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新MiUra風土記

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この連載では、40年以上、世界各地と日本で20世紀の歴史的事件の場所を歩いてきた写真家の中川道夫さんが、日本近代化の玄関口・三浦半島をめぐります。
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#葉山

木古庭、葉山の奥へ|新MiUra風土記

三浦郡の葉山町はマリンスポーツの人気地で、御用邸や保養地文化の歴史もあり「湘南」のイメージを喚起する町だが、それらは海浜なのになぜ地名は葉山なのだろう? その昔、隣の逗子市で過ごした筆者は浜風にあたるだけでも至福にひたれる。やはり海の力はすごいものだ。ただ思えば葉山でも海の側ばかりに居た気がする。 葉山町は相模湾に沿って南北4キロ、大半は山と丘陵で逆コの字形に山地が海に迫っている。山の端、そこで端山から葉山へという説がある(*1)。 葉山のもうひとつのおもしろさはその地

葉山コーストパス|新MiUra風土記

 知り慣れたはずの海町を、視点をかえて歩いてみたら、もうひとつの葉山が見える。 「きょう逗子の駅で天皇陛下を見たよ!!」と興奮ぎみで話したのは大正生まれの母だった。それは昭和40年中頃のこと。当時、天皇が葉山の御用邸へ出かけるのは、原宿駅からお召し列車で逗子へ。その駅頭からは御料車で葉山の一色に向かうと聞いていた。  母が駅で出待ちしていたのか、ただの偶然だったのかは分からない。  母が昭和天皇に拝謁するのは2度目だったが、敗戦をはさんで逗子で天皇と再会したときの気分は