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夏のクラクション|文=北阪昌人

音をテーマに、歴史的、運命的な一瞬を切り取る短編小説。第23回は国語教諭が誰もいない教室で聴いた、ブラスバンド部のアルトホルンの音です。かつて三重県松阪市の祖母の家に預けられていた時に聴いた、ある音を思い出します。(ひととき2024年7月号「あの日の音」より)

 夏休みの教室には、誰もいなかった。夕陽が斜めに射しこみ、机や椅子の影を色濃く落とす。

 私は自分が担任する教室を、ゆっくりと見渡す。高校の国語教諭になって30年あまり。今も夏の夕暮れ時の教室が好きだ。いつものように、ブラスバンド部の練習が始まった。

 ファン、ファーン!

 アルトホルンの音が聴こえた瞬間、急に胸が締め付けられるような郷愁を覚えた。何度も聴いていたはずなのに、今日はなぜか違って聴こえる。

 昨晩、祖母の夢を見たせいだろうか。この音は似ている。櫛田川くしだがわ沿いの細い山道を行くバスのクラクションに……。

 幼い頃、1年間だけ、母の実家に預けられた。母は病弱で妹や弟の世話だけで大変だった。しっかりした長男だと思われていた私は、三重県松阪市の飯高町いいたかちょうの祖母のもとに預けられることになった。事情を頭で理解しようとは思ったが、結局、母は妹や弟のほうが可愛いんだと、すねたような気持ちになっていた。

 東京の小石川の小学校に通っていた私にとって、飯高町はとてつもなく田舎に思えた。当時は、松阪駅からバスを乗り継がないと辿りつけない場所だった。

 櫛田川沿いの細い山道。対向車がくれば、すれ違える場所まで戻らねばならない。

 じりじりと後退するバス。崖の下に落ちるのではないかと、いつもヒヤヒヤした。

 祖母の家は古い木造平屋建て。電気も水道もなく、夜はランプ。水は井戸だった。祖母はすでに高齢で耳が遠く、うまく会話が成立しない。心細かった。でも、「お兄ちゃんはしっかりしてるから、大丈夫よね」と母に言われた言葉を反芻はんすうする。

 ファン、ファーン!

 バスは山道をやってくると、対向車への合図で、クラクションを鳴らした。その音を聴くたびに、「ああ、お母さんが迎えに来たかな」と思ってバス停まで駆け下りた。何度も何度もバス停に走ったが、母はなかなかやってこない。落胆して家に戻ると、祖母が私の頭を撫でながら、必ずこう言った。

「お母さんも、忙しいんやろ。そのうち来るから、あんじょうしとき」

 あんじょうしとき、とは、キチンとしていなさいという意味だろうか。祖母の優しい言い方で、私はなんとか気持ちを保つことができた。

 祖母が亡くなってから知った。何通も母に手紙を書いていてくれたこと。私が寂しがっている様子やバス停に走る姿を手書きの文字にして伝えてくれたのだった。

 結局、母が迎えにくるのではなく、自分ひとりで祖母の家を去った。バスに乗るとき、祖母は私に握り飯を渡し、言った。

「あんじょうしいや」

 後部座席から見る祖母がどんどん小さくなっていく。

 ファン、ファーン! クラクションが鳴った。

 オレンジ色に包まれる教室で、私は明日、祖母のお墓参りに行こうと思った。夕闇迫る空に、またひとつ、クラクションが鳴った。

*この物語はフィクションです。次回は2024年9月号に掲載の予定です

出典:ひととき2024年7月号

北阪昌人(きたさか まさと)
1963年、大阪府生まれ。脚本家・作家。「NISSAN あ、安部礼司」(TOKYO FMほか38局ネット)などラジオドラマの脚本多数。著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)など。

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