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幸せは成績表じゃない。

「幸せは成績表みたいなものなんだと思ってました。他の人が並べた成績表をみて、自分はどのあたりかなって。でも幸せは自分で決めるものなんだと思いました。」

椿の花の咲く頃を観ていたら、シングルマザーでスナックのママ、母親に捨てられて施設で育ったアラサー主人公、ドンペクが強い眼差しでこんな話をしてた。このセリフを聞いた瞬間、私の心臓がいつもより速く動いている気がした。

ドンペクはいつもビクビクしてた。仲間意識が強すぎる”町”にひとりで引っ越してきて、白い目で見られながら肩身の狭い思いをして子育てをする。ちょっぴり美人だから、近所のおばちゃんには色目を使っているだのなんだの根も葉もない噂を流されて、挙げ句の果てに大事に育てた子供を「こぶつき」だと言われ、恋すら誰にも応援してもらえない。こうして改めて書き出してみると、本当に、"幸が薄すぎる"キャラクターだと思う。

だけど、元々のドンペクみたいに、他人が思う自分という水槽の中でしか泳げなくて、外へ出ようと飛び跳ねては息ができなくなるような気持ちで結局水槽に戻る。そんな風に生きてる人って実は多いんじゃないか、とぐるぐる考えている。

少なくとも私はそうなのかもしれない。他人が決めつけるわたしという虚像の中に、真理じゃないものが多すぎてキツい。

「あなたはいつも楽しそうだね」会社ですれ違う人にそう言われるたびに、「私が秩序を保つために明るく振る舞っている時があることを、あなたは知らないのね」という気持ちになってしまう。他人の心に知らぬ間に築き上げられた自分が、絶対に勝てないラスボスみたいに大きくなって、時々どんな人よりもライバルになっていたりする。それが、怖い。

大抵のインターネット上での誹謗中傷は特に顕著な気がする。他人が勝手に作り上げた基準値を元に、勝手に期待されて、勝手に失望される。だけど他人の中では、自分の中の基準値が"当然の事実"として扱われているから厄介だ。

幸せの成績表を破り捨てて、自分で舵を切る勇気を持ちたい。それって、他人の中の自分を変えていくことであるような気もする。

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