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あえて下を向いてみる。

上を向いて歩こう、なんて歌、知ってますかね。昔、大ヒットした曲なんですが。またしても、年齢がばれますね。確かにすごくいい曲です。歌詞にある「涙がこぼれないように」なんて、いや、こんな素敵な言葉、とても思いつかない、と感心するばかりです。でもね、上を向いてばかりいたら、つまずいてしまいませんか。

それに目標に向かって、上を目指して努力をするってのも大切だけど、そんな向上心ばかりの毎日じゃ疲れてしまいます。だから、時には下を向いて歩いたっていいじゃないでしょうか。一見、元気がなさそうに見えるかもしれないけれど、人にどう見られているかなんて、気にする必要はありません。足元に目線を移してみれば、幸せはすぐにある、なんてよくある話。そんなことを、改めて考えさせらた、秋のある日曜日の出来事です。それではどうぞ。

時計の針を見ると午後4時前。この時間になると部屋にはずいぶんと陽が入ってくる。秋が終わりに近づいているのを実感する。今日はずいぶんと平和な日曜日だった、なんてのんびりとソファーに寝転んでいると、その声は突然飛び込んできた。

「もう、お母さん、知らないからね! 自分でなんとかしなさい」

「ダメ、ダメぇ」

妻と小学校2年生になる娘とのやりとりだ。「週末がそんな簡単に終わると思ったら大間違い。あんたの緩んだ気持ち、引き締めなおしてやる」 非常事態宣言が発令された。まどろみ加減だった僕は一気に現実に引き戻される。

「昨日、拾ったの、捨てちゃったんでしょ。ちゃんと片付けておきなさいって言ったでしょ。お母さん、知らないよ。」

昨日、集めてきた落ち葉が見つからないらしい。明日の授業で使うため、娘はショックで泣きじゃくっている。

「お父さんと4階公園に行って拾ってきたら? もうすぐ暗くなっちゃうよ。」 学校に持っていかないというわけにもいかず、妻がそう提案した。

僕の住むマンションは駐車場が4階建ての別棟になっている。その屋上がちょっとした広場になっていて、子供たちの手近な遊び場になっている。縄跳びをしたり、自転車に乗ったり、たくさんの木々も植えてあるので、秘密基地になったり。みんな、親しみを込めて4階公園と呼んでいる。

「えっ、めんどくさいな」 と内心思ったのが正直なところだが、そんな発言をしたら火の粉がこっちに飛んでくるのは間違いない。危険を素早く察知した僕は身も心も軽やかなふりをして娘に声をかけた。「じゃ、4階公園に行こう」

「落ち葉なんて見つかるのかな」 公園の入り口に立って最初に感じたのは不安だった。木々の葉はまだ青々としている。それに掃除も行き届いていて(感謝すべきことではあるのだが)葉っぱなど落ちていないように見える。秋の日はつるべ落としとはまさにこのこと、陽はどんどん傾き、少し暗くなり始めている。

今から別の場所に探しに行くのはつらいな。「ねぇ、どうしようか」 話かけようと思った矢先、娘がパッと駆け出した。木の下にしゃがみ込んだと思ったら、「あったぁ」 大きなはっぱを見せてくれた。全体の半分くらいが紅葉している。緑と赤のコントラストがきれいだ。なんて思っていると 「また、あった」 という声。今度は、小さな葉っぱ。見事に紅葉、というよりはもう完全に枯れ葉。ちょっと強く触れたらパリッと壊れてしまいそうで、そのもろさがいとおしい気がする。なんだか自分でも見つけてみたくなり、娘の隣にしゃがみ込み、一緒に探し始める。

鮮やかな赤と黄色が見つかった。

赤茶色? いや、こんな色のことを紅色っていうんだろうか?

黄色と緑の網目模様。陽に透かすと葉脈がはっきりと見える。

これは、紫? どんな過程でこんな色になるんだろう……

入り口に立った時、緑一色だった公園。それが、ほんの一歩二歩踏み込んだだけで、一瞬にして色鮮やかな世界に変わった。気づかなかった、こんな世界がすぐ足元ににあったなんて……

 「いや、違う。この感じ、僕は知っている」 もう一人の僕が静かにささやきかけてきた。そう、この感じ、初めてじゃない。子供たちと過ごす時間(とき)、僕はいつも“それ”を感じている。僕の中に眠っていた“それ”が目を覚まし、僕の肌にまで浮き上がってくるのを。

肌が粟立つのを感じた。色。そうだ、子供のころ、世界はいつも色にあふれていた。生命(いのち)の力強さとはかなさ、四季のうつろい、影の濃淡。世界とのやり取りは、いつも色が教えてくれた。僕たちは色と共に生きていた。いつからだろう、世界が色を失ったのは。

「いや、違う」 もう一人の僕がまた声をかけてくる。そう、違う。世界は変わっていない。色を失ったのは僕だ。いつのまにか僕は、世界を一つの色で見るようになっていた。入り口に立った時、僕にとって公園が一色だったように。

「お父さん」 娘がまた一枚、葉っぱを見せてくれた。真っ黒になった葉っぱの一部に白い丸がついている。なにかの菌だろうか、夜空に浮かぶ月のようだ。それを見た瞬間、なにかが救われたような気がした。そうだ、真っ暗な世界にだって光は差し込む。光があれば、僕たちはもう一度、色を感じることができるだと。

僕たちはいつも前を向いて歩いている、未来がそこにあるのを信じて。でも、ふと立ち止まってしまうことある、ある日、世界が突然色を失ってしまって…… そんな時はちょっと思い出してほしい。色のある世界、それは思ったよりもずっと近く、僕たちの足元にあるのかもしれないことを。僕が4階公園で見つけたように。そう、そんな時、口ずさんでみたらどうだろうか、下を向いて歩こうと。

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