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映画『ドヴラートフ』を俯瞰する<終>

エピローグ ——「思い」の普遍性——

(この記事は #5 からの続きです)

 ドヴラートフにとって執筆という営みは、社会主義体制の不条理を皮肉やユーモアというスパイスを使って表象することにあった。しかしながら、時代や体制が「ありのままの姿」を書かせてはくれなかった。そうした環境で折り合いをつけられなかった点に彼の苦悩がある。

 ここで例に出したいのが、アンジェイ・ワイダの遺作となった映画『残像』(2016年)だ。第二次大戦後、スターリン体制が敷かれたポーランドにおいて弾圧された前衛画家ストゥシェミンスキの晩年が描かれている。社会主義リアリズムという、国家やイデオロギーが規定する芸術様式を受け入れることを拒否したストゥシェミンスキは美術大学の職を追われることになり、芸術家協会から除名され、最後は貧困のうちに病魔に倒れてしまう。

『芸術家を消す方法はふたつある。中傷するか、無視するかだ(†1)』

 ストゥシェミンスキはマレーヴィチらと交流を持ち、モスクワで展覧会が開かれるなど第二次大戦前の前衛芸術界で高く評価される人物であった。ところが、戦後に●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●ことにより、芸術家としての存在を当局に消されてしまった。他方、ドヴラートフはストゥシェミンスキのような弾圧は受けなかったものの、作風が体制に馴染まないという理由で徐々に追い込まれていく。そして、先に亡命したブロツキーを追うように米国へと発つのである。『残像』も『ドヴラートフ』も文化、芸術は時代やイデオロギーによって規定されるものなのか? ということを強く思い起こさせるのであるが、両者に言えることは、自分の信念によって表象されるものが、文化という土壌を耕し、種をまいて、新たな芽を育てることと信じて苦難な状況でも創作する姿に芸術の本質があると覚悟していたことにあるのだろう。

 そして、信念によって表象されるものが創作の本質という考えで論じるのならば、「書きたいものを形に残すことができない」葛藤は、彼らが経験した人権の抑圧ほどではないにしろ、形を変えて現代のわたしたちの世界でも経験することである。それは、資本主義社会や自由主義社会であれば、ユーザーの需要にかなうのか、売り上げが見込めるのかという市場価値の基準によって求められる芸術が変容していくようなものだ。
 ドヴラートフの物語は1970年代初頭の凍てつきの時代を描いているが、じつは、彼と同じ葛藤は、わたしたちの表現したいと思うところの意志と現実との差を浮き彫りにさせる。したいこと。できること。できないこと。やらなければならないこと。してはいけないこと。…これらの意思、可能、不可能、義務、禁止といったあらゆるレギュレーションと人生の巡り合わせとの葛藤の中に人生の営みがある。沼野充義先生の本作品の評を引用させていただくと『ドヴラートフ——それは私であり、あなたである』という言葉にも現れている。それは、わたしたちも人生のどこかで彼と同じ思いを経験しているということなのだ。

 映画『ドヴラートフ』の面白さというのは、作家セルゲイ・ドヴラートフの視点を借りて見た世界の姿にあるのだとわたしは思う。つまり、時代や社会が違えど、信念を貫くことの葛藤という普遍的な感情のありようこそがこの作品の魅力なのだ。意思を貫くか、妥協を受け入れるか、つねに、わたしたちは人生という時間の中で揺れ動く存在である。わたしたちが何かを行動し選びとるとき、新たな変化に遭遇する。その変化を映画の中では克明に映しとっている。そこに、わたしたちは引き込まれたり、重ね合わせたりすることができる点こそがこの映画を作ったゲルマンJr.監督のメッセージなのではないかと思うのである。

長いレヴューも仕舞いになるが、この映画には、ドヴラートフの作品の読者に受けたメッセージがいくつも込められている。愛する家族、いとこのボリス、飼い犬のグラーシャ、収容所の看守としての経験、闇屋の片棒を担ぐこと…。それら全てを語ってしまうと、それこそつまらなくなってしまうので、ぜひ、本作品を見た後に気になるシーンがあれば、彼の作品である『わが家の人々』や『かばん』を読んで自分なりの答えを見つけていただきたいと思う。この映画は、鑑賞者にとっていくつもの答えをもたらしてくれる魅力を備えている。そうした魅力をわたしが感じることができたからこそ、一月という期間を要したものの、本作品とドヴラートフ自身に関心を向けていただこうとパソコンに向き合ってきたのだから。

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†1:ストゥシェミンスキの友人、詩人のユリアン・プシボシによって語られた台詞。なお、プシボシはこのセリフの前に1980年にノーベル文学賞を受賞する亡命詩人チェスワフ・ミウォシュの言葉を引用している。
『ミウォシュも言っている『自分の意見を堂々と言えないのならば、芸術家は黙っているべきだ』と』
ちなみに、プシボシもミウォシュも詩人ながら第二次大戦後の数年間を外交官として奉職している点が共通している。

参考文献:
・『わが家の人々 ドヴラートフ家年代記』/ S・ドヴラートフ(著) / 沼野充義(訳)/ 成文社 / 2000 /
・『かばん』/ S・ドヴラートフ(著) / ペトロフ=守屋愛(訳)/ 成文社 / 2000