発達障害と診断されるまで

こんにちは。arumikuです。自分が発達障害と診断されるまではまあまあ時間がかかりました。(ざっと28年)

発達障害と診断され、自分の特性を自覚したからといって別に障害が良くなるわけではないのですが、共存・共栄を目指して日々の記録を取っていけたらと思います。


①そもそも自分の子供時代には、発達障害なんていう言葉はなかった。

ちょっと変わった子ってクラスにひとりくらいはいたと思う。(そうです私です。)勉強はまあまあできるのに友達がひとりかふたりか、ひとりぼっちになって詰んだり、体育が壊滅的にできないやつ。私はぼーっとした子どもで、自分はぼーっとするのが好きなんだと思い込んでいたけれど、ぼーっとしかできない子どもだった。子どもなりに脳が悪いんだと真理を突いていたけれど、「どこもおかしくない」と親に言われたっけ。とにかく努力が足りない、とのことだったので勉強だけは頑張っていた。


②大人になったらなんとかなると思っていた

思っていたんです。経験をつめば・・・学習すれば・・・なんて。実際は働き始めても仕事で失敗し、どんどん自信をなくしていった。メンクリにも通った。安定剤を出されて、「社交不安障害」「社会不安障害」「適応障害」「睡眠障害」「鬱」などよくありがちな診断が出される。あくまでこれは二次障害として出ている症状であって、本質的なものではなかったのだが、その時は気づかなかった。


③子育ては自分と向き合うきっかけとなる

妊娠がわかり結婚して仕事をやめて子どもが生まれたので、仕事をしていない間は元気だった。「あ、これでやっとまともな人間になった」気がしたのだ。でも、うちの子、めちゃくちゃ育てるのが大変で(のちに発達障害とわかる)この子一日家で見るより、働いてプロの目のお世話になったほうがマシなんじゃないか、と思うようになる。たまたま仕事・家・育児との両立が取れそうな職場に採用が決まったので、働き始めることにした。

働き始めて思ったのが、「あれ、やっぱり自分って人と違う」だった。まともな人間だと思ってたのは社会から隔離されたマジックだったのだな、と。


④きっかけはTwitterで

ほんとにたまたまだけどTwitterで「不注意優勢型発達障害」の記事を目にして「あーーーーこれ、もしかして私なんでは」と思った。

ところで、病院に行くのにはとても勇気が要る。かつてメンクリに通っていた時も、あまり良い思い出はなかった。なので、「そうなのかも」と思いながらも、実際に病院に行くまでは結構時間がかかった(1年くらい?)

でも、相変わらず人間関係は苦手だし、この際、自分の正体を確かめてみたい・・・そう思ったのである。

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