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はじめに

手製本を仕事にしています。
てせいほん、と言われてぱっとイメージが頭に浮かぶ人は少ないと思う。
手で本のかたちをつくる仕事をしています。
まだまだぴんとこない、だろうか。

約15年前、手製本と出会った。
約10年前、仕事にしようと決めた。

それからというもの、手製本がつなぎ、結んでくれる世界に魅了され、私は「空想製本屋」という屋号で仕事をつづけている。

手製本は、紙や糸、革、布などの素材を用いて、手で本を作り上げる技術。
世界各地で本というかたちが生まれて以降、その技術はその土地や文化の中で様々に育まれて来た。
手製本が、工芸にも至るものとして発展してきたヨーロッパ、その豊かな世界に触れて、けれど
それをただ日本に輸入するだけでなく、日本でだからできる手製本のあり方を、試したいと思った。
誤解を恐れずに言ってしまうと、私の興味は手製本の技術だけにあるのではない。
手は技術に寄り添い、かつ足元はこの地にしっかりとつけ、目は手製本の技術の向こう側、手製本が繋いでくれる世界を見ていたいと思う。

手製本を通して、本と人とをつなぐ。
本と人、人と人との関係性が、手製本によって紡がれ、育てられていくこと。
この根は、15年前から揺らいでいない。

本というものは、とても自由で、また時に不自由で、深淵で、変化し続け、また不変でもあり、何ともつかみ所のない、またそれだけにとても魅力的な存在だと思う。
人間の営みとともに歩み続けてきた本は、紛れもなく、人間の手から生まれたもの。
書店に同じ顔をして陳列されている本を見慣れている現代の私たちは、そのことを忘れてしまいがちだ。
一冊一冊手で本を作り始めると、本は隠されていた色んな顔を見せ始める。自由に歩み始める。
およそ本になるとは考えられなかったもの…コーヒーの染みのついた紙切れや、チケット、葉っぱや木の実だって、まとめて綴じれば、一冊の本になり、ある佇まいをまとい始める。
長く読み継いで来た本を修理したり、写真を思い入れのある素材で本に仕立てたり、作品やことばを載せるかたちも、とても自由だ。

そう、私たちのまわりに本は溢れている。目に見えるものも、見えないものも。
こと・ものに輪郭を与えて、身体を与える、手に取って温度や質感を感じられる本にする。
私たちの身体感覚と、手と本のつながりが濃く、深くなるように。
そして手製本によって、本がつなぐ人と人との関係性が豊かに広がっていくように。

…そんな世界に近づきたくて、この10年、仕事をしてきた。
どれだけ近づけたかは、わからないのだけれど、たくさんの人や本との出会いがあった。
そしてふと、これまでを振り返ってみたくなった。
植物が、時に切り戻しをしないと先に伸びていけないように、人も仕事も、前へ前へと進んでいた時間を一歩止めて、考える時なのかもしれない。

これから始まる文章が、これまでとこれからを繋いでくれる糸となるように、そして
大切な人たちや、周りの人たち、知らない誰かの気持ちを少しでも照らしてくれるものになれたら、嬉しく思う。

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