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水道と梅とホタルの里の田浦|新MiUra風土記

この連載「新MiUra風土記」では、40年以上、世界各地と日本で20世紀の歴史的事件の場所を歩いてきた写真家の中川道夫さんが、日本近代化の玄関口・三浦半島をめぐります。第16回は、三浦半島の中東部、横須賀市田浦を訪ねます。

京浜急行田浦駅、以前某美術館の街歩きのワークショップ講座でこの駅に集合したことがある。「皆さんここで乗り降りしたことはありますか?」と尋ねるとおよそ三十人のなかで挙手する人がいなかったことを思いだす。田浦はよほど魅力も縁も無い町なのだろうか。

大泉町のホタルの里を望む旧田浦梅林の碑

田浦が梅の名所だということは意外に知られていない。神奈川県では小田原の曽我梅林が有名だが。三浦半島最大の田浦梅林(約2,700本)は東京湾を見下ろす丘陵に開花する。そして麓には三つのホタルの里があり、もう一つの顔は水道で、それは近代史インフラとしての日本遺産だった。

東芝ライテックの塀は旧横須賀海軍工廠造兵部

田浦の梅見と水系遊歩の前に、僕は駅前の国道を渡っためん処「船食」に寄る。地元に親しまれた創業90年の製麺所の食堂。船食は英語でship chandler。船舶に食材等納品する業者の意味で港町らしい響きがいい。ここ船越地区はいま東芝ライテック(旧横須賀海軍工廠造兵部)の城下町だ。そして横須賀遊郭の一つ皆ケ作かいがさくの花街でもあった。いまも料亭飯田屋やカフェ跡が残り講座の参加者には刺激的な記憶の場のようだった。

料亭飯田屋

船越神社で色街のふるいを落とし、船越隧道トンネルを抜けると田浦の里になる。

田浦四丁目の商店街入口

田浦のホタルの里のひとつ田浦4丁目へ向かう。文字が消えた商店街のアーチをくぐると、通行人はわずかで鰻店と酒屋だけが残っている。ずいぶん前から変わらぬ景色。酒店(明治創業)の主人は「いちばん賑やかだったのは海軍工廠のあったときでしょう」と。

田浦四丁目の商店街
水道みちに残る海軍標石

凝った和洋折衷建築のK氏邸が健在。路傍のあちこちに海軍水道標柱・標石が頂部をだし地中に埋まったまま残っていて、人びとの無関心もありがたいと思った。

京急本線の高架下をくぐると登りの坂道になり、それまでの巷と隔たれた隠れ里の様で僕はここが好きだった。

水道に特化したトンネル、盛福寺菅道隧道

この道は海軍の水道路(*1)で進むと田浦山隧道を抜けて盛福寺菅道隧道に突き当たった。このトンネルの入口は塞がれているが、昭和3年(1928)までは住民の通行が許されていたものだ。水道系の歴史ハイキングならば、このトンネルの山越えをして田浦配水場から逗子市沼間の旧ポンプ所跡にたどり着くことになる。

(*1)県北の愛川町|半原(はんばら)の水源から横須賀市逸見の浄水場まで53キロ、高低差68メートル(自然流下式)を直径50センチの鋳鉄菅を引き軍港水道が敷設(大正10年[1921])。経路は道路としても使われて今も「水道みち」とも呼ばれる。旧逸見浄水場(現逸見総合管理センター)の見学は制限あり。問合せ先:上下水道局経営部総務課
参考図書:「逸見総合管理センター(旧逸見浄水場)」横須賀市上下道局(2016)、「半原系統水道みち」横須賀建築探偵団(2015)

旧逸見浄水場(現逸見総合管理センター)配水池入口。全施設は大正10年(1921)に完成。セセッション様式(ウィーン分離派)のデザインが美しい
旧逸見浄水場 旧ろ過池
旧逸見浄水場 ベンチュリーメーター(流量計)は英国製

ホタルの里へは田浦山隧道の脇の小川へ下る。そこはかつてあるニュータウン計画の中止で廃墟村になった狭隘の地。のち地元民が水源清流のホタルの里として再生を試みた場所だった。今回5年ぶりに訪れたらみごとに更地になっていた。「太陽ソーラー村になるらしいよ」とは散策老人のことば。市立図書館でみたホタルの里(坂本谷戸)と記された昔の田浦地図のコピーをながめる。

廃墟村だった頃の四丁目ホタルの里
更地になっていた四丁目ホタルの里(2023)
田浦梅の里

ちょっと早いが梅見が気になっていた。毎年2月が田浦梅林まつりのはず。僕は桜より梅が好きだ。その香りと色で開花が待ち遠しくフライングぎみにホタルの里から梅の里に足が向いた。田浦梅の里へはそれぞれのホタルの里から四つのルートがあって、まずは旧田浦梅林へ(*2)。坂上から二つ目のホタルの里大泉町の谷戸を望み、開花時ならば急斜面の梅林越し眼下に赤い京急電車が疾走して、観光三浦半島のイコンのような写真が撮れる(表紙写真参照)。

(*2)大六天神が鎮座する鎌倉期からの山林に現上皇様生誕記念で植林(昭和9年[1934])

頂上の田浦梅の里・田浦梅林には青軸、加賀の白梅、養老の紅梅などが咲き誇るはずだがまだ蕾が閉じていた。それでも願いが通じたのか紅梅の一部が開いていて、地表に咲くスイセンの群生とともに目を愉しませてくれた。なにより展望台からの梅林と東京湾と房総のパノラマに長い冬を忘れた。

田浦泉町の市営住宅(2023)

帰路は三つ目の里、泉町への長い階段を下る。やがて「ホタルが住む川」と河岸に塗装された路を進む。かつて「温泉谷戸やと」と呼ばれたその先には市営住宅の廃屋村があったはずで治安が心配されていた。ところが現存している! おまけにその一部がリノベーションして新来な住民が移住していた。アートプロジェクト「HIRAKU」という横須賀市の再生計画が進行中だという。

泉町の谷戸の階段

この泉町谷戸のさらに奥、以前昼間からタヌキが駆けていた森へ進む。この渓谷を抜けると相模湾側の葉山に出られると聞いたことがあり、試してみようと思っていたのだ。三浦半島の秘境さがしは自分だけのプチアルカディアを見つける旅だ。

さてホタルの里にもどろう。いまもホタルが光を曳き舞う風景を見ることができるのか? 「翔んでるの見られますよ。ホタルが」というのはJR田浦駅への帰路に入った三野商店(昭和11年[1936]創業)の店主。「ことしの夏に観に来てくださいね」との送り言葉に、安堵と癒しをさずかった新年の田浦トレイルだった。

文・写真=中川道夫

中川道夫(なかがわ・みちお)
1952年大阪市生れ、逗子市育ち。高校2年生の時、同市在の写真家中平卓馬氏と出会う。1972年から同氏のアシスタント。東京綜合写真専門学校卒業。多木浩二、森山大道氏らの知遇をえてフリーに。1976年、都市、建築、美術を知見するため欧州・中東を旅する。以後、同テーマで世界各地と日本を紀行。展覧会のほか、写真集に『上海紀聞』(美術出版社)『アレクサンドリアの風』(文・池澤夏樹 岩波書店)『上海双世紀1979-2009』(岩波書店)『鋪地』(共著 INAX)。「東京人」、「ひととき」、「みすず」、「週刊東洋経済」等に写真やエッセイ、書評を発表。第1回写真の会賞受賞(木村伊兵衛写真賞ノミネート)。「世田谷美術館ワークショップ」「東京意匠学舎」シティウォーク講師も務める。

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