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【エッセイ風】細かすぎて伝わらない一節

 「三四郎」が好きだと言ったのは、何年か前、国際学会から帰国する航空便で隣り合った老紳士だった。リクライニングボタンのありかを巡って会話が始まり、話題は旅の目的や仕事から、本に移った。メジャーな観光地ではなかったから、久しぶりに日本語が通じる相手に会った感慨もあったかも知れない。
「美禰子さんがお辞儀をするところが印象に残っている」とその人は言った。読んだことはあったけれど、咄嗟にその場面を思いうかべられなかった。
 帰国したあとで、本棚から日焼けして黄ばんだ「三四郎」の文庫本を取り出した。該当のページにあたりをつけようとして、結局はもう一度、最初から読み解く羽目になる。探し当てた、その部分がこちら。

女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろ礼のしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。

青空文庫 夏目漱石『三四郎』

 初めて会った人、もう決して会うことのない人が口にした一節が「三四郎」にまた違った色の栞を加えたのが、なんだか面白かった。漠然とストーリーの良しあしを論じるよりも鮮烈に記憶に残るし、その人の個性が現れる。読書好きの人がスペシフィックな「この場面、この描写」へ捧げる愛着は案外、はかりしれない熱量を持っているのかもしれない。
 誰にも伝わらないほど細かいけれど、とても好きと言える表現を、そういえばわたしもいくつか蓄えてきた。「桜の樹の下には」の中の「信じる」「夢のように」という言葉、「春の雪」の中の「水準計」の描写、「夏の終り」の畳に転がって喚くところ等々。ひとりひとりが密かに温めてきた一節を共有できたら、楽しいんじゃないかと思ったりする。
 ちなみにわたしが「三四郎」のなかで好きな言葉は「光線の圧力」。

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