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錯覚と誤解はこうやって生じた

Vol 2  在日華人 異文化理解


知人や友人がここでの記事から初めて「サードプレイス」という概念を知り、自分にもストレスを解消し、刺激を受け、視野を広げることができるサードプレイスを持っているかどうかを考えるようになったそうです。

一体どのような場所はサードプレイスと言えるのでしょうか。

  • オンラインで情報やアイデアが頻繁に交換されるコミュニティ?

  • 音楽に熱中する人のためのミュージックバー?

  • 有志が集まるボランティア団体?

  • ダンスが好きな人たちが集まって練習する場所?

  • 愛犬を毎日のように散歩させ、ペットオーナーと触れ合う公園?

毎日愛犬を連れて公園で集まるペットオーナーたち

上記の場所は、確かに彼らが頻繁に訪れる「勤め先と自宅以外の場所」ですが、どのような場所でもサードプレイスになるわけではなく、いくつかな条件を満たす必要があります。

中立・平等の場所

サードプレイスは、誰しもが自由に出入りでき、参加するために誰かの紹介は必要ではなく、また、誰かの要求で無理に滞在する必要もありません。社会的地位の高低や、上司と部下というような縦の関係は存在しません。もちろん、年齢や性別に関係なく、誰もがどこでもある「普通の人」です。

会話が弾みやすい場所

サードプレイスでもっとも重要視されているのは、その場にいる人同士の会話です。
会話の中身には、特別な意味合いは求められません。何かを生み出すために会話をするのではなく、その場を楽しむために会話をします。

居心地が良い場所

サードプレイスでは温かい雰囲気の中で会話を楽しめるため、リラックスして過ごせます。ほかの条件がどれだけ揃っていても、居心地が良いと感じることができなければサードプレイスとはいえません。

サードプレイスのこと吟味しているうちに、自分の経験と取材した生け花教室のことをつなげて考えました。本当の意味での「サードプレイス」を2回分けて、読者の皆さんと一緒に考えたいと思います。

条件を満たしていない場所をサードプレイスにすると、かえってストレスが溜まってしまうでしょう。

数年前、私は一時期、ある有名な生け花流派の教室で習うことがありました。ある偶然のことで、本来は初心者コースに行くべき私は家元が教える教室に入りました。いきなり最高レベルの先生から実技指導を受けることができたのです。

先生の日本の歴史や伝統文化の解説を含めた生け方の手本、生徒の作品へのコメントや手直し、ほかの生徒たちの作品が示す美しさと技術の凝縮......。

生け花レッスンのたびに、目の前にあるものの創造性や表現力に驚かされると同時に、自分の感受性や想像力の凡庸さに恥ずかしく思います。しかし、生け花をしている最中に感じた癒しは、彼らと何ら変わることはないと思います。

その教室で、常に感動される上に、稽古後のティータイムでは、先生の豊かな人生経験を冗談とユーモアを混じって話してくれます。仲間が楽しそうに聞き、その場で情報交換し、時に私の中国の話題で皆が興味を持ち、生け花教室は視野が広がる場所と感じたのです。

私の生け花の上達は遅いですが、居心地のいいサードプレイスに巡り合えてよかったと思っていました。

この団体は昔から中国との文化交流が深く続けてきたので、中国人として、この団体のことを多くの中国読者に知ってほしいと思っていました。

当時、私は日本政府関係の中国向けポータルサイトにコラム作家として記事を書いていました。例の生け花団体は毎年大規模の展覧会を開催します。ある年、私は、その展覧会を機に、この流派を歴史から今までの活動方式と業績を徹底的に中国の読者に伝えようと考えました。

家元と事務局の許可を得てから、私は毎日会場に通い、展覧会準備の裏方から展覧会中の各ブースまで、インタビューや写真撮影、資料収集を行いました・・・・・・。

展示会終了の翌日、私は記事を完成させるために関係者に詳細を確認しようとしたところ、ひどく叱責されました。その団体を利用していると言われました。

その理由は、展示の見方が図々しい(じっくり見ていた、写真を撮りすぎた、展覧会中に何度も会場に行ったーー技術を盗んでいると疑われる)、取材の手続きが不備だった(取材前にある立場の人に一定の金額のお菓子をもってあいさつに行くべきだった)等、全く考えていなかったことで、私はショック受け、とても傷つきました。

冷静になってから考えました。私の取材の趣旨が上層部の関係者に届かなかったのかもしれません。あるいは、記事のクオリティは取材にかけた努力と情報収集の深みに左右されることを存知なかったのかもしれません。彼らの立場で、私の変わった行動にそう思ったのは当然かもしれません。

記事はすぐ掲載されました。その教室に入ってからの間に知っていたこの団体の活動詳細と輝く展覧会を組み合わせ、同団体の華道の普及と発展における努力と成果に関する長編レポートでした。歴史や伝統文化と国際交流の観点から総合的に紹介したものでした。

生け花は、内部の上下関係が厳しく、敷居が高く、近寄れにくいところだとよく日本人から聞きます。私に対する誤解は自明のものとなりましたが、私は受けた非難から目が覚めました。

私が心地よい雰囲気だと思っていたことは、実は彼らの外国人に対する寛容さもしくはストイックさであり、彼らの間の暗黙の了解、微妙なルールがあるのに、私は一方的に話しやすい人間関係と思った理由は、私自身の鈍感による勘違いでした。

その生け花教室がサードプレイスと判断したのは私の錯覚でした。

異なる文化背景や習慣を持つ人に対して、相手の表面上の言動を見聞きするだけで自分または自分たちの価値観や基準で決めつけるのは、誤解が生じてしまう恐れがあります。

その記事は、しばらくの間、先生方からの指導や教室の仲間からの助けへの恩返しとし、私は生け花教室での習い事にピリオドを打ちました。

私は今でも生け花が好きです。最近は便利で楽しいオンライン教室をよく利用します。

続き……

文章の中に触れた生け花流派の紹介記事の日本語訳は下記のアクセスで閲覧できます。

https://ibunkarikai-forum.com/toukou/20201104yishidaliu.pdf


中国語バージョン


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