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あなたと新幹線と60年。

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この60年間、家族団らんのご旅行や大切な人との再会、新生活への門出など、皆様の様々な場面で、皆様の大切な時間を支えるべく、東海道新幹線は走り続けてきました。開業60周年を迎えるに…
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記事一覧

新幹線に乗ると気付く、親の愛情──東海道新幹線60周年エピソード【大賞作品】〔PR〕

sponsored by JR東海 私の父は、頑固で気難しい人でした。 私の言葉遣いや振る舞いの一つ一つに、いちいちケチをつけてくる父を鬱陶しく感じ、私は地元を離れ、東京の大学に進学することを決意したのです。 上京する日、父は豊橋駅まで車で送ってくれました。新幹線には今まで何度も乗っており、何番線のホームに降りればよいか、自由席は何号車か分かっていました。それにもかかわらず、今日はわざわざ入場券を買ってホームまで見送ると言うのです。 父はせっかちで、駅にはだいぶ早く到

新幹線は家族との絆をつなぎ止める大切な存在──東海道新幹線60周年エピソード【入賞作品】〔PR〕

sponsored by JR東海 20年前のこと、私は当時所属していた会社の都合で大阪から東京へと転勤となり、日々の業務に勤しんでいました。私の実家は愛媛にありましたが、仕事の忙しさからお盆やゴールデンウィーク、年末年始といった休日にも帰省することができず、家族に会えない日々が続いていました。 ある日、突如として母からの電話が入りました。「お爺ちゃんが急に倒れて、病院に運ばれた」との報せでした。その時、私は東京にいました。直ちに愛媛へ帰らなければならない状況にあったもの

新幹線は魔法の乗り物──東海道新幹線60周年エピソード【入賞作品】〔PR〕

sponsored by JR東海 「おはようございます!」 新卒の私は、リュックを背負っていそいそと職場の更衣室に入る。お気に入りの服を脱ぎ、保育着に着替える。よかった、誰にも会わなかった。朝から浮き足立つ姿を見られたくはない。 この日は三連休前の金曜日。大学卒業後、遠距離になった彼氏に会いに行く日だ。仕事をさっさと済ませ、定時に帰れば、静岡には20時に着く予定。何としても定時に帰る。そう決心して保育室に入る。 そして、あっという間に夕方。にこやかな顔で定時に保育室

新幹線通勤の思い出──東海道新幹線60周年エピソード【入賞作品】〔PR〕

sponsored by JR東海 都内に勤め一人暮らしをしていた私は、父が他界したあと母と暮らすために伊豆の実家にもどり、三島駅から東京駅まで新幹線通勤をしていた。自宅から職場まで片道2時間、そのうち1時間は新幹線で過ごした。今から30年ほど前のことである。 三島始発の新幹線にはこれから仕事に向かうであろう人たちが思いのほか乗っており、なんとなく乗る席や車両が決まっていた。私は始発に乗る人たちを勝手に「同志」だと思っていた。名前も知らないし、話したこともないのにだ。席に

10才の娘と初めての2人旅──東海道新幹線60周年エピソード【入賞作品】〔PR〕

sponsored by JR東海 この春、10才の娘と初めての2人旅をしてきました。行き先は大阪。 東海道新幹線のぞみで東京駅から新大阪まで2時間半の旅です。 娘は初めての新幹線、そして大阪、ユニバ旅行となり、予約をした3か月前から毎日がワクワクの日々でした。 親の私は何回か新幹線の乗車経験もあり、大阪もユニバも経験済みでしたが娘同様に毎日楽しく準備期間を過ごしている自分に驚きました。 というのも、私は幼少期から旅の記憶が薄く、仲間や家族にエピソードを言われても写

別れの涙、夏への期待──東海道新幹線60周年エピソード【入賞作品】〔PR〕

sponsored by JR東海 「帰りたくない!ずっとこっちにいる!」 春休みも終わる4月の初頭、新大阪駅では多くの親子連れを見かける。 帰りたくないと泣く子供に、また夏に来ればいいよねとなだめる親御さん。この時期の風物詩だ。 新幹線を待つ列でそんな光景を横目に見ながらふと思い出す。そういえば、私も小さい頃は別れ際に泣いていた子供だったな。 学校の長期休暇には祖父母宅に帰省をしていた。すごい速さで移動する乗り物、どっしりと鎮座する富士山、親戚のつどい、無機質なベ