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気付けば周りは”父”だらけ=自分史⑤=

父の顔色を窺って育ってきた私は、自我が育たなかったため気づくといつしか父のように物事をはっきり言う人の近くにいることを選んできたような気がします。それは男女問わず。

高校の時から仲が良かった親友は、自分の意思疎通をはっきりし、喜怒哀楽も鮮やか。ユニークな彼女といて毎日笑いながら、彼女のしたいことを一緒に叶えるのが楽しい日々でした。

しかし同時に、調子が悪くなったりして約束をキャンセルせざるを得ないとき、怒られはしないかと内心ハラハラしながら連絡をしていた記憶があります。

楽しそうに恋愛の話をする彼女からいつも言われたことは、
「あなたは自分の話を全然しないね、最近どうなの?」
その質問をされても自分の話をしていない自覚もないし、そもそも話したいこともない。ただ困惑するばかりでした。

また、鬱真っただ中だった時にすごく助けてくれた女友達にも同じ傾向が。
小さな一歩を進むことすら死ぬような恐怖を覚えていた私は、彼女にどうしたらいいか逐一相談し、意見をもらわないと物事を選べなかった頃がありました。今振り返るとすごく昔のことのように感じますが、ここ十年以内の話です。

この傾向は友達に限ったことではありません。
大学のゼミの先生も、イギリス留学時にお付き合いしていた方もそうでした。

怖い、傷つけられたくない、嫌だと思う反面、無意識に同じ傾向の人を周りに集めようとしていた私。

それは自我のない自分が、選択の多い世の中を今までの自分のやり方通り生きていくために必要なことだったのでしょうと、今では思います。

しかし自分が変わっていく中で、その関係にもどんどん変化が生まれるようになってきました。
きちんと思いを伝えて分かり合って、今対等に話せる関係になった人。
分かり合えず疎遠になった人。喧嘩別れした人。
(この周辺は思うところがあるのでまた後日、追って書きたいと思います)

辛い経験もしましたが、それが”自分を生きるため”に通る道であるのであれば、私はこれから何度でも通るであろうと思います。
二度と人に決められるレールに乗らないために。

(続)

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