけばなを添えている。
昨年の花灯路で私が担当したのは、大堰川の中州にある中ノ島公園。嵐山の代名詞とも言える「渡月橋」を背景にして、貴人が乗る御座船を模した器に、高さ2mを越える赤松をいけた。足もとには大輪の赤いダリアと純白の百合を添えて、華やかに。この大堰川の中州、川風が思いのほか強い。特に朝夕は突風が吹くので、枝の固定はかなり厄介で、想像以上に神経を使った。
王朝の貴人たちも大堰川に船を浮かべ、詩歌や管弦、鵜飼を堪能したのだろう。風光明媚な嵯峨野*の地は、大宮人*にとっても絶好の行楽地であった。京都には、いにしえ人の息遣いを肌で感じることのできる風景が今も数多く残る。
残念ながら、花灯路は来年3月の東山をもって、いったんその幕を閉じる。花灯路という大きな波が一段落したとも言えるが、ここからまた私たちは新たな波を作り出さねばならない。
アート思考の気づきを提供する
今、いけばなの強みを生かした会員制ワークスペースを提供したいと、構想を練っている。キーワードは、先行きを見通すことが困難な時代にあって、注目を集める「アート思考」。最短距離で課題解決をめざすのではなく、自分の感情や気づきを大切にし、試行錯誤を繰り返し失敗しながら解決の糸口を見つけることがイノベーションに繋がるという考え方だ。この思考の過程も、「波」に似ている気がする。会員向けの勉強会等を通して、若年層のアーティストやビジネスパーソンに気づきを提供することで、アートとビジネスの融合をはかるのが目的だ。
失意泰然。厳しい時こそ、やせ我慢でよいのでどっしり腰を据え、次に向けて種を蒔こう。
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