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神様に愛された声

私の声は女性にしてはかなり低く、電話で話すと十中八九男性と間違われます。
そんな私、長らく合唱団に在籍していて、当然パートはアルト(女性の低声部)。

ちなみにボイストレーナーの先生もアルトだったのですが、「アルトと正直に名刺に書くと仕事が来なくなる(もしくは魔女の役とかしかない)ので、嘘でもメッツォ・ソプラノと書いている」と仰ってました。女性の声とは、やはり高い声だと思われてるんですよねぇ。いやはや。

こんな中、adoさん、yamaさんといった低い声の女性が活躍しているのを見るにつけ嬉しくなります。(あ、yamaさんは性別公開してないですが、おそらく女声だな~と思いました)

adoさん、お若いのにすごいねぇ、くらいなんですが、ご自身のTwitterでは

こういう風に仰っているんですね。いやいや私は好きですから。

そこで思い出すのが、世界の歌姫シャキーラのこと。

wikipedia情報を鵜呑みにするのはどうかと思うのですが、こちらの記事によればシャキーラは、

10歳のとき学校の合唱団に入団したが、声が「強すぎる」と指摘され、放逐された。友人らは、声が山羊のようだとからかったという。

確かに彼女の声は独特で、「ヤギのようだ」という表現を聞いてファンの私でさえ「…うまいこというな」と一瞬思ってしまったほど。続く説明に、

その結果シャキーラは他で歌う機会を模索し始め、テレビで毎週放送されていた子供向けの歌謡コンテスト番組Vivan los niñosに出場した。

自分の声が合唱団では生かせないことを知った彼女は、一人で歌える場所を探した、というような話。

このエピソードは、いろんなことを考えさせられます。
個性とは、時として周囲を圧倒してするがゆえに理解されがたいこと。
自分を生かす場所はどこにあるのか、ということ。
自分を生かす場所もあれば殺す場所もある、ということ。

合唱団に所属している身としては、確かにシャキーラの声は癖が強すぎるな、と思います。おそらく、全体の声とまとまらないのです。
時代は「個性を磨こう!」って時代ですが、私は「没個性だって個性だ」という言葉が大好きです。合唱に必要なのは、まとまる声。というか、まとまってひとつに響かせるのが「合唱」ですしね。

でも、自分を生かせる場所を探した彼女は今や世界の歌姫です。私も大好き。

私もこんな記事を書いたことがあります。
どこに出しても十中八九「気持ち悪い」としか言われなかった、私の変に曲がる指が、お箏の先生からはめちゃくちゃ羨ましがられた話です。

こういうふうに、どこにでも「生きていく場所」「生かしてくれる場所」って言うのがあって、もし今苦しんでいるんだったらそれは「自分を生かせる場所じゃない」ってコトなのかもな、と思います。

そう言う場所を多く知っておくために、出会いや経験は、必要なのかも。

もしサポートのご意思があるなら、お気持ちだけで。別の困っている方へ直接ご寄付ください。私と私の家族は元気なのでnote経由のサポートの必要はありません(*'ω'*)