詩人にして名随筆家・薄田泣菫と鷹峯の光悦寺|偉人たちの見た京都
明治から大正にかけて、詩壇の寵児として活躍した薄田泣菫(1877~1945)。島崎藤村や土井晩翠によって拓かれた日本の詩の世界を受け継ぎ、それをさらに高めた浪漫派、象徴派詩人の第一人者です。22歳で刊行した第一詩集『暮笛集』で注目を集め、1906年の『白羊宮』で詩人としての地位を確立しました。
その泣菫が随筆・散文の名手だったことは、あまり知られていません。早熟の詩人であった泣菫は、1908(明治41)年に最初の随筆集『落葉』を発表して以来、徐々に詩作から遠ざかっていき