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【エッセイ風】LINEの既読論争を黙らせる伊勢物語

 LINEって、既読がつくからこそ返事が待ち遠しくてやきもきしたりする。この間、ふと開いた伊勢物語がなんだか胸に刺さった。

昔、もの言ひける女に、年ごろありて、
いにしへの しづのをだまき 繰りかへし 昔を今に なすよしもがな
と言へりけれど、なにとも思はずやありけむ。


(昔、逢瀬を持った女に、何年か経って、
「古の倭文の苧環を繰り返し同じように何度も回し糸を繰り出すように、私たちの関係も、もう一度あの頃に戻りたいものだ」
と言ったけれども、女は何とも思わなかったのか、返事はなかった)

伊勢物語 三十二段

 伊勢物語にはいくつもの短いエピソードが並ぶ。これはかなり有名な歌なのに(白拍子の静御前が、源義経のまえでこの歌を少し変えて歌ったという話がある)、たったこれだけで終わる。

 書きぶりがびっくりするほどドライに感じられるけれど、ここには書かれていない葛藤や後悔や愛情が渦巻いていたんだろうなとか想像してみる。しばらくぶりに連絡を取ってみる不安や期待、疎遠になってしまった苦々しさ。ただ、それは書かれない。割り切った事実と印象深い歌があるだけ。思いの丈の顛末を言葉を尽くして語れば抜け落ちてしまう趣もある。書き尽くさないことが大事なこともある。

 むかしの絆が途絶えてしまった懐かしい女のひとに、歌を送ったけれど、心は同じでなくなってしまったのか、便りは来なかった。三行ほどのエピソードが千年の時を超えて読み継がれてきたと思うと震える。大きな哀愁や無常を前にすると、じぶんの些細ななやみは、取るに足らない気がしてくる。
 LINEの返事を待ちながら、そんなことを考えていた。


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