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初めて自分のお金で買ったCDは、音楽を志す人の初期衝動の象徴かもしれない。

「#はじめて買ったCD」

音楽を作ったり
演奏することが好き、で

今はその機会はめっきり減しまったけれど、
以前は、生活の中心に音楽がありました

おかげで、同じように生活の中心に音楽がある人たちと話をする機会も
たくさんありました


当時、初めて出会う人によく尋ねた質問がまさに、

「はじめて買ったCDは何ですか?」でした

加えて、
「それを今も持っていますか?」


思い返すと、けっこうたくさんの人に質問をしました
作るだけでなく、仕事として携わるひとたちにも尋ねました


初めて自分のお金を出して買ったCDは、
その人が ”音楽を提供する者” になろうと思った ”初期衝動” を象徴しているような気がして
そして、そんな人たちのことを、少しでも知りたいと思って。


「こういう音楽性を持ったこの人は、どういう音楽に初期衝動があったのだろう?」

「ファッションと言葉選びに ずいぶんギャップのあるこの人は、どんな音楽を愛しているんだろう?」

「この人のルーツは、たぶんあのアーティストだと思うけれど、どうだろう?」

そして、「それを今も大切に持っているのだろうか?」


※格好をつけましたが、
 この質問には、コミュニケーションの苦手な僕の常套句だった、という要素も含まれております


で、結果はどうだったかというと、
はじめて買ったCD は、その人の毛色とはちょっと遠いかなと思えるものが多かった印象です
CDも、処分してしまった人が大多数でした

※半分の人は、初めての質問がそれ?と訝しんで答え、
 半分の人は照れながらも、うれしそうに答えてくれました
 その節は、ありがとうございました


そりゃあ、そうですよね
そもそも、初めて買ったCD=初期衝動ではないし
いきなり運命の人に出会うなんてことも、まずありえない



やっと、本題。
そんな僕は、これです

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教科書に載っていて、ガツンと来たので買いました
今も持っています
僕のルーツはまちがいなくビートルズなので、
僕は、いきなり運命の人に出会えた めずらしい部類のようです

* * * * * * * * * * 

存在が大きければ大きいほど、物語はひとり歩きしてしまうもの

世界にとってのビートルズも、あること ないこと 誇大 過小、たくさんあるでしょう
しかし、時を経るほどに、音楽を聴くたびに、ビートルズの偉大さを感じざるを得ません
数年前、AIが当時のヒット曲を参考に作ったという曲を聞きましたが、
端々にビートルズを感じたことを覚えています


時代じだいを彩るアーティストたちに、ビートルズに対する意識があろうが、なかろうが、
彼らによって作られ、世界中の人を夢中にしているその楽曲たちには、ビートルズの成分がしっかり入っている

脈々と受け継がれる音楽(文化)には、その時代のエッセンスがしみ込んでいて、
その時代の寵児たちにしみ込んだビートルズの成分は、僕の想像以上に濃いのだ、と感じました

* * * * * * * * * * 

サブスクが当たり前になった現代
音楽は新しいフェーズに入ったと感じています。
アルバムの曲順や、曲と曲の ”間” は考える必要のないものになりつつあるし、
あえてPCで部分を切り貼りして作ったことを意識させる(前衛的ではない)曲も聴きなれてきました。

また、
先日、小学生の女の子が友達に向かって
「○○の新曲、観た?」
と言っていました。
音楽は映像と一体となって表現されるのが当たり前になったようです。

* * * * * * * * * * 
そう。
歳を重ねた僕は、新しいフェーズと感じるけれど、
ともすると感性の若い人たちは、急激に文化が変わったとは感じていないかもしれない

今はちょっと急流かもしれないけれど、それでも大きく緩やかに変化する流れの中ですよ、
○○以前、ポスト○○なんて線引き、言われればそうかもしれないですね、
くらいの軽さで


そんな現代の音楽の中に、薄まりながらもビートルズの成分は、僕の初期衝動の象徴は、たしかに存在しています


僕の作った曲も誰かの中に残り、僕の中のビートルズが受け継がれているんだとしたら、

また、
僕の曲が文化の潮流に混ざっているのだとしたら、

それはとても、とても幸福なことにちがいない


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