見出し画像

喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その六

わたしの映画ベスト10

 私は、19才の頃から落語を人前で演じる環境に入ることができ、現在69才になりました。自己紹介でも名刺にも書いているのですが、映画館での映画鑑賞は記憶の中では3才からです。と、いうのは実家の父が映画・映画館好きで、「映写技師になりたかった」とよく言っていました。生まれ育った湖西市新居町には1963年位まで映画館がありました。俗にいう「二番館」でした。まだ一般的にテレビが普及していない頃で、家族で定期的にこの映画館に行っていたようです。私は父の背中の「ねんねこ半纏」越しに観ていた記憶があります。私は1954年生まれですが、1957年封切の「赤胴鈴之助」を観ているんです。

 私は小学生の時から映画を観ることが好きで、当時学校側からは「観てはいけない?」と言われていた作品も父と一緒に観て育ちました。中学生の頃からは自分で作品を選んで観るようになり、高校生になってからはバイトのお金で自由に映画を楽しめるようになりました。進学してからは試写会やご招待券のおかげでさらに楽しむことができました。 1979年には浜松市内で「浜松映画ファンクラブ」が始まり、そのメンバーになりました。1989年には「ムーンライト・シアター」に入会し、1999年には「シネマ・シンドローム」の会員になりました。そして2008年からは「シネマイーラ」の会員です。

浜松映画ファンクラブの発足チラシと会報第1号


ムーンライトシアター会員のしおり


ムーンライトシアター 上映データ


ムーンライトシアターの会報


シネマ・シンドロームの会報


 ここ10年間位は、コロナ禍を除いて、浜松市内では「シネマイーラ」、豊橋市内では「ユナイテッドシネマ豊橋」の2館で、年間60本ペースを継続中です。小学生、中学生の頃の鑑賞記録やチラシ・パンフなどはコレクションにはありませんが、自身の中では60年間で2500本の国内外の映画を映画館で観続けていることになります。
 今回は、2023年に映画館で観た作品のマイ・ベスト10をまとめました。

2020年6月  クラファン返礼品の一部
映画館で観たマイベスト10作品
「シネマイーラ15年誌」の表表紙と裏表紙

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?