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さよならを言わせてよ

残暑厳しい中、みなさま如何お過ごしですか?
と、書いたものの、意外にちゃんと秋になっている今日この頃。
新元号に代わってから5年目に入ったので、そろそろ令和さんには地球の温度調節にも慣れて欲しいな。
そんなことを思いながらお迎えする10月第一木曜日、今回は丁稚の私情回です。みなさま、如何お過ごしでしょうか?(2回目)

さて、意味深なタイトルをつけてしまいましたが、今のところ丁稚はnoteを止める予定も、たべるばを辞す気も毛頭ございませんので、ご安心ください(または悪しからず)。
今回の「さよならを言わせてよ」は、残される立場からの「言わせて」です。

実は丁稚、つい最近、なんなら今年の6月くらいまで「自分が死んだら火葬場直行、遺灰はどっか適当に撒いてくれ。遺族があるなら、何も気にせずいつも通り自由に過ごせ。」と心底思っていました。
その価値観が180度、とは行かないまでも、150度替わる体験をしたのが今年の9月でした。

はなしは少々遡り、今年の5月。
今の場所に越してきてから親子ともどもずっとお世話になり、ロールモデルの1人として非常に尊敬していた方が県外にお引越しをされるという話を聞きました。
その方は色々な苦労をされながらも、太陽みたいに明るくて、暖かくて、わたしの娘だけでなく、近所の子どもたち全員を自分の家族のように愛し、接して下さり、また、子どもたちの保護者に対しても、頑張りすぎてないか、辛いことはないかと常に心を配ってくれる、女神のような方です。
ある家族が一家全員でコロナに罹ってしまった際には三度の食事を差し入れし、他の母親が子育てやその他諸々で疲れとストレスが溜まってしまった際にはまめに声をかけると共に機会を見て外に連れ出して発散をさせ、そして子どもたちに対しては好き嫌いを覚え、美味しい果物が手に入るとすぐに周囲に配るなど、大人子どもの区別なく愛を注いでくださる方でした。
わたしと娘に対しても、娘の食べ具合に合わせたサイズの可愛らしいお弁当箱をくださったり、わたしもお茶を頂いたりしていました。しかもそのお茶、癌の既往歴があるひとにはとても良いものであることを後で知りました。
本当に本当に、菩薩のような方です。

その方が、引っ越してしまう!
引っ越しのはなしを聞いてから、わたしは心の一か所が沼に沈んだようになっていました。

第一報を聞いてから約三ヶ月ほど経ち、お世話になっている友人たちの間で、送別会をしよう、という話がでてきました。
当初、わたしは送別会をすることで「別れ」というものと向き合うことになってしまうことが怖く、なかなか積極的にその話を進める気持ちになれませんでした。
一方で、その方のことが大好きな娘にとって、きちんとしたお別れをしないということは大きな負担になるということも事実であり、自分の気持ちと娘のメンタルケアを天秤にかけながら送別会の話し合いに参加するような状態が続きました。
しかし、話し合いに参加する中で、自分の中で一つの変化が起こりました。
それは、所謂「受容」というようなもので、「お引越しで別れることは寂しいけれど、距離が離れることは終わりではない」という現実を正しく認識できるようになったのです。

わたしにとって、このことは一つの発見のようなものでした。
どちらかと言えば、「跡形もなく去っていく」ことへの憧れが強く、記憶も証も残したくないと思いながら40年生きてきたわたしですが、「お世話になった方の送別会」という経験を通して、きちんとした形で感謝とお別れとまた会いましょうを確認しあうことの大切さを、はじめて理解することになったのです。
送別会の準備をする中で、たくさんの思い出を改めて思い出すことができましたし、その方への想いや憧れを再確認することができました。
そして、当日には感謝の気持ちとともに、改めての「大好き」をきちんと伝えることができました。子どもたちにとっても、ありがとうと大好きとまたね、を言い合えたことは、引っ越しの寂しさを乗り越える大きな力になっているように思えます。

そしてそんなことを考えている中、一冊の本に出合いました。
今年の読書感想画コンクールの課題図書にもなっている、『母の国、父の国』(著:小手鞠るい)です。
この本の主人公はある日、母親に去られます。それこそ、急に予告も無く。
後にこの唐突な別れは母親によって完全にコントロールされたものであることを主人公は知るのですが、その事実は彼女の人生に影を落とすことになります。
わたし自身、冒頭に述べたような「別れ観」の持ち主であったので、この本の主人公の母親の気持ちも全く理解できないという訳ではありません。
しかし、今回の送別会の件を経て、「去る側のマナー」のようなものも意識し始めました。
具体的にいえば、「存分にさようならを言わせてあげること」と「(それが可能であるなら)再会をしっかりと約束すること」の二つです。

「さようなら」と「また会おうね」この二つを言うこと、言わせてあげること。
人間として生きていく限り付きまとう「別れ」への特効薬は、この二つしかないような気が、今はしています。

「不惑」と呼ばれる歳になってから、自分の人生観(ある意味死生観)が変わるような体験をすることになるとは正直思ってもみませんでした。
でもまぁ、変わる時はなんか知らんけど、あっさり変わる。
変わっちゃったからにはしょうがない。受け入れましょう。

そういうわけで、今のわたしが理想として想う自分の最後の「お別れ」は、キメキメの遺影をキラキラにデコってもらい、大好きな薔薇に囲まれ、出棺の合図は「マツケンサンバ」です!
関係者各位、どうぞよろしく!

さて、次回は久しぶりに本の紹介でもしたいな~と考えております♪
それでは、また!

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