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別冊は別室で


「週刊朝日」からも別冊が出ることがあった。

甲子園別冊はレギュラー。

特別の企画で作られたものでわたしが関わったのは「日本語」と「アメリカ西海岸」と「東京」の別冊だった。


別冊は、出版局の奥のほうにある「別室」で編集する。

5人も入ると満員の感じの小部屋だ。

ポットとインスタントコーヒーやティーバッグを置いて、いつでもお茶を飲めるようにしたりするのも楽しかった。


「日本語別冊」は平泉さんが「日本語のルーツはタミル語」と説く学習院大学の大野晋先生に取材した本誌の記事から始まった企画。

わたしはまだ大学2年生で、資料集めと大野先生の原稿取りのお使いくらいしかしていない。

築地から目白までハイヤーでいったらすっかり酔ってしまい、ふらふらになりながら大野先生の研究室になんとか辿りついたのを覚えている。


「アメリカ西海岸別冊」は穴吹さんの盟友である鈴木敏さんが担当だった。

高校時代にアメリカにホームステイしたことのある敏さんは

「僕の英語は向こうの高校生レベルのままなんだよ」

と謙遜されていた。


編集長は大熊一夫さん。

わたしは大熊さんから1本のカセットテープを預かる。

「ハワイでプロペラ機のパイロットになった日本人女性のインタビューが入ってるんだ。4ページの記事にしてもらえるかな」


テープは90分くらいあったと思う。

一度全部起こしてから、地の文を入れて記事にする。

まる三日かかった。


大熊さんが、うんうんうなりながら朱をたくさん入れていかれるのを、申し訳なく思いながら、コーヒーをそっとお出ししたものだ。

それでも、仕上がったときには「あのテープからよくできたね。感心感心」と褒めてくださった。


「東京別冊」は編集委員の山下勝利さんの企画。

山下さんとは談志師匠という共通のおともだち(!)がいたこともあり、とてもお世話になっていた。


本誌ではお一人でインタビューをして原稿を書かれることが多く、仕事でご一緒したことはなかったのだが、東京別冊では

「いく松(わたしの当時のペンネーム)にもいっぱい書いてもらうからね」

とスタッフに入れてくださった。


1983年当時、東京のあちこちで見かけた「おいしい珈琲をどうぞ」という看板を出したコーヒー専門店。

喫茶店で知り合った両親を持つ喫茶の申し子であるわたしは、それぞれの街の「おいしい珈琲」を取材して地図を作りたい、と山下さんに訴えた。

「いいね、いっておいで」


渋谷、青山、千駄ヶ谷、下北沢、成城学園…

取材をするうちに、それらの喫茶店はコクテル堂という卸しから珈琲豆を仕入れていることがわかった。

オールドビーンズを深く煎るヨーロッパタイプの豆だ。

お店の内装も白い漆喰の壁に廃材の梁が共通していた。


山下さんが振ってくださった記事もあった。

中尾彬さんと池波志乃さんのご夫婦の下町散歩を、写真と文章で構成するグラビアページ。

お二人は着物で、どこを歩いても絵になった。


言問団子で撮影後、志乃さんに手招きされた。

「あんこのほう、おあがんなさいな」

志乃さんとわたしとはじつは4歳しか違わないのだが、たぶん15くらい年下に思われていたんだろうな。

15下だと中学生だけど..


原稿は気合を入れて書いた。

散歩の終わりの一行。

「初夏の日は、志乃さんの白い足袋に暮れ残っていた」

根岸の豆富料理店「笹乃雪」の前にすっと立つ彼女がいまも目に浮かぶ。




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