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Hallo, Ich bin Mittechen !(Twitter : @hongo_mittechen)本郷三丁目にある雑貨屋Mitte/Mitteplatzのスタッフ・Mittechenによるnoteアカウント。呼吸をするようにヨーロッパについて考えるひと。

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  • 映画『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』クロスレビュー

    • 14本

    ロシア語翻訳者、ライターなど複数の寄稿者による 映画『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』 のレビューをお届けします。 6月よりユーロスペースほか全国順次公開予定。 http://dovlatov.net/(配給・太秦)

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「再発見! フドイナザーロフ ゆかいで切ない夢の旅」——フドイナザーロフ作品の魅力について

以前noteに投稿したレヴューは、アカデミック・ライティングを下敷きにして書いたがために知人から冗長すぎるという批判があった。そこでライターとしての勉強をするなり、巧い人の文体を身につけるなり一念発起すればよかったのかも知れないが、そこで心が挫けてしまった。 今回、筆者(以降は「わたし」で統一する)の置かれた環境により試写の感想(Twitter投稿)の機会を逃してしまったことから、鑑賞後の印象とその後の思いを織り込みながらnoteの記事として投稿させていただくことにした。

    • 映画『ドヴラートフ』を俯瞰する<終>

      エピローグ ——「思い」の普遍性—— (この記事は #5 からの続きです)  ドヴラートフにとって執筆という営みは、社会主義体制の不条理を皮肉やユーモアというスパイスを使って表象することにあった。しかしながら、時代や体制が「ありのままの姿」を書かせてはくれなかった。そうした環境で折り合いをつけられなかった点に彼の苦悩がある。  ここで例に出したいのが、アンジェイ・ワイダの遺作となった映画『残像』(2016年)だ。第二次大戦後、スターリン体制が敷かれたポーランドにおいて弾

      • 映画『ドヴラートフ』を俯瞰する #5

        (この記事は #4 の続きです) 「言葉」を愛したドヴラートフ 最後のポイントとしてドヴラートフの「言葉」へのこだわりについて述べたい。  なぜ、このような書き方をしたのかといえば、彼のよりどころが「言葉」であり、言語(つまり、母語であるロシア語)への敬意と安易な妥協を許さない作家性を感じるからである。  本作品の予告編など、ドヴラートフを紹介するとき「亡命作家」と形容されることが多いと思う。しかし、この映画で彼が亡命するシーンは出てこない。むしろ、彼の芸術家仲間であるブ

        • 映画『ドヴラートフ』を俯瞰する #4

          (この記事は #3 の続きです) ありのままの表現者を貫く 第3のポイントとして、ドヴラートフの創作への姿勢について述べたい。  ドヴラートフの作品が活字にならなかった理由として考えられるのが、「ありのままを表現する」という彼のスタイルにある。  彼の創作の拠り所は、社会主義の体制下で暮らす自分や市井の人々のそのままの姿を表現することにあるからだ。それはつまり、社会主義の「理想」とはかけ離れた不条理な現実を描くということである。リオタールはポストモダンを説明する中で「大き

        「再発見! フドイナザーロフ ゆかいで切ない夢の旅」——フドイナザーロフ作品の魅力について

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        • 映画『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』クロスレビュー
          14本

        記事

          映画『ドヴラートフ』を俯瞰する #3

          (この記事は #2 の続きです) 不屈の作家ドヴラートフの誕生 第2のポイントとして、彼のバックグラウンドについて述べたい。  本作品の中で多くは語られていないが、簡単に映画の舞台となる1971年までのドヴラートフについて触れておく。  彼は1941年に第二次大戦の疎開先で誕生し、幼児期からはその後30余年を過ごすことになるレニングラードへと移り住んだ。レニングラード国立大学に入学するが2年ほどで中退し、軍からの召集を受けてコミ共和国で収容所の看守として徴兵される(†

          映画『ドヴラートフ』を俯瞰する #3

          映画『ドヴラートフ』を俯瞰する #2

          (この記事は #1の続きです) レニングラードの非公式芸術サロン第1のポイントとして、レニングラードの芸術シーンにおける作家と画家の交流について述べたい。映画『ドヴラートフ』は、1971年の11月1日から十月革命の記念日へと向かう、およそ一週間の出来事を描いている。ピョートル1世が建設したペテロパヴロフスク要塞を起源とするレニングラードは、北のヴェネチアと呼ばれ、荘厳できらびやかな街である。多くの作家や詩人たちが活躍し、ドストエフスキーの『白夜』や『罪と罰』、ゴーゴリの『外

          映画『ドヴラートフ』を俯瞰する #2

          映画『ドヴラートフ』を俯瞰する #1

           映画『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』(以下、『ドヴラートフ』または本作品と省略)の公開に至るまでの経緯(?)を知る者として、レヴューに移る前に記しておきたい。  わたしが勤めるMitteは、東京大学すぐそばの本郷三丁目駅前に店を構えている。その地縁もあって、沼野充義先生が主宰する文学学術院・現代文芸論教室の公開講座にたびたびお邪魔していた。昨年行われた公開授業で翻訳文学を扱う回があったのだが、その題材の一つがドヴラートフの『かばん』(成文社)だった。訳書を手掛け

          映画『ドヴラートフ』を俯瞰する #1

          【映画レビュー】『君はひとりじゃない(原題 : Body/Ciało)』

          ――4人目の主人公(文責・Mittechen)    少し本題とは離れるが、ポーランドの国歌『ドンブロフスキのマズルカ』の出だしは「ポーランドはまだ滅んだりしない、わたしたちが生きている限り…」というフレーズから始まる。この国歌ができたエピソードについては後で説明するが、鑑賞後にふとこの歌詞が私の頭に浮かんだ。  映画の感想に戻ると、この作品には3人のメインキャストがいる。検察官である父のヤヌシュ(演:ヤヌシュ・ガヨス)と、その娘で摂食障害を患うオルガ(演:ユスティナ・スワ

          【映画レビュー】『君はひとりじゃない(原題 : Body/Ciało)』