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日常記憶地図へのいざない

地図をなぞる。
ただそれだけのことが、自分の奥底に眠っていた記憶を引っぱりだしてくれる。
自分は、これまで過ごしてきた時間の積み重ねで作られている。
地図をなぞって湧き上がってくるいつかの風景と向き合ってみたら、自分の輪郭が少しくっきりとした気がした。
私は私でしかない。良くも悪くも。

「本と川と街」で「日常記憶地図」ワークショップを企画している黒崎亜弓と申します。屋号は「ことばのにわ」。文を書いたり、編集したりしています。イベント企画なんてこれまで考えたこともない私が〝言い出しっぺ〟となったのは、「日常記憶地図」の発案者であるサトウアヤコさんに『深川福々』でインタビューした際、少しだけ体験させてもらったことがきっかけです。

私のように「日常記憶地図」に出会えてよかったと思う人はきっといるはずだから、体験できる機会を作ろうと思いました。「本と川と街」のコンセプトである「たちどまる、ふりかえる、そして、あるきだす。」は、「日常記憶地図」を経た私の心持ちを言い表すような言葉でした。

日常記憶地図ワークショップは、サトウアヤコさんを講師に、少人数でそれぞれが自分の記憶、親しい人の記憶と向き合える時間です。

2021.11.20-21   日常記憶地図ワークショップのご案内

はじまりは、MOTの1室

「日常記憶地図」を知ったのは、2019年秋のこと。東京都現代美術館で開かれた「ひろがる地図」展だった。サトウアヤコさんによる《日常記憶地図 深川・清澄白河編 1960-2019》は、8人がそれぞれ子どもの頃や若い頃を振り返って書き込んだ深川エリアの地図と、場所にまつわるその人の思い出が展示されていた。

日常記憶地図_MOT展示

「日常記憶地図 深川・清澄白河編 1960-2019」(2019)

2000年代から深川に住み始めた新住民の私にとって、都電に佐賀町エキジビットとか、キーワードだけ聞いていたかつてのまちを、生き生きとしたエピソードから思い浮べることができた。いまここにある景色に、時代ごと、語る人ごとの風景が重なり、まちが記憶の層を持ったものとして映ってくる。

とても印象深い展示だったので、冊子にする予定を知って、サトウさんにメッセージを送った。冊子を手に入れたいのはもちろん、ボランティアスタッフとして携わっているフリーペーパー『深川福々』で取り上げたいと思った。

日常記憶地図_冊子

《日常記憶地図 深川・清澄白河編 1960-2019》

2020年12月に冊子が届いた。そして2021年3月、『深川福々』の取材のためサトウさんにお会いし、日常記憶地図を少しだけ体験させてもらえた。

「小学生ぐらいがオススメですがいつの時期でも」と事前のメールにあったので、高校卒業まで過ごした静岡の実家の住所を地図サイトの検索窓に打ち込む。地図の範囲はどのあたりまでだろう。南の端は、夏にお祭りに行った公園かな。東の端は、キックベースで遊んだ公園だろうか。北は、西は・・・。

地図を画面で見ながら縮小・拡大ボタンを押す時からもう、子どもの頃のあれこれがよみがえってきた。

ささいなエピソードの集積として

取材の日、お話を聞いたあと、地図を前に赤ペンを手にとった。まず家の場所を書き入れる。よく行った場所に印をつける。歩いた道に線を引く。よく行った場所は毎日、毎週、それに毎年。毎日は小学校、毎週は習い事とか。毎年は、夏祭りの公園のように季節ごとの行事だったり。

「ほかにありませんか?友達と遊びに行った場所とか、家族で出かけたお店とか」とサトウさん。そういえば、ここの通りにあったラーメン屋さんに日曜の昼、父に兄と連れられて行った。外食が苦手の母は留守番だった。

一通り書き入れたら、次は1つ1つの場所について、なんのために行っていたのか、どんなふうに過ごしていたのかを思い出していく。土曜の午後じゅうを過ごしたピアノ教室や、おつかいに行った大判焼き屋のことを、こんなにつぶさに振り返る時が来るとは思いもしなかった。

1つの場所について思い出していると、つられて近くの場所が出てくる。大判焼き屋の並びのお弁当屋さんに買い出しに行った。実家はお茶屋だったから、新茶が出回るGWは食事の支度をする間もない忙しさで、昼も夜もお弁当だった。家族三世代に従業員の人たちの分、のり弁10個とか両手に下げて帰った。

スーパーと家を結ぶ線を、角を丸く強調して引いたのは、母が交差点を自転車でショートカットしていたから。夕方、店番をつかの間、祖母にまかせて買い物に急ぐ母の後ろで、必死に腰にしがみついていた。(当時の自転車に今のような子乗せ台やベルトはなく、体ひとつで荷台にまたがっていた)

日常記憶地図@静岡

いずれも、今この場につづるのもためらわれるような、ささいなエピソードばかりだ。何か静岡の土地を表すわけでもない、ある小学生のありふれた日々。地図に書き出してみたら、行動範囲はとても狭かった。でも、あの頃の私は、その小さな世界でジタバタしていた。

サトウさんとのひとときの後も、何かのフタが開いたように記憶が頭を巡っていた。子どもだった自分の心持ちが感じとれて、小さな私がなんだか愛おしかった。今の自分はその延長線上にいる。

ワークショップの機会を作る理由

今を離れていつかの風景を旅するためには、旅の時間を用意しなければならない。「時間が空いた時に自分でやってみよう」と思っても、慌ただしい日常では、時間は目先のことに使われてしまいがち。だから、ワークショップの機会を生かしてほしい。

ワークショップではサトウさんの説明をきいた後、1時間ほどかけて地図をなぞり、場所の思い出を「日常記憶地図ノート」に書く。そして、書いたなかから1〜2カ所のことを話し、その場で同じように記憶の旅をした数人で共有する。

参加者同士、肩書きや職業だとかの自己紹介はしない。だからこそ他者を、自分と同じように記憶を抱えた人として感じとれる場になるんじゃないかと思う。

「本と川と街」のプログラムとして準備するなかで7月、実行委員や企画にかかわる人たちと一緒にプレワークショップをオンラインで行った。私は、今度は働き出して間もない頃の赴任地である佐賀の地図をなぞった。参加メンバーから語られた土地はどこも行ったことがなかったけれど、その人の子どもの頃、あるいは若い頃の暮らしの場として知るという回路は面白かった。

当たり前のようだけど、あちこちの土地に、そこで過ごした人の記憶がある。今、かかわりを持っている人たちは、私と同じように積み重ねてきた時間を持っている。

親しい人の記憶を聞く、関係が変わる

ワークショップは、「自分の記憶を呼び起こす」1人参加の回と、もうひとつ、「親しい人の記憶を聞く」という2人参加の回を開く。それは、『深川福々』のインタビューでサトウさんから伺った、「固定している家族の関係が変わる」というお話が心に残ったからだ。

サトウ 自分にとっての家族は、生まれた時から親だったり、祖父母だったりしますが、その人たちにも子ども時代があります。たとえば母親になる前の少女だった頃を、場所を介してイメージできれば、「親と子」に固定している関係が変わります。逆に、自分の「日常記憶地図」を残しておくと、30年後に子どもが興味を持って読むかもしれません。
 家族がそれぞれ違う記憶、違う世界を持っていると分かれば、お互いに尊重できるのではないでしょうか。  
  (『深川福々』

ふかぷくサトウさんの号

親の記憶を聞いたり、夫婦やパートナー、兄弟姉妹で互いに記憶を聞き合ったり。
これこそワークショップという機会でもなければ、なかなか出来ないことだと思う。

サトウさんは、今の自分が書く「日常記憶地図ノート」は、いつか誰かに読まれるかもしれない、パーソナルに受け渡される本でもあるのだと言う。本は、印刷されて大ぜいに読まれるものばかりじゃない。手書きで、数人だけが読むものもまた、本なのだ。

2021.11.20-21   日常記憶地図ワークショップのご案内

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