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能登半島地震被災地取材レポート

 2024年元旦の能登半島地震から1か月半が過ぎた2月15日から1泊2日で能登半島取材に行って来た。

切り貼りして作成。移動経路は正確には把握できていないため不記載。


1.能登半島の取材に入った理由

 昔からフォトジャーナリストに憧れていた私は、東日本大震災の際も現地取材に入りたかったが、当時は会社員であり、自由が効かなかったために現地に入れたのは大震災から2か月近く経ったゴールデンウイークに入ってからだった。
 しかし現在は完全にフリーの身であるため、いつでも取材に駆け付けることのできる最高の環境にいる。念願のフォトジャーナリスト活動ができると、ワクワクした気持ちを持ちながら計画を立てた。

 今回は、能登半島地震に関して、憶測を基に様々な噂がネット上に流れており、その検証記事を書いたこともあり、現地を自分の目で見てくる必要性を感じていた。

 本来は2週間ほど前に行く予定だったが、体調を崩して断念していた。現地の状況が分からず、どこまで行けるのか、宿はどこに取れるのか、トイレを使えるのはどこまでか(断水のため)、支援目的以外の人間が行くことが迷惑にならないのかなど気になることがあったが、サルサ岩渕さんのレポートである程度の状況が掴め、車で行っても迷惑にならないことが分かり、取材をできる手応えを感じて今回の計画に繋がった。

 この2週間の間で道路の復旧がそれなりに進んだ一方で街中の復旧はほとんど進んでおらず、被害の大きかった地域の被害状況を記録できた点で、結果的に今回はベストタイミングだったのかもしれない。

 金沢まで新幹線で行き、そこからレンタカーで、金沢の宿を拠点に1日目は輪島、2日目は珠洲市を中心に取材をして来た。

 費用削減の意味もあり、ユーチューバーの「愛国女子見習い」のLizzyさん、そのお友達の3人での取材となった。

2.初日

 11時過ぎに金沢に到着。
予定では、レンタカーで志賀原発に行き、そこから戻って15時から宇宙科学博物館コスモアイル羽咋(17時閉館のため)に行く予定だった。ちなみにこれはUFO好きの私の趣味であり、映画「レターパック裁判」の撮影でご一緒した方から「能登に行くなら行くべき」と勧められたのがその理由。

 つまりこの日はランチの時間を考えると、取材時間が3時間ほどしかなく、志賀原発までの往復でほとんど終わってしまう。金沢に来るためだけの日のような位置付けだった。

 しかし、先にコスモアイル羽咋に行くことをLizzyさんから提案され、そうすれば取材は日が暮れるまで可能になることに気付き、まずはコスモアイル羽咋に行くことにした。

3.宇宙科学博物館コスモアイル羽咋

 ところが、コスモアイル羽咋に着くと、何と「冬季メンテナンスのため、2月13日から21日まで休館」の貼り紙!😱

 がっかりしたが、これで取材に当てられる時間がさらに2時間増えた!
 後からコスモアイル羽咋に行っていたら、15時から日が暮れるまでの3時間を無駄にするところだった!Lizzyさんに感謝だ!🙏

4.サルサ岩渕さんを真似て志賀原発へ

 コスモアイル羽咋を出て、まずはランチの海鮮丼を食べてから、オイル漏れ事故のあった志賀原発へ向かった。目的は、放射線量を測ることと、敷地周辺の地割れの有無、程度を確認することだ。東日本大震災の際に入手したウクライナ製のガイガーカウンターを持って行った。

 能登半島の西側の海岸線に沿って走る。志賀原発までは、建物にも道路にも目立った被害は見られない。

 志賀原発の前まで来ると、「受付」との看板があったので、とりあえず車で中に入る。

 ガイガーカウンターで放射線量を測っていると、職員が近付いてきて「何のご用ですか?」と訊かれたので、「東京から来たフリージャーナリストです」と答え、中には入れないと言われたので、ここからは原子炉建屋が見えないことを確認して駐車場を出た。

数字は平凡なものだった。やはり放射線漏れはない。

 少し走ると右側の塀越しに排気塔が2本見えてきたので、原発建屋だと判断して写真を撮った。

 志賀原発を過ぎたトイレの駐車場ではようやく地割れが見られた。

 また、海を見ると、漂着物が海面から何メートルか高い場所に溜まっていたので、この辺りも土地の隆起があったのではないかと感じた。

 この時点で13時だったので、輪島に向かって、行けるところまで行ってみることにした。

5.自衛隊基地を発見

 スマホのナビを見ると、至るところで通行止めになっている。輪島に繋がるルートは限られ、カーナビとスマホのナビの示すルートが異なり、何時に輪島に着くか予想が付かない。

 本来であれば海岸線沿いに輪島に行くのが一番早そうだったが、北上するとすぐにその道は通行止めになったため、東側の山道を通るルートを行くことになった。

 しばらく行くと、左手に自衛隊の車両が何台も止まっている場所が目に入った。
 車を停めて、自衛官に話を聞く。

 彼らは旭川の部隊で、ここは市民にお風呂を提供するための基地だった。
 この辺りは水は出るそうだが、大量の水を使う風呂は使わないように指示が出ているそうで、近隣の住民が車でお風呂に入りにやって来るそうだ。

 待ち時間に休憩するためのテントの中には、子どもが楽しめるように折り紙や手作りの塗り絵と共に、ここを訪れた方が感想を書くためのノートが置かれていた。

 彼らの他の活動としては、支援物資の搬送はしておらず、市に寄贈された支援物資がここに運ばれて来て、それをここに来た市民に配るそうだ。

 テントを出て再び隊員に話を聞いていると、上官である小隊長を呼んだから少し待って欲しいと言われた。
 小隊長がやって来て話すことには、「我々は自治体の要塞に従って活動しているので、取材は市役所の了解を取ってから来て欲しい」とのこと。さすがに規律の厳しい自衛隊らしいと思った。でももう取材しちゃったからね!🤣

6.穴水町へ向かう道路の凄まじい被害

 少し行くと道路の損傷が目立ち始め、衝撃の光景が目に飛び込んできた。

 このレベルの崩落は1、2か所なのだろうと思ったところ、同じような光景が10か所ほどあったと思う。谷を埋めて作った場所がことごとくやられているようだった。とにかく道路がズタズタなのだ。
 これでは救助も消火も支援物資の運搬もしばらくの間はできなかったであろうことは容易に想像がついた。

 それらの崩落箇所では、山側に新たな暫定的な道路を作り、通行できるようになっていた。
 この山の中をぬう道路以外でも、至る所で大きな亀裂、段差、が発生し、それらも補修しないと通れないので、この全ての作業を行うには、半島の付け根に近い側から1か所ずつ直していったはずで、気の遠くなるような時間と労力が必要だったのではと推測される。

7.崖崩れ被害

 崖崩れ、山津波も至る所で見られた。

裏山が崩れ、家と車を直撃!
これはいわゆる山津波だろう。恐ろしい光景だ。

 私は車を運転していたので一々写真は撮れなかったが、同乗していたLizzyさんが写真を撮っていたので後ほど上げるかもしれない。

8.輪島市へ

 最大の被災地の一つ、輪島市に近づくと、道路と家屋の被害が目立って来た。

 輪島市内は家の被害が凄まじく、古い家屋がありとあらゆる場所で倒壊。
道路の狭い市街地では道路を塞いでいるところも多数あった。

9.輪島港の様子

 港に出てみると、やはり隆起が起きているようだった。

数十センチは隆起しているのではないだろうか?

 少なくとも断層のずれが起きていて、地震前は繋がっていたと思われるコンクリートに1メートルほどの段差ができていた。

10.輪島の大火跡

 そして大火の跡。
 輪島の海岸線近くの市街地から始まり、どこまでも広がる焼け跡。風に煽られて音を立てるトタン板の音が何とも言えない雰囲気を作り出す。

 電柱が2本倒れていた。送電線が出火原因だと報道されており、納得した。


 情緒のある古い街並み、商店街が再び活気を取り戻すことはあるのだろうか?

 ライフラインが復旧し、道路が完全に元通りになり、倒壊したり焼けた建物が建て替えられ、観光客が戻ってくるまでには少なくとも数年は必要だろう。

11.宿へ

 結局、日が暮れる近くまで取材し、焼肉屋で夕食を取り、宿に着いたのは21時過ぎだった。

 宿は「道の駅 倶利伽羅塾(くりからじゅく)」というところで、金沢駅から北に20分ほど行ったところ。道の駅なので駐車場も食事をするところもあり、素泊まり6000円で部屋は和室で10畳と広くリーズナブルだったが、道の駅のレストランのラストオーダーが19:30で、そこで食べることはできなかった。

 宿に着いてテレビを付けると、NHKがテロップで道路情報や給水情報、QRコードでライフライン情報を流していた。

 東京にいると能登半島地震のニュースが少ないと感じるが、現地では毎日情報が流れていた。

12.2日目


 この日の目的地は能登半島の先端の珠洲市。

 昨日で、この取材で見たかったもののほとんどをカバーできたため、この日は

・珠洲市の被害の大きさ
・津波被害の有無
・被災者の声(主にLizzyさんが)

の確認を目標とした。

13.珠洲市の市街地に入る

 7:50に宿を出て、10:30に珠洲市の市街地に着いた。思ったより順調だったが、途中はかなり道路状態が悪くてノロノロ運転の範囲があった。

 珠洲市に入った印象では、輪島ほど建物の崩落が少ない印象だ。それは、古い建物が輪島ほどは多くないからではないかと感じた。

 市役所の前を通ると、向かいで自衛隊車両が集結して支援活動をしているようだった。
 その前を一旦通り過ぎ、港に車を止めて、港付近の様子を撮影した。

14.港の様子

 東日本大震災の津波被害の跡を見た経験から、ここを津波が襲ったことはすぐに分かった。
 泥や海藻が至る所にあり、船が陸に打ち上げられていた。

 しかし、住民の方に確認したところ、津波の高さは膝くらいまでで、浸水範囲も海岸から50メートル程度で収まったようだ。

 港には転覆した船がいくつも浮かんでいた。

 写真はないが、珠洲市の港の隆起はドローンによる測定の結果、1.5mとのことだ。(2024.2.29追記)

 津波被害の特徴は、瓦礫で埋め尽くされること。

 街中の建物の被害状況は輪島と同様だったので、次に自衛隊の支援基地に向かった。

15.自衛隊の支援基地

 ここでは炊き出しが行われており、朝昼晩の3回、自衛隊員が作った食事を無料で住民に配っていた。
 住民の方は恐らく車で来て、人数分の配給を段ボール箱などに入れて受け取って行く。

 住民の方へのインタビューをLizzyさんが行っていたので興味があれば見て欲しい。

16.能登半島先端へ

 18時にレンタカーを金沢駅前に返却する予定であり、この時点で時間に余裕があったので、能登半島の先端まで30分ほどの道程を行ってみることにした。と言うのも、Lizzyさんが港近くでインタビューしたお婆さんが、「岬の方は家がみんなペシャンコに潰れた」と話していたからだ。

 行ってみると、古い家が多いせいか、道の両側の家がかなりの範囲に渡って全て潰れている場所があり、珠洲市の市街地よりも被害が大きいことは明らかだった。

ただ、同じような古い家が並んでいても被害がほとんど見られない場所もあり、地盤の固さに左右されるのではないかと感じた。土地が少し高いせいか、この辺りでは津波被害は見られないようだった。

 12:30になったところで引き返し、金沢駅へ向かった。

17.取材を終えて感じたこと

 現在の能登半島は、至るところで道路の復旧工事が行われており、日替わりで通行制限が変わっているようだ。崩落した道路では、地理的事情から2車線を新たに作ることが難しく、片側通行にせざるを得ない箇所が多いため、行きと帰りでルートが異なり、遠回りさせられることもある。

 そのような状況なので、車のナビどころか、最新のデータを取り入れているであろうスマホのナビでさえも完全には当てにならず、時間を読めない上に、迷路にはまったかのようにさまようこともあった。

 次に行くことがあれば、もっと復旧が進み、もう少し交通がスムーズになっているかとは思うが、これからボランティアなどで能登半島に行こうとされている方は、時間に余裕を持って計画を立てることをお勧めする。

 もう一つの注意点はトイレだ。

 羽咋市より先に行くと水が出ないため、店に入ってもトイレが使えない。
 ただし穴水の大きなスーパーには仮設トイレが設置してあって使うことができた。
 また、珠洲市の市役所にも仮設トイレがあったので、それほどの心配はしなくてもいいかもしれない。

18.指向性エネルギー兵器(DEW)攻撃説について

 この取材の目的の一つ、輪島の大火はDEW(指向性エネルギー兵器)によるものではないか説について。

 予想した通り、道路はズタズタで、崖崩れや倒壊した家が道路を塞ぎ、救援も消防車も入れる状態ではなかった。また、断水で消火栓も使えなかった。燃えるに任せるしかなかったはずだ。

 DEWによる攻撃を受けていないとは断言できないが、あの大火に不思議な点は見られないと私は判断した。

19.写真集(有料エリア)

 以下に、記事には載せなかった、主に輪島市、珠洲市の写真を載せます。

 初めて有料設定にします。
被災地の現実をよりリアルに感じたい方はぜひご覧下さい!

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