きつねの地下壕巡り

大学生が挑戦する戦争遺跡研究。知られざる本土決戦遺構の全貌把握を目指します。活動範囲は…

きつねの地下壕巡り

大学生が挑戦する戦争遺跡研究。知られざる本土決戦遺構の全貌把握を目指します。活動範囲は九州と関西。基本は地下壕系で、地上遺構は滅多に無いです( ´艸`)。

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  • 【幻と消えた2つの天皇御座所】 シリーズ

    大戦末期、長野と奈良に極秘裏に計画・構築が進められた地下壕。その実態は、天皇陛下を迎え入れるために造られたモノだった…!?

最近の記事

    • 現在調査中の某所地下壕。 証言によれば、市役所の書類等を空襲から守る為に構築されたとか。 坑木自体は残っていないものの、支保工の跡が壕全体に渡り現存しています。 終戦直後、付近住民が壕内の入り口近くから坑木を持ち出したらしく、多くの地下壕が崩落してしまったようです。

      • 祖父の見た”グラマン”

        それは昭和20年、終戦の少し前の出来事であった。 著者の郷里、熊本県人吉市にはかつて旧軍の人吉海軍航空隊(高原飛行場)が存在していた。教育航空隊として建設されたものだが、戦局の悪化に伴い、特攻機の中継基地としての役割を持つようになってきていた。 1945年3月18日及び5月14日、人吉基地はアメリカ軍による空襲を受ける。 軍属・民間あわせて数十人の犠牲者が出た。 私の祖父は生前、「この空襲に向かう艦載機を見た」との話をしてくれた。 それは昭和20年(3月か5月かは不明だ

        • 幻と消えた2つの天皇御座所  ①マツシロとヤマト 大本営移転計画と経緯

          【まえがき】  本日より数回にわたり紹介させていただくのは、太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転の為に掘削された二か所の地下壕です。一つは長野県長野市松代一帯に構築された、所謂「松代大本営跡」。そして、もう一方は奈良県天理市豊田町に構築された、俗に「天理御座所」と呼ばれる地下壕です。今回は歴史的背景を考慮した結果「天理御座所」ではなく、この地下壕が現存する山の名前から、「豊田一本松山 御座所地下壕(仮)」と表記します。予めご了承くださいませ。               

        • 現在調査中の某所地下壕。 証言によれば、市役所の書類等を空襲から守る為に構築されたとか。 坑木自体は残っていないものの、支保工の跡が壕全体に渡り現存しています。 終戦直後、付近住民が壕内の入り口近くから坑木を持ち出したらしく、多くの地下壕が崩落してしまったようです。

        • 祖父の見た”グラマン”

        • 幻と消えた2つの天皇御座所  ①マツシロとヤマト 大本営移転計画と経緯

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        • 【幻と消えた2つの天皇御座所】 シリーズ
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          当noteについて

          ご覧いただきありがとうございます。 【ご挨拶】 お初にお目にかかります。筆者でございます。以前はFC2のほうで活動を行っておりましたが、まさかのID紛失で...。というわけで、このnoteでは地下壕好きの変〇大学生が、戦争遺跡を全般に、その保存方法や活用方法を模索しつつ、写真記録などを残していくものとなります。 【当面の目標】 来るべき戦後80年に備え、戦争遺跡の保存方法を、考古学的視点から研究する。又、実態の把握しきれていない、所謂”本土決戦遺構”を、フィールドワー