見出し画像

【わたしに愛に恋】

天音流雨は天才アイドルだった。
彼女がひとたび歌えば、会場が揺れるほどの熱狂に包まれる。歌声を、立ち姿を、そのオーラを、全部を使って魅了してくるのだから、誰だって彼女を好きになる。そうやって虜にされて、一人残さずファンにして帰らせるのだ。今日のライブもそうだった。
一応十数人で組んでるアイドルグループだけど、ほぼ彼女の独壇場でパフォーマンスに、一緒に踊ってるあたしでさえ心奪われる。
『♪』
あたしは隣という特等席で、流雨ちゃんの一番近くで、伸びやかで優しくて彼女そのものみたいな歌声を堪能する。ずっと聞いていたいと願わざるを得ない、そんな歌に心酔するように、涙を流しているファンもいるほどだ。歌とは対照的にパワフルに動くから、一歩列を組んでいたあたし達の前に飛び出す。それに合わせてトレードマークの深紅のリボンで括られた髪が揺れて、綺麗な項を覗かせた。目の前の女の子は、もう名前からして美しくて字面だけで見蕩れてしまう。
丸くて滑るような優しい響きを、口の中で何度も転がしてきた。空気に震わせて、音に乗せると流雨ちゃんは簡単に振り返ってくれる。
「海霧、今呼んだ?」
「ううん」
口パクでそう笑いかけてあたしに寄ってくる。ぎゅっと腕をとって身を寄せ合って、歌声を重ねる。こうやって彼女の隣にいられる、幼馴染みという特権を生まれながらにして持っているので、あたしは運を使い果たしてるのだなぁと常々思う。
神様がこの世界の物語を綴っているのだとしたら、流雨ちゃんは主人公だと思う。ステージを愛してステージに愛された、まさにトップアイドル。その肩書きを誇りにして、今日も明日も天使のように舞い踊るのだから。


☆☆☆


「……はぁ、つっかれた〜」
メンバーが帰って、楽屋に残ったのはあたしと流雨ちゃんの二人きりだった。それでようやく気が抜けたのか、机に伏している。ライブ後なのもあるけど、クールダウンしても暑そうにしてるから、冷やしたタオルとミネラルウォーターを差し出した。
「ほらお水。お疲れ様」
「ありがと〜」
流雨ちゃんはなんにでもこだわりが強いから、好きなメーカーの水じゃないと飲まない。最近新しく配属されたとはいえ、マネージャーもそろそろ覚えて欲しいけど、と嘆息する。流雨ちゃんはキャップをひねると、鞄の中からケースを取り出して、大量の錠剤を掌にぶちまける。相変わらずすごい量のそれを喉に通すのには苦労するのか、時間をかけて水で流し込んで飲み干した。
「大丈夫?今お迎え呼んでるから」
「うん、これでちょっと落ち着くから大丈夫」
言葉通り、少しだけ汗は引いているようだったから安心する。マネージャーが車を手配してくれているから、あとは家に帰るだけだし、大丈夫だろう。ヒートは自然の摂理だし、薬の調整してるとはいえ、完全に抑えるのは難しくて不安だったけど、なんとか無事にライブが終わって良かった。流雨ちゃんの汗を拭って、それから向かいに座る。
「分かってたけど、ヒート中にライブすんのきつかったわ。何度か意識飛びそうになったし」
どれだけ辛いか分からないけど、流雨ちゃんはライブ中そんな素振り一切見せなかった。ただでさえ歌って踊って笑って喋ってって、やることは多くて『β』のあたしもくたくただから、ヒートを起こしてた『Ω』の流雨ちゃんはもっと疲弊してる。
「でもヒート起こしてる方がさ、普段の何百倍もわたしに恋してるみたいに夢中で、場の空気がいいのよね」
嬉しそうな、嫌そうな、どちらともいえない顔で微笑む。ヒート中の誘うようなフェロモンを撒き散らしてるから、そりゃあそうなる。『β』のあたしでもかなりくらくらとして、熱に引っ張られた。ライブ中はハイになって楽しかったけど。
「本当だったら休んで欲しかったんだけどね」
「無理よ、名前が売れてるいい時期にやるライブなのに、センター不在なんて」
「無茶しないでよ?」
警備はされてるけど、もしフェロモンに触発されて襲われたら危ないのは流雨ちゃんだ。実際そういう事例もあるのに、危険を承知で利用してるから世間の声は厳しい。アイドルという名目でフェロモンで金を得る『Ω』はいやらしいと生卵だけじゃなくて、使用済みのゴムだって投げられることだってある。
「明日はオフだし、しっかり休むわ」
「そうしてね」
うーん、と流雨ちゃんが伸びをして少し動くだけで甘く香る。この『Ω』特有のフェロモンは無条件で人を虜にするから、ぶっちゃけアイドルとしては結構いい線までいく。
それだけじゃなくて、ステージに立つことで世間の注目を集めるから『運命の番』を探すのには効率もいいのだという。
夢ある職業に更に、ロマンチックな出会いも求めて八十年代のアイドル最盛期は日本中の『Ω』がアイドルを目指した。
そんな感じで今も名残はあって、当たり前ではある。上手くいけば売れて運命の相手にも出会えて華々しく引退できる。ただ、リスクが高いので全てを失うこともある。
まさに人生を賭けた一世一代の勝負だったけど、『Ω』のアイドルの中では異端者である流雨ちゃんはステージに恋をしていたから。
だからずっとアイドルでいるのだと、漠然とそう思っていた。
揺らいだのは流雨ちゃんの前に『運命の番』が現れた時だった。


☆☆☆


「今日はよろしくお願いします〜!」
「お願いします!」
その日は音楽番組の生放送があった。
リハーサルにスタジオ入りをして、芸能界の新参になるあたし達は共演する方々やスタッフさん達にひたすら頭を下げて回る。
もう絶対テレビで見たことあるって名前が売れている人達がこぞって出演し、大きな番組だからこそスポンサーの意向で番宣にゲストに俳優さんが呼ばれる。
「流雨ちゃん!今日も期待してるよ!」
「ヒート収まった?大丈夫だよね?」
「抑制剤飲んできた?しっかりよろしく〜」
「あはは!大丈夫です!よろしくお願いします!」
そうやって挨拶をしながら嫌味も笑顔でかわす流雨ちゃんは、ある人の前でぴたりと立ち止まった。
すらっと背の高い、中性的で独特の雰囲気を持つ人だった。短く切り揃えられた髪のせいもあると思うけど、一見すると男性にも見える。テレビで実力派だと名高い、今日のゲスト女優の春木翠蓮さん。確か『α』だ。
芸能界は才能の宝庫だから、今日のスタジオにも知ってるだけでも十人はいる。『α』もフェロモンの誘惑に耐えれる抑制剤を飲んでるから、一緒に仕事する為の均衡を保っている。
「おはようございます、今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
流雨ちゃんに続いてあたし達も頭を下げる。穏やかに微笑んではいるけど、じっと流雨ちゃんへと向ける視線になんだかざわざわした。『α』の捕食する目だと警戒する。
うっとりと恋するみたいに頬を紅潮させて、流雨ちゃんへと一歩距離を縮めた。
「最近、君達有名だよね。特に天音さんは」
「有難いことに注目していただいて……お仕事貰えてます」
流雨ちゃんの様子が少しでもおかしい、と思ったらあたし達はフォーメーションを組むことになっている。ぱっと前衛にあたしが飛びてて、流雨ちゃんの周りを他のメンバーで囲む。
「すみません、まだまだ挨拶回り残ってて!春木さん!今日はよろしくお願いしますねー!」
「あ、行っちゃった……」
『Ω』をセンターに据えるのは珍しくはない。だから、ヒートとか定期検査で休む時の穴を埋めたり、こうやって狙ってくるような人から守れるように、その他大勢の『β』が支えるように、仲間が守らないといけない。事務所はそういう方針だし、そうしたいと思わせるものが流雨ちゃんにはある。
「流雨ちゃん大丈夫?」
「……うん」
「抑制剤飲んだよね、ヒートもこの前のライブに来たばっかだし」
「大丈夫よ、なんかあの人のオーラにあてられたみたい。『α』もフェロモン出てたりするのかもね」
気丈に振舞ってみせるけど、やっぱりいつもと様子が違った。胸元を抑えて必死に呼吸を整えている。あたしの世界の中心は流雨ちゃんだけど、世間はそうじゃないから気にかけてばかりもいられない。
挨拶回りを終えると今度はリハーサルが始まって、そうこうしているうちにあたし達の出番が来た。
「それでは次のグループお願いします!」
「よろしくお願いします〜!」
ゲスト側にいる春木さんが、流雨ちゃんに片目を瞑るのを見つけたけど、今はステージに集中しよう。ステージはあたし達の曲に沿って可愛らしく凝った飾り付けをされていた。打ち合わせだとラスサビでハートの風船が降ってくる。ちょっと楽しみだなと、ヒールのせいじゃなく踵が浮く。
どんなときもステージの上はいつだって眩しくて、天国みたいに思えた。
スポットライトの当たる立ち位置も、カメラが向けられてる所もバッチリ把握して、いざ歌のリハーサル。何百回、何千回、と拾ったメロディが流れて、喉を鳴らした。
流雨ちゃんのソロパートから始まる。呼吸音ひとつ逃さないと気を引き締めたけど、それはいつまで経っても聞こえなかった。
「……!」
どうして大丈夫だなんて鵜呑みにしたんだろう。ううん、大丈夫じゃなくたって、いつだって大丈夫にするのがアイドルの天音流雨から、あたしも流雨ちゃんも油断していた。
目の前で流雨ちゃんが崩れるのがやけにゆっくりで。その光景にあたしの意識は遅れて、横切る彼女に負けてしまった。
「天音さん!」
誰よりも早く、春木さんが駆けつけて流雨ちゃんを抱えた。ぐったりとした流雨ちゃんはヒートが酷くフェロモンをコントロール出来ないみたいで撒き散らしていた。
「すみません、私と天音さん抜きでリハ続けてください。私が彼女を医務室に運びます」
スタジオにいる『α』が混乱する前に、春木さんは姫抱きをして、走って出ていってしまった。誰も止めるまもなく、姫を助ける王子のように。呆然と見つめるあたしにメンバーの一人が肩を支えてくれた。
「海霧、歌える?」
「……うん」
「これ大丈夫か?」
「今のヤバかった、濃すぎて」
「すぐ動いてくれた春木さんに感謝だね……で、どーするの?天音さんのセンター抜きでって言っても」
ザワつくスタジオ内に、マイクを通した。あたしがやるべきことは、流雨ちゃんのところに行くことじゃない。今、流雨ちゃんのステージを守ることだ。こんなことで、天音流雨を壊させやしない。何の為に隣にい続けたかったのか、忘れるな。
どんなときも歌うのがアイドルだ、多分親が死んでも笑ってないといけない。内心流雨ちゃんが心配で堪らなかったけど、精一杯のアイドルの顔で頭を下げた。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません!あたしが天音の代わりに入りますので、そのまま曲をお願いします!」


☆☆☆


リハーサルを終えて駆けるように流雨ちゃんの元へと向かった。そうして辿り着いた医務室からちょうど出てきた春木さんは、あたしに一瞥もせずに通り過ぎる。
「春木さん」
「えっと君は……」
「名梨海霧です。天音流雨と同じグループの」
「あぁ、二番手の子か。ごめんね、アイドルには疎くて」
「いえ……あの、天音を助けて下さりありがとうございました」
「たまたま一番近くにいただけだからね」
嘘つけ、誰よりもずっと近くにいたのはあたしだ。あたしが動くよりも先にこの人が動いて、流雨ちゃんを攫っていったように思えた。あの時嘲笑うかのように見えて、『性別』関係なしに思いたいけど、『β』のあたしじゃ、きっと流雨ちゃんをここまで運べるほどの腕の力もなかったから余計に悔しかった。
「それに彼女は私の『運命の番』だと思うよ。本能がそう告げている、今もこう胸が高鳴るくらいだ」
「そうですか」
「流雨さんも同じように思ってくれてる。だって惹かれ合うべくして出会った、『運命』なのだから」
「……はぁ」
流暢に紡がれる言葉運び、大袈裟な仕草の一つ一つがなんだか腹立たしかった。この人が本能で流雨ちゃんに運命を感じてるのだとしたら、あたしは本能でこの人が嫌いだ。
ちょっと演技が上手だからって、ちょっと美人だからって、ちょっと鍛えて逞しいからって、ちょっと……『α』だからって。完全なるないものねだりに憤慨する自分が情けなくなる。
「とは言ったものの、先程告白したところ流雨さんには、しらばっくれられてしまったんだけどね」
「告白?」
「私の同じ運命だって言ったんだけど、違うの一点張りでリハーサルも残ってるでしょって、追い出されてしまったんだ」
「流雨ちゃんが……」
流雨ちゃんが断ったと聞いて、少し安心してしまった。普段なら必死にヒートをコントロールのに、簡単に崩れた。それくらい『運命の番』は抗えないものだと倒れた流雨ちゃんを見て思い知ったから。
「まぁ体調の悪いところに迫る真似をしたのは悪かったと思うよ。落ち着いたら、君からも言ってくれないか?」
「何をですか?」
「正式にグループを抜けるようにだよ」
「は?」
「ほら、『Ω』が芸能界で活躍するのは番探しの為だろ?『運命の番』である私が見つかったんだし、もうステージに立つ必要がないだろ?」
「! 運命とかなんだかどうでもいいけど、勝手に決めつけないでよ、振られたくせに」
芸能界の先輩だし、年上だと分かっていても、込み上げてきた怒りのせいで態度が崩れる。
「別にアイドル活動を否定したわけじゃない。ただ可憐な彼女を、下賎な大衆に晒したくない気持ちがあるんだよ」
「ずっと前から応援してくれてるファンのことをぽっと出の貴方にそんな風に言われたくない、です」
「おっと、ごめんね。どうしてそんなに怒った顔をするのか分からないけど、君だって彼女がいなくなった方が好都合じゃないかな?ほら、君は優秀な二番手で、『β』アイドルの中じゃトップレベルって言われてるくらいじゃないか」
悪気がないように振る舞うからこそ、端々から煽りを感じる。どうしてそんなに怒るって殆ど初対面のくせに、知ったような顔で流雨ちゃんを語るからだ。流雨ちゃんがどうしてアイドルをやってるかも知らないくせに。
そして、その後ろに立つ私達のことも馬鹿にするから。
「確かに流雨ちゃんがセンターな限り、私達『β』は後ろに居続けるしかないでしょうね。でも一緒にステージに立てば分かりますよ。私達じゃスペアにもならない、なら踏み台でいい、ただ一人あの子が笑って歌っているならって」
圧倒的才能を持つ『α』やフェロモンで優遇される『Ω』に比べて『β』はステージに立つのは簡単じゃない。でも平等に降りるのは『性別』に関係なく簡単だ。本来ならヒートのせいもあって、自分達より劣っているはずの存在の『Ω』が誰よりもアイドルなんだから、挫折して去っていく子達を私は何度も見送ってきた。
ステージからの景色は綺麗だけど、皆努力してそこにいる。でもそれ以上にしんどい思いをして、『Ω』の流雨ちゃんが立ち続けているのを知ってるから。
「流雨ちゃんがいなくなって好都合なんて微塵も思いませんし、流雨ちゃんもアイドルをやめることはないです」
「まぁ君の意見は関係ないんじゃないかな、彼女はステージを降りるよ。どうしたって『Ω』なんだから」
「でも、」
啖呵をきっても飄々とかわされる。ハナから相手にされていないのは分かっていても食い下がろうとしたところに、スタッフに声をかけられた。
「春木さん!そろそろリハーサル戻ってください!」
「分かりました。じゃあね、ナナシちゃん」
ひらひらと手を振って、春木さんは去っていく。これで縁が二度と交わることは無いことを願って、中指を立てた。
「よし」
あんな状態の流雨ちゃんを見るのは初めてだったし、体調が本番に出れるか見ないとって、医務室の扉を叩く。すると、中にいたスタッフの会話が聞こえた。
「いや〜春木さんかっこよかったよね、運んできたの見た時王子様かと思っちゃった」
「でも天音さん、やっぱヒート起こしてんだって?」
「そーそー、本番中じゃなくて良かったよね」
「どれだけ頑張ってても結局『Ω』だしさ〜、迷惑かけられる前に番見つけて引退すれば丸くおさまるし」
こんなすぐ近くで話すなと舌打ちしそうになる。流雨ちゃんは寝てるだろうか、寝ていて欲しいと思いながら部屋の中に入った。
その日、アイドルになって初めて、流雨ちゃんはステージに立つ事が出来なかった。



☆☆☆


結局、生放送の番組に流雨ちゃんは出られなくて先に帰宅した。代わりにあたしがセンターポジをやったけど、緊張と春木さんへの怒りでほとんど記憶にない。何も言われなかったからそつなくこなせたのだと思う。むしろ褒められたから安心した。
なんだか長く感じる一日だった。
生放送だったからリアルタイムでSNS上では流雨ちゃんがステージに現れなかったことに対して、物議が醸されている。事務所にも散々電話がかかってきていて対応に追われていた。今まで流雨ちゃんが仕事に穴をあけるなんてことをしなかったからだ。
当たり前にやっていたことを、失敗するだけで必要以上に叩かれてしまうから本当にこの世界は厳しい。流雨ちゃんが『Ω』なことも増長させてる原因ではあるけど。
「流雨ちゃんいる〜?ミネストローネ持ってきたけど食べられる〜?」
あたしも帰ってからはスマホを見るのをやめた。不貞寝してるとお母さんから流雨ちゃん家にお使いを頼まれたので向かうことにした。幼い頃からの交流の賜物でお互いの家の鍵を持たせてもらっているから、それを使って流雨ちゃん家に入る。持っていきやすいようにとお母さんが小鍋に移し替えた夕食の残りものは、まだあたたかい。
「っと、部屋かな?」
階段を上がり二階の部屋の扉を開けると、流雨ちゃんはベッドに横になっていた。苦しそうに荒い息を吐きながら、頬を紅潮させている。潤んだ彼女の目と目が合って、あたしは運命じゃないと分かる。
「だ、大丈夫?」
「海霧……」
「流雨ちゃん一人?」
「いる方が珍しいわ」
息の合間に呆れたように目を細める。広い持ち家なのに、使ってるのはそこだけらしく流雨ちゃんの部屋くらいしか生活感はない。
まだ起きれそうになさそうだからテーブルの上に鍋を置いて、いつものクッションを引いて床に座った。
「そっか」
「今更親に期待なんてしてないけどね。わたしがテレビに出てるのも知ってるかどうか」
「流石に知ってるんじゃない?普段テレビ見ないうちのおじいちゃんも、流雨ちゃんが一人で出るやつのもチェックしてるんだよ」
「ほんと?ありがと」
無理して笑ってみせるけど、寂しそうなのは親にどころか他人にも期待してないんだと思う。
「……。」
部屋の隅にある中身の詰まっていない本棚はいつも寂しい。漫画や自分が出てる雑誌の倒れている下の方、ごっそりと抜けてる箇所は昔はアルバムが収まっていた。いつの間にか、処分してしまったのだと思う。
あたし達が、小学校に上がったばかりの頃だったか。流雨ちゃんの両親は離婚してしまったのだ。お父さんは『α』でお母さんは『Ω』の番同士の幸せを約束されたような結婚だったのに、上手くいかないで別れたのだ。
番が解消されたことで流雨ちゃんのお母さんは情緒不安定になり、ただ外へと発散するために男の人のところを転々とするようになり、幼い流雨ちゃんは一人で残された。
それからは度々家まで来てくれていたおばあちゃんに面倒見てもらっていたけど、中学二年の時にそのおばあちゃんも亡くなってしまった。ちょうどその頃だっただろうか、流雨ちゃんは今の事務所にスカウトされてアイドルになったのだ。
可愛くてちやほやされてた流雨ちゃんは昔から当たり前にアイドルに憧れていたし、ごっこ遊びに付き合わされてた身としては、なるべくしてなったと思っていた。
でもあたしはどうしてもあの頃の流雨ちゃんを一人にしたくなかった。一人にしたら流雨ちゃんはどこかへ簡単に行ってしまいそうで、愛を求める場所を間違えさせないように、一人じゃないと思わせないと死んでしまいそうなくらい危うかった。
だから髪を伸ばして、傷が耐えないバレー部を辞めて、女の子らしくないがに股をやめて、私服もスカートを増やした。
オーディションに何度も落ちて、でもなんとかしがみついて今も一番近くにいる。流雨ちゃんが一人じゃないことを証明しに、隣にいるつもりだった。
それはこれからも変わらないで欲しかった。
「……流雨ちゃん、寝てたから知らないと思うけど、あたし春木さんとちょっと話したんだ」
「そうなの」
「流雨ちゃんのこと、『運命の番』だって言ってた。あの人が『運命の番』だって、流雨ちゃんも思った?」
「うん」
あっさりと肯定されて、愕然とした。流雨ちゃんは身体を起こして、あたしに隣に座るように促す。ベッドに腰かけると、熱を持った頭が肩に寄りかかった。解いた柔らかい髪の毛からいい香りがする。
「目と目が合って、『運命の番』だって思ったわ。それなりに長く芸能界に身を置いてるし、『α』に沢山会ってきたけどあの人は何か違った」
そこで流雨ちゃんが何かを握ってることに気付いた。いつもと趣味の違う上品な感じのハンカチ。
「それ、借りたの?」
「うん……必要になるからって。連絡先も渡された」
ハンカチの間に挟まっている紙を見つけて、破りてぇと内心思ったけど短く頷く。
「そっか」
「ごめん、なんか変なの……おかしいわ、わたし『運命の番』に会えたって言うのに……ちっとも嬉しくないのよ」
嫌そうに顔を顰めて、あたしを見つめた。幼い頃のようの拗ねた瞳が縋るように、委ねてくる。
「嬉しくないのに、あの人の言う通りにした方がいい気がして」
「アイドルをやめろって?」
「初めてステージに立てなくて自信がなくなっちゃった、揺らいじゃった。アイドルをやめて、ただ一人に愛されるその方が正しいんじゃないかって」
世間的にはそれが幸せだと言うし、当たり前だから、正しい選択と思われる。表向きには祝福だってされるだろう。祝福されてしまうのだ、もうアイドルが恋愛禁止なんて古代文明みたいな認識だ。
「『運命の番』と一緒になることが『Ω』の一番の幸せなんじゃないかって、思ったことないことを思ったの。お父さんとお母さんは番になっても上手くいかなかったのをよく知ってたはずなのに」
「うん……」
身をもって知っていた流雨ちゃんだからこそ、自分がなってみて、どうすればいいのか分からなくなってるのだと思う。
「ネットも色々言われてるの見ちゃった、『Ω』だから無理だったんじゃないかって」
「え、見たの……?」
「気になるじゃない。本当はわたしがステージに立ち続けることを望まれてないのが分かったわ。売れるだけ売って、あとは幸せに寿退社が円満だもの。ファンも、わたしが……『Ω』だから好きになってくれただけで、」
「違う、流雨ちゃんは誰よりも努力している素敵なアイドルだから、『Ω』じゃなくたって」
「でも『番』が出来たら今度はお手つきとか言われて、ファンは離れていくのよ」
「そんなの分かんないよ、」
「なら……海霧はどうしたらいいと思う?」
「えっ」
「あの人と目が合って、触れられた箇所をなぞってる、更には運命だなんて言われたら意識せざるを得ないのよ……ずっと思い返しては胸が苦しくなる、身体が芯から熱くて、これだって求めて嗅いでしまうもの」
すんと、鼻声で持っていたハンカチをまた強く握り締める。借りたそれからは春木さんの匂いがするのだろう。
「こんなの嫌よ、自分が自分じゃないみたいで……怖い……これが本能?これが本当に恋なの?」
綺麗な瞳から涙が零れるのを見て、あたしが『番』になれたら良かったのにと心底思った。気が付いたら流雨ちゃんをベッドに押し倒していた。ハンカチを奪い取って、開いた手を搦めてシーツに縫う。
「海霧……っ?」
戸惑うように身体を逸らして、横目にあたしを見つめた。絹糸みたいに流れるような髪の毛をかき分けて、露になった白い項に喉が鳴った。ヒートのせいで火照った身体に伝う汗を舐めると、普通にしょっぱかった。
流羽ちゃんはあたしの舌に少し震えるだけで、抵抗はしなかった。あたしが『α』じゃないから最悪な形にはならないと思ってるのか。どうしたらいいかなんて聞かないで欲しかった。迷わないで欲しかった。歯を立てて、項を噛むけれどちっとも跡がつかない。当たり前だ。
「……っ、ふっ……うう、」
ぼろぼろ溢れて、情けないくらいだった。項に噛み付いたって、どうしたって、あたしは『番』にはなれないのだ。
「ぅ、流羽ちゃん、あたし」
「お願いだから言わないで」
あたしだって流雨ちゃんが欲しい。
流雨ちゃんは弱い力であたしを退けて身体を起こす。長くて綺麗な人差し指で、あたしの唇を抑えた。それだけでもう、塞がれてしまう。好きだとすら言わせて貰えないけど、有難かったかもしれないと後々思えた。
「あと謝らないで、悪いのはフェロモン出してるわたしなんだから」
「うん……」
そういう体にしてくれたのが申し訳なくて、項につけた唾液を袖で拭うと、流雨ちゃんは笑った。
「ね、ミネストローネあたため直してくれない?おばさんのご飯いつも美味しくて大好き」
「伝えておくね、めちゃくちゃ喜ぶと思うよ」
「ふふ、なんか別にお礼しないとね」
「そんな気を遣わなくていいよ」
ベッドから降りて、テーブルに置かれた小鍋を持って下の階へと二人で降りた。
他愛ない話をして何事も無かったかのように、振る舞う。もうスマホも見せないようにして、テレビもつけないでただの話をしよう。見なければ何も無いと同じだから。
「じゃあキッチン借りるね……って綺麗にしてんだね」
「使ってないだけよ。わたし料理出来ないから外食で済ませるし」
「えー……前から食生活心配だし、うちに来て一緒に食べるようにしない?」
「迷惑かけるから遠慮するわ」
「迷惑じゃないって」
「他人に気を遣わせたくないの。海霧の家族、皆いい人だから余計に」
「……分かった」
お互いの心労を増やしたくないから、そこで引かれた線を越える真似はしないで小鍋を火にかけた。リビングに置かれた、埃の積もった額縁の中の写真の流雨ちゃんは変わらない笑みを見せている。
幼い頃の優しい時間のまま止めてしまいたかった。何一つ傷つかないで、流雨ちゃんには幸せになって欲しかったのに。
春木さんの顔を思い出して、憎らしくなった。あたしが『α』だったら、この恋が上手くいけば運命じゃなくても彼女と番になれたかもしれない。隣にいることを当たり前のまま、内緒にしてればアイドルを続けられて、ハッピーエンドだったかもしれないと思った。
それかあたしが『Ω』だったら、同じ苦しみを表面だけじゃなく理解出来て、もっと助けることが出来たと思う。違う守り方が出来たかもしれない。友人でいれた。
でもあたしは残念ながら『β』だった。どう足掻いても、絆を結べる距離に限りがあって、ずっとそばにいることは許されない。
もうただの幼馴染みにもなれない、だって、あたしはこの子が好きだから。
ただの恋なら良かった。
ただの恋じゃないから、切なくなると同時に憎らしく思ってしまったのだ。その程度の気持ちでステージを降りるか迷うのか、あんなに頑張っていたのに、呆気なく。
見上げるだけのファンとは違う。好き勝手に憶測で語る世間とは違う。同じステージに立って、同じ歌を歌って、同じアイドルとして、彼女を知っているから。
一緒に頑張ってきたことを否定されるみたいで、本当に本当に嫌だった。
春木さんには何言われたって言い返せたけど、流雨ちゃんは駄目だ。流雨ちゃんにだけは、アイドルの天音流雨をほんの少しでも傷つけて簡単に殺さないで欲しかった。
一瞬でも天秤にかけることを迷わないで欲しかった。


☆☆☆


あたしがいくら思い悩もうと、他の人からすれば些細な事で、今日も変わらず地球は回っている。流雨ちゃんが番組に出なかったことも一週間もすれば、世間の話題に取り上げられることも無く落ち着いていた。ただ、流雨ちゃんはソロでの仕事も多いから、あの日からちゃんと顔を合わせていない。
「いやぁ、寒、無理死ぬ」
まだ空は明るかったし、仕事が終わったあとになんとなく海に来てみたけれど、冬に来るところじゃないなと後悔した。
十代の若者だし、悩んだら来るところだろうと、シチュエーションだけで決めたけど、風が強くて髪も煽られ、顔色は悪くて様にもならない。流雨ちゃんだったらどんなロケーションでも可愛く、世界を彩るだろうに。あたしじゃ、てんでダメだ。苛立って砂を蹴ると、靴の中に入ってきて気持ち悪かった。
「……はぁ」
あの日の流雨ちゃんの様子を見て、もし流雨ちゃんがアイドルを辞めたら、どうしようか真剣に考えないとだめかもしれないと思ったのだ。
元来あたしは性格が可愛くなくて口も悪いし、ふりふりのスカートよりもジャージの方が楽だし、アイドルに向いてはいない。流雨ちゃんの隣にいる為に、自分なりに矯正して努力してアイドルらしく振舞っていたのに。
「海霧」
それなのに流雨ちゃんがやめるならやめようかなって考えるのにも自己嫌悪した。流雨ちゃんに合わせてばっかりで中身空っぽ、海霧は皆無だ。
「海霧ってば」
「うわぁ!?流雨ちゃん!?」
いつの間にか来ていたのか、流雨ちゃんが振り返ると立っていた。ふわふわのマフラーに顔を埋めて、鼻の頭が赤いのが可愛かった。
「なんで砂のお城作ってるのよ」
「暇だったから……」
「冬なんだからすぐ真っ暗になっちゃうわよ」
「流雨ちゃんはなんでここに……?」
「黄昏に来たのよ、海霧もでしょ」
「うん、まぁ」
「まぁ海霧がいるかなって思って来たんだけど」
ブーツと靴下を脱いで、あっさりと冷たい水に入っていく。流雨ちゃんはスカートの裾を持って波を蹴ってはしゃいだ。
「あは、流石に冷たいわ」
「ちょっと、流雨ちゃん風邪引くよ」
「人を傷つけてきたから罰を与えたい気分なの」
「え?」
「春木さんのことだけど、改めて断ったわ」
「あ、そうなんだ」
あたしが悩む時間があったように、流雨ちゃんには流雨ちゃんの時間が流れていて、知らないところで話が進んでいたようだ。
いや全部その場に居合わせようなんてできっこないけど、あとから聞くとなるとまた複雑だ。運命で結ばれてたのは春木さんと流雨ちゃんで、本当にあたしには関係ないのが突きつけられたようで。
「春木さん、本当にあたしに一目惚れしてくれてたみたいだったから、お父さんとお母さんと同じ事をしちゃったわ」
改めて告白をしに来たらしくて、誠意を感じたと流雨ちゃんは照れくさそうに笑う。あたしには随分と態度悪かったけど、とは言わないでおこう。二度も振られたのだから、死体蹴りはしない。
「断ったんなら、アイドル続けるんだよね」
「続けるわ。春木さんと話をして価値観が違うなって気付きを貰ったし……与えられる無償の愛よりも、見返りを求める愛の方がわたしの性に合ってるなって思ったの」
ばしゃばしゃと海水をこちらにかけてくるから、あたしは砂を返すと倍に冷たい水を浴びせられた。
「愛されるよりも愛したいってやつ?」
「まぁ端的に言えばね。いくら『運命の番』でも、たった一人に愛され抜かれる保証もないし。だったらより多くの人を愛して、偶像でも愛されてる方が満たされるもの」
「うーん、今決めないでさ。これから先、春木さんのことを好きになることもあるかもなのに良かったの?」
「あれ?春木さんのこともわたしがアイドルを辞めることも気に食わなそうにしてたのに、くっついて欲しかったの?」
流石は幼馴染み、割とお見通しだったみたいだ。恥ずかしくて顔が熱くなる。
「上手くいって欲しいわけじゃなかったけど、答え出すの早いかなって」
「確かに運命だ〜って浮かれたけど、わたしは捨てられるリスクを抱えてまで、誰かのお嫁さんになりたいわけじゃないなって。だから海霧の気持ちにも応えられないわ」
流れるようにあたしも振られてしまったけど、不思議と安堵した。
そうだ、あたしはこの子がなりたいものをずっと教えて貰っていたのに、何を優先するか分かっていたのに。言わせてくれなかったのに振るのはちょっと酷いけど。
「だって、わたしはアイドルだもの。恋愛禁止よ」
ファンの待ち受けるステージが恋人だからと、片目を瞑った。そんな時代遅れの化石みたいな価値観に、あたしは苦笑いを返した。
「みんなアイドルが恋愛禁止なんて今更思ってないよ、『Ω』は特に運命探しの手段だし」
「そうね、『Ω』ならステージに立てる容易な時代になっちゃったわ。でも降りるのも簡単でしょ?」
「まぁ……」
「わたしの夢はね、海霧。あの頃から変わってないわ、アイドルになること」
「もうなれてるよ」
「ふふ、海霧が知らないうちにちょっと変わったのよ。なりたいのは生涯現役のアイドルよ、だからステージに立ち続けるわ。いちばん難しくって、かっこいいでしょ」
案外普通で、特別な理由で運命の相手さえも振るんだから、としょうがない。ただそばにいられれば、あたしの気持ちも報われるし。
「流羽ちゃんらしいや」
普通の女の子に戻った方が楽なのに、流羽ちゃんはそれをしない。悔しくて苦しくて血が滲むほどの努力を重ねて、それを一切表に出さずに笑顔でいることを、アイドルでいることを彼女が選ぶというのなら、あたしもそうしよう。そうするしかない。
「それに、海霧が一番わたしが降りるのを許してくれないでしょ」
ぽつりと流雨ちゃんが何か言ったようだったけど、丁度波の音でかき消されてしまった。
「え?なんか言った?」
「別に、春木さんよりも嫌われるのが怖い人がいるってだけ」
「あぁ。流雨ちゃんはガチでファンのこと好きだよね」
「まぁね、生みの親よりもわたしを愛してくれてるもの」
「そりゃそう。ね、流雨ちゃん、折角だし歌ってよ」
「折角って何よ」
「決意表明?あと映えだよ、冬の海をバックにしても流雨ちゃんは可愛いよ」
「海霧、ほんとわたしの顔好きよね」
「美人が三日で飽きるなんて嘘だよ。もう十何年も見てるのに飽きてない」
「はいはい、歌うなら海霧も一緒にね。わたしたちの曲なんだから」
「うん」
「♪」
澄んだ空気に合わせて、あたしも歌声を重ねた。幼い流雨ちゃんがおもちゃのマイクを握って、たった一人の観客のあたしに向かって歌っていてくれたあの時間が、一番の望みだった。やんちゃしてたあたしが木登りも鉄棒も我慢してアイドルごっこに付き合ったのは、流雨ちゃんが幸せそうに歌うから。
永遠を信じない流雨ちゃんとの永遠がどうしても欲しかった。一番近くで歌を聞いて満たされたかったから、あたしもアイドルになったのだ。誰かの曲じゃなくてあたし達の歌を歌える幸福を知っている。
不純な動機で始めたあたしも、曲がりなりにも愛してもらえてるアイドルだから。あたしだけはあたしを否定しないで、頑張らなきゃいけないと歌いながら鼻を啜った。
アンコールの一言で、待っていてくれる、愛していてくれる人達がいる。無理に履いたガラスの靴の痛みだって隠して、笑って貰った愛を返そう。
それだけで何度だって、容赦なく幕は上がるのだから。



END

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?