過去の『未来』を読み直す/2013.07

……というわけで、第二回です。前回の記事はこちらに(2013.06)。
https://note.mu/honjo_57577/n/n34d4db34d6e4

短歌結社誌『未来』の巻頭欄、今回は2013年7月号の「七月集」を読み直して、あることないことメモしていきます。

魚焼いた臭ひを逃すべく空(あ)けし窓ゆ見知らぬ夜が入り来ぬ/岡井隆

「すがすがしい空気」や「いつも通りの夜」ではなく、「見知らぬ夜」というのがドキッとする。それは、思いがけない室内外の温度差だったり、他の家の夕餉の香りだったり、通行人の声だったり、逆に無臭や静寂といったものなのかもしれない。季節の移り変わりの匂いかも。

川の上のモノレール駅さざなみの光を反しゆらめきやまぬ/大島史洋

モノレール、普段あまり乗る機会がないこともあって、乗るだけでわくわくする乗物だ。川、光、それらのゆらめきで、さらに気持ちがふわふわして、眠気を誘うよう。

今日あるをよろこび父は三食をほれぼれするほどきれいに食す/深松芙士子

『最後のレストラン』(藤栄道彦)に「レストランて“回復させる”という意味が語源だそうですし」って言葉があったけど、食べることで生きているんだな、改めてと思う。

父は何故長く生き過ぎたと言ったのかそんなに辛い日々だったのか/岸佐保子

「日々が辛い」のと「生きるのが辛い」のは、かなり違うもので、前者はなんらかの原因がある(それを取り除くことができれば楽だし生きたいという気持ち)だと思う。「長く生き過ぎた」は、どちらかというと「生きるのが辛い」寄りの感情なのだろうか。戦争を体験した世代、あるいは病を患う年齢にならなければわからない実感というものもあるのかもしれない。

からごろも着ても脱ぎても悦びしはたちのころのわたしはいづこ/恒成美代子

成人式の晴れ着とイメージを重ねているのかな。特になんてことはなくても都度楽しい、そんな若さゆえのエネルギーに満ちた日々への追想。服を着たり脱いだりを繰り返しているうちにいつの間にかこんなに年月が経過してしまった、そんな感慨も滲む。

犬の名をいくら呼んでも犬は犬のまま死にゆきぬ静かな夜なり/田江岑子

遺言を残すでもなく、犬は静かに死んでゆく。自分にとっては慣れ親しんだ、かけがえのない犬の「名前」でさえ、犬自身にとっては意味を持たないのかもしれない。どうしようもない、本当にどうすることもできない、さみしさ。

すい星のニュースはすぐに忘れられ空さえ見えぬ居酒屋に酔う/川上重明

流星群とか部分蝕とかスーパームーンとか、空にまつわるニュースは多くなったような気がする。多くなったかわりに、すぐ忘れられてしまうようになったのかもしれない。

海峡を越ゆる望みを絶ちし日の海の青さを今に思へり/山下真知子

離れがたき人との別れだったのか、それとも留学などの夢を手放したのか。青は、美しく冷たく、そして清々しい色でもある。

酒戯れの汝の言いける「バイバイ」に傷つきて泣く夕暮れもある/田村ひさ子

ああーこれは良い恋歌だー。良い恋歌だけど、悪いひとだなー。もしかしたら恋じゃなくて、尊敬する先輩の悪い冗談だったり、年上のひとが「俺ももう長くない」的に放った言葉なのかも。

ほんとうに捨ててしまってよかったか石ころ一つ路傍に光りぬ/藤元靖子

ポケットに入っていた石、それはどこかで意図的に拾ったのかもしれないけれど、なぜ拾ったのか記憶が蘇らないまま捨ててしまう、そんなお歌だろうか。とりかえしのつかないことをしたのではないか、そんな思いが石を光らせるのかもしれない。石を何かの比喩と読んでも味わいがある。

額の中の岩手山に雪降らせアトリエにこもる友を思いぬ/佐久間佐紀

石川啄木の「ふるさとの山に向ひて言ふことなし~」は岩手山らしい。岩手の友のところには、まだ雪が降っているのだろうか。物理的な距離だけではなく、絵に向き合うどこか孤高な友への思い、そして気遣いが伝わってくる。

雲切れて黄の連翹に日の射せば何に屈してわれはゐたりし/間鍋三和子

上句の眩しさ、からの下句が印象的。
連翹はかろうじてイメージできるけど、今号の随所に花開く「花梨」「梨」「枇杷」などに関しては、実しか想像できない。なので、それぞれの歌を味わいきれていない。勿体ない。

暈をもつ灯しの下に板のごと眠れる姉の死を密か待つ/龍圭介

病む姉との日々が綴られた連作、その締めの一首。他の号のお歌が気になるような、目を背けたいような、何とも言えない気持ちになる。

「ほら、パパ」と息子を促すことなども日々馴れてゆきて吹く春あらし/馬渕美奈子

息子の結婚、そして孫の誕生を経て、家族ひとりひとりの役割がかわってゆく。当たり前のようで、とてもへんてこなようで、心がざわざわ惑う春のこと。

今号には、前回の記事の最後に触れた、佐井ゆたか氏を悼む歌もあった。
ところで、私には以前、巻末歌会記のなかにひとつ気になっていた歌会があって。なぜ気になるかって、会場が家から徒歩圏内だったのだ(今はもう、会場が移動して遠くなった)。佐井氏は、その歌会のメンバーだったらしい。
「未来」では入れ違いになってしまったけど、おそらく彼は、自分と同じ景色を知っているひとだったんだなぁ。そんなことを思った。

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