塾長秘書として
大学4年生のとき、宮本貢さんが「山藤章二の似顔絵塾」を企画した。
「塾長秘書になってくれるかな」
彼のこの一言で、山藤塾長と塾生たちとの5年に渡るおつきあいが始まった。
似顔絵の課題は自由。
ハガキに描いて編集部に送ってもらう。
塾長は土曜日に編集部にいらっしゃり、その週に届いた作品を1枚ずつ丁寧にすべてご覧になる。
最初に分けた候補の山から6枚選んで、レイアウトも塾長がされる。
その後、選評もご自分で原稿用紙に書かれる。
わたしはそこまで待っていて、レイアウト通りにハガキの裏に番号を打ち、コピーを取って原稿とともに担当者に渡す。
印刷から戻ってきたハガキをファイルに入れて整理することもしていた。
最初はモノクロ1ページだった。
すぐに人気が出て、応募作品がどんどん増える。
常連の塾生がうならせるかと思うと、いきなりとんでもない作品でなぐりこんでくる新入生も。
ほどなくカラーページになり、ページも見開きになった。
モノクロ作品を集めた単行本が作られ、わたしも編集に関わらせてもらう。
特待生の制度が設けられ、塾生たちはみるみる腕を上げていった。
そして年間のグランプリと各賞を選ぶ似顔絵大賞が始まる。
第1回のゲスト選考委員は吉行淳之介さんと野坂昭如さんという豪華さだった。
2年後には、外部との共同企画で過去作品を一堂に集めた似顔絵塾展覧会も開催された。
「山藤章二の似顔絵塾」の発展は留まるところを知らなかった。
塾長の卓越したセンスと真摯な姿勢、塾生たちの才能と実力によるものだ。
特待生たちは挿絵画家やイラストレーターとしてつぎつぎに活躍を始める。
塾長が彼らの画力と自由な発想を評価し、プロフェッショナルに育てあげたのだと思う。
展覧会まで塾長秘書でいられたのは光栄だった。
塾長はわたしを愛称で呼ばれ、まるで姪ででもあるかのようにいつも優しく接してくださった。
わたしの修業時代の温かな思い出の一つである。
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