見出し画像

自分の”鬱”を受け止める。

去年11月から産業カウンセラー養成講座にエントリーして、ワクワクドキドキ、楽しみに通い始めましたが、一日みっちりやる講座で感情が動いたり、疲れで脳が働きにくくなることで急に不安感が増し、とても迷った結果講座を一度リタイアすることにしました。

自分が通ってきた道を学問を通して振り返ったり、同じ辛さを感じている人の助けになるための学びができる気がして、本当にやりたいことでした。

本当にやりたい目の前にあることを、自分の中の”実体のない不安”が原因で諦めることはとても悔しく、引き裂かれるような思いでした。いまなら「また受けなおせばいい」ってシンプルに考えられるけれど、当時は視野が狭くなっていてただひたすら「講座を受けきれるのか・・・」「テスト大丈夫なのか・・・」と不安が不安を呼ぶような感情を抱えていました。

キャンセルの連絡をし、先生にもお手紙を書いて気持ちを整理し、予約してあったカウンセリングですべてを泣きながら話しました。

・もう体調的にも精神的にもできるとおもっていたこと。
・二日行っただけで知りたいことが知れる場所だとわかったこと。
・だからこそ悔しくて仕方ないこと。
・自分の中の不安を自分でふくらましていることは気が付いていたけれど、制御することができなかったこと。
・まだ不安を膨らませる「病理の芽」があることがショックだったこと。
・こんな状態ではこの先働くことなど不可能ではないかという不安。

そんななかでカウンセラーさんの口から出た一言は、
「トラウマ関連の鬱は、完全に治すことは難しい」というフレーズでした。

どこか自分の中で、自分が鬱であるということを受け入れ切れていない節があるので、「自分の中の生きにくさを消すことができない現実」に、さらに途方に暮れて家路についたことを覚えています。

しかし数日たってふと、自分の状況に対して視点が変わるタイミングがありました。

今年活躍するだろうパラリンピックの選手たち。
彼らは、治らないものを受け入れて、できる範囲の中で努力して挑戦をしている。
なのに私は、治らないものをただひたすら治すことに目を向け労力を使い、その通りにならなくて憤慨している。。。 その完治させようというエネルギーを、もっと「明るくて発展的なもの」に使ったほうがいいのではないか!

そう思ってから、自分の中でもっと人生を楽しもうという気持ちが膨らみ始めました。これが私の、本当の意味で「鬱を受け止めはじめた」タイミングだったのだと思います。

中途半端でもいい、未完成でもいい、鬱でもいい、無職でもいい。
自分が人生の幕を閉じるときに「大変だったけど喜びと楽しみにも恵まれた人生だったな」と振り返れるような、そんな時を過ごしていきたい。今は少し物事がシンプルになってきたように感じます。

これからまた、鬱と私との関係が変化していく様をここで記せたらなと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?