メンタルの弱さを脱却したと思っていたらしていなかった話

今日、苦手な「友達」と一緒にアフタヌーンティーに行った。
今日は最悪な1日だ。自分の性格の悪さと、打開しきれてなかった心の弱さに苛まれている。

その子は中1のクラスが同じで、その頃から薄く親交があったので、普通に友達だった。それに、私も彼女も結構なツイ廃なので、大学に入ってからも近況や考えてることは共有していた。その子は友達のこと大好きというくせに自分の独自の感覚を持っていて(私にとって独自なだけかも)、私はそれに全く共感できず、わたしがTwitterでいうことにとても批判的なので、その子と合わないことは認知していた。なのにだらだらと関係を続けている。切りたい切りたいと思っても、寂しさが勝つ。あっちも妥協でわたしのことを切らないので、だらだらとグループ通話したりしている。

彼女に対する怒りは、わたしの弱さが原因でしかないのだろう。

会う予定がある人とは、相当寛容な人が似ている感性の人でない限り、自分の思想が詰まったポストを見せてはいけない。

昨日私はいつものように自分の恋愛観を言語化していた。自分の思考を言語化することは私にとって酸素や餌を与えるようなもので、しないと息苦しくて死んでしまう。

彼氏が欲しい、だって友達は誘うのに相手が楽しめるかどうかを考えなくてはいけない、だけど彼氏なら一緒にいることが目的だから、私のしたいことを気軽に誘える。

私にとっては普通のことだった。だって彼氏を作る理由なんてそれか夜のことくらいのためだろう。それを許容して、なんなら私のしたいことに興味を持ってくれる人と付き合いたい。逆にそれが嫌な人と無理してまで付き合いたくない。これは甘えなのか?彼女や彼女と仲の良い子たちは、彼氏も人だ、むしろそれなら友達の方が適任だという。そういったって、もしそうなら世の中にいるカップルはなんのためにデートをするのか?どちらかが行きたいと言ったのだろう。それをもう一人が了承したのだ。大して面白くもない花火大会や公園にカップルが集まるのは、家ではないけど二人でいられるところを求めているのだろう?私の伝え方が誤っていたのかもしれないが、一回否定されて相手に強制するほどの考えではないので、その日のTwitterをやめた。しかし、私は昨日から彼女に対する不信感が強まってしまった。

今日、なるべく普通を装った。いつも友達と会う時は相手が大体遅れるのでギリギリに行くのだが、その子は遅刻に厳しいので、絶対遅れないように電車を一本早め、会った瞬間はまさに、「会えて嬉しい〜久しぶりだね!」という感じで。どうにか相手が喜ぶことを言った。その子は逆に不機嫌になった。「私に興味ないくせに、」「どうせ自分にしか興味ないんでしょ、」「どういうこと?意味わかんない」全ての言動で私は間違えてしまったらしい。でも私もそれは想定内だった。相手に興味を持っているふりをしても嫌われるけど、私が好きな話をしても彼女は話を広げてくれる訳でもないことを。

ただその解決策を持っていないだけなのだ。私の辞書にどころか、ネットの海にも載っていない。

数年前まで、普通に話せていたのにな、と思ったが、違った。その時は同じものにハマっていて、でもお互いの好きなキャラクターにはそこまで興味はなかったが、互いに一方的に話を聞いていただけだった。思い出した。高3のとき、廊下で彼女は自分の嫌いな配信者の嫌なところを言って、私は心の中で「そんなに気にすることなんだ〜」と思っていたことを。

本当に真逆の人間なのだ。一つ似ているところを挙げるなら、お互いの理想が高く、それを傷つけられたくないことだろう。彼女は私よりよっぽど努力家で真面目で自分の好きなものにまっすぐなので、私のようなちゃらんぽらんな人間は見ててイライラしてしまうのだ。しかし、私にもそのちゃらんぽらんさを許して欲しいという理想が会った。理想でしかないが、許してくれる人だけと仲良くして生きてきた、そんな気がする。

私は震えるハムスターになりながら(その様子はさらに彼女を苛立たせた)、もう話すことを諦めてしまった。アフタヌーンティーのお菓子や紅茶は絶品で、ホテルからの眺望も最高だったけれど、一人で来ているような気分だった。むしろ後半、気が楽になってきた。

今、一人になって感じる。なるべく誰のことも責めないように、私も彼女も一切の非はないことを、意識しよう。それが、人それぞれの「価値観」だろう。

彼女と、彼女と仲のいい人たちとはなるべく話さない、目に入れないようにしよう。

私は私の価値観と合わない人とは会わないようにしている。

これからも。

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