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キャラ立ちした辞書たち

校正と国語辞典は切っても切れない仲

まだ前職に勤めていた頃、ある校正講座を受講したことがあります。
そこで講師の方に言われたのが、「国語辞典は複数の辞書にあたりましょう」というもの。

校正の仕事を始めた前々職の頃は、そもそも辞書を引く必要がほとんどありませんでした。
当時メインで扱っていたのは旅行広告で、そこで特に大切な情報といえば旅行代金や出発日、旅程・デメリット表記など。情報の正確さ+紙面上で整合性をとることが第一でした。
観光地やイベントについては公式サイトに情報が載っていて、それでほぼカバーできます。
紙の資料といえば、曜日チェックで使うカレンダーの他は、備品として棚に並んであった『地球の歩き方』を参考にめくる程度でした。
一応電子辞書は机の引き出しに入れてあったのですが、おそらく週に1回も使わなかったのではないかと…。

前職では、さらに辞書を引く機会が減りました。
金融ジャンルの資料を扱っていたこともあって、むしろ普通の国語辞典には載らないような専門用語が多かったため、というのが一番の理由です。
これはもう、周りの先輩に聞くのが早い(「足もと」の使い方とか入社して間もない頃に知りました…)。
あるいは、金融関連の用語説明をしている「信頼性のあるサイト」で確認したりもしました。

けれどフリーになった今は、とにかく辞書がないと始まらないのです。それも、複数の辞書がないと。
実際、私も冒頭の講座受講終了後に国語辞典を買い足しました。
これで、自宅の本棚には国語辞典が3冊、漢字辞典と中日辞典がそれぞれ1冊、机の上に電子辞書(学生時代の専門の名残で、中国語学習コンテンツが多いものにしてあります)が1台、という布陣に。
英語関連が弱いかな、と思わなくもないですが、今のところスペルチェック程度なので電子辞書内蔵のもので間に合っています。

複数の辞書にあたると見えてくる「キャラ」

素読み作業中に辞書を引く目的は、私の場合は2つあります。
1つは「その言葉の意味を調べる」ため。「この単語何だったっけ〜」といった、ちょっとした確認です。
この場合、複数の辞書にあたることは稀で、あるとしても最初の辞書に載っていないから別の辞書にあたる、といったときぐらい。

もう1つが「自分の指摘の根拠をより確かなものにする」ため。ゲラに指摘を書き込むときは、必ず複数の辞書にあたるようにしています。
というのも、「ある辞書では◯◯の用法を誤りと載せてあるけれど、別の辞書では許容している」「ある辞書では◯×の意味にはこの漢字を使うとあるけれど、他の辞書ではその字をあてていない」といったパターンが存在するからです。
指摘をするということは、語釈や用法、あるいは用字等について著者とは何かしら異なる見解を発信するということでもあります。
それを「私はこの字をこう読むから」「私はこの字をこういうときに使うから」といった自分中心の理由だけで書き込むのは、あまりに客観性に欠ける行為。
指摘をするからにはそれ相応の根拠が必要で、それを(漢字や語釈に対する指摘であれば)複数の辞書に頼って「根拠に肉付けをする」わけです。

複数の国語辞典を使い始めて、それぞれの辞書の「色」が異なることに気づくようになりました。
極論ですが、すべての版元から出ている辞書が同じ言葉を採用していて、まったく同じ意味を載せているのであれば、こんなに複数の国語辞典が作られるはずがないし、必要ともされないのではないでしょうか。
辞書それぞれに違いがある(+使っている人がそのことに気づく)というのは、人間で言うところの「キャラ」が立っているということでもあるかと思います。
語釈の言い回しだとか、収録されている言葉だとか、用例だとか、そういったところにキャラは出やすいですよね。

というわけでここからは、手元にある紙の国語辞典で勝手にキャラ考察をしてみようかと(唐突)。

おじいちゃんな『明鏡』

もともと持っていた電子辞書には2版が入っていました(同じく電子辞書内蔵のデジタル大辞泉のほうが使用頻度は高かったのですが)。
校正講座を受けて買い足したのが、これの3版。
講座でお世話になった講師曰く、「言葉に厳しいおじいちゃん」だとか。

たとえば「眉」という見出し語に派生して収録されている「眉を顰(ひそ)める」の意味を引いてみると——

不快な気持ちや心配の念から眉のあたりにしわを寄せる。眉を寄せる。顔をしかめる。
【注意】「眉をしかめる」ともいうが、「眉をひそめる」「顔をしかめる(=しかめっ面)」の表現が一般的。「目をひそめる」は誤り。
出典:明鏡国語辞典第3版(大修館書店)「眉を顰める」

わざわざ辞書の体裁として、「注意」アイコンなんてものが存在しています。
そして何だろう、この謎の上から目線は。
中国文学をやっていた私にとっては大修館=諸橋大漢和なので、もともと版元に対する権威的なイメージが強いのですが…(「ここに書いてあるからほぼ絶対」という感じのアレ。実際には諸橋大漢和にも誤りはあるのですが)。
実際にこうして辞書を引いてみても、「腕組みして偉そうにふんぞり返ったエライ人」という印象があります。

新しもの好きの『三国』

この辞書は、明鏡よりも早くに買ってありました。
といっても校正作業のためではなく、私が持っているのはリンクを貼った通常版でもありません。私が好きな球団バージョンの辞書が出るというからどうしても(ネタとして)欲しくて、発売前に予約までして買ったのでした。
ちなみに収録語は元の三省堂国語辞典7版とまったく同じで、用例が球団仕様に一部差し変わっているだけです。表紙の球団ロゴや見返しにある球場の写真などはさておき、普通に国語辞典として使える一品。

先ほど明鏡で取り上げた言葉を、こちらでも引いてみます。

1. いやそうな顔をする。眉をしかめる。
2. 心配そうな顔をする。
出典:三省堂国語辞典第7版(三省堂)「眉をひそめる」

だいぶニュアンスが違いますね。

三国の特徴は、何といっても新語・外来語を多く収録してあることです。
実際、私も作業中に明鏡を引いて見つからなかった言葉はデジタル大辞泉かこの三国にあたるようにしています。
厳ついおじいちゃんのイメージだった明鏡と違って、こちらは若い現役世代の兄ちゃんといったところでしょうか。

人間くさい「新解さん」

かつて、『新解さんの謎』という本を読みふけったことがあります。
当時の新明解国語辞典は確か第4版が最新で出ていた頃でした。その内容がやけに人間的だというので、擬人化して「新解さん」と呼ばれ、過去の版〜4版までの解説がネタにされていました。
何ちゅー辞書だ、と読みながらゲラゲラ笑っていたのですが、実は私が当時持っていた国語辞典がまさにその新解さん4版でした、というオチ。
もし、夏休みの宿題で「国語辞典を読んで読書感想文を書く」とかいう謎の所業をやるなら、選ぶ辞書は新解さん一択だと思います(やらんけど)。

進学や就・転職で引っ越しを繰り返す間に手持ちの本も整理したため、現在は4版を手放し7版を持っているのですが…ちょっともったいないことをしたかなー、と今でもたまに思ったり。
ここでも同じ言葉を引いてみましょう。

心配事があったりデリカシーを欠く相手の言動を見聞きしたりして、心中不快の念を抑えかねる
出典:新明解国語辞典第7版(三省堂)「眉をひそめる」

新解さんの語釈はそっけないものから「え、そこまで踏み込む?」というものまで様々。そして言葉選びが特徴的です。
ここでも「心中不快の念」なんて出てくる。本当に新解さんが眉をしかめてそうな図が浮かぶ…。
同じ版元から出ている三国と比べてみると、違いがわかりやすいかもしれません。

新解さんは女に厳しいとか金欠だとか、先述の『新解さんの謎』に取り上げられていました。
4版の頃と比べ、最近はだいぶおとなしくなった印象があります。
そして校正の仕事をするようになって改めて思ったのは、「キャラが立ちすぎて一次資料にしづらい」というもの(苦笑)。
読んで楽しむ分にはこれほど面白い辞書はないのですが、この辞書だけを使って「調べる」「指摘の根拠にする」となるとちょっと難しい。
最近の作業ではもっぱら三番手ぐらいの扱いになっています。一番お気に入りの辞書ではあるんですが。

辞書選びで迷っている人へ

いろいろと好き勝手書いてきましたが、すでに1冊めは持っていて2冊めの辞書をお探しという方がいればこの2点だけは、というアドバイスを。

1. 両極端な辞書を持つ
2. 最初に引く辞書を言葉によって使い分ける

1つめは、たとえば明鏡と新解さん、のような組み合わせ。
今回取り上げた「眉を顰める」という語だけでも、それぞれの辞書でこれほど記載内容が異なっています。
単に言葉の意味を確認したいだけ、というのであれば1つの辞書で事足ります。
が、その調べた結果を何かしら言葉にして(根拠として)提示するのであれば、複数の辞書(それも編集方針に違いがあるもの)を見比べたほうがいいです。
自分の考えが合っているか間違っているかも含め、複数の辞書にあたればある程度固まってくるものだから。
私も、作業中に「自分はこの言葉の用法を知らなかったけれど、両方の辞書にあるから指摘はやめてママにしよう」なんてことは割としょっちゅうあります。

2つめは、たとえば明鏡と三国、といった組み合わせ。
明鏡は、新語や外来語の収録数が三国と比べて少ないので、調べたい語が載っていない可能性があります。
そういう場合は、先に三国やデジタル大辞泉を引いてみたほうが二度手間になる確率が下がります。
これらの辞書を引いてもどうしてもピンとこない・辞書に載っていなかった、という場合は、その後にネットで検索してみるという手もありますし(ネットの情報は玉石混交なので、一次資料として使えるものは限られている、という姿勢で私は作業しています)。

まずは波長の合う1冊をお供に

もちろん「何冊も辞書なんて買えないよ」という人もいるかなと。
私も国語辞典を複数持つようになったのは数年前からですし、仕事が絡んだからという理由が大きいです。
ちなみにそれまでは、紙の辞書(一番多かった時期で国語、漢字、中日、日中、英和、和英の6種)が1冊ずつ+電子辞書で精一杯でした。
また、「(複数買う可能性があるとしても)最初の1冊をどれにしよう」と悩む人もいるかもしれません。
人に勧められた辞書を買うのももちろんアリですが、もし実際に書店に足を運べるなら、中を見てから決めてみてはどうでしょうか。

ここで取り上げた以外にも国語辞典はいろいろと出ているので、最初の1冊は自分の言語感覚や言い回しに合いそうな辞書を買うことをおすすめします。
ちなみに私は、もし次に買い足すなら岩波かな~と。
置き場の問題と「はたしてそんなに複数辞書を手にして使いこなせるのか」という問題(こちらのほうが大きい)があるので、当分実行に移せそうにはないのですが。

ネット書店で中を見ずに買うのは今の時代では当たり前になったけれど、「自分と合わなかった」というミスマッチも起きやすいですよね(これは辞書に限らないか)。
実際に中を見て選んだものであれば、それなりに愛着もわくのではないかな、と。

大学院にいた頃、手持ちの漢字辞典を毎日毎時間とにかく引きまくっていたので、そのうち「手へんは◯ページから」「この漢字は◯ページに載っている」と索引なしでも引けるまでになりました。
そこまでいくと辞書自体もあっという間にボロボロになって、背と本体が分離してしまい…。
泣く泣く次の版(当時新しく出たばかりでした)を買ったものの、当然ながら記載されているページが異なり、せっかく覚えたノンブルが生かせないという羽目に…結局元の版を卒業まで使い切ったという思い出があります。
今はそこまで辞書を引き倒すことはないのですが、やはり校正作業にとって辞書は不可欠。相棒として大切に使っていきたいものです。

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