バカの山から記事を書く
読んだ。
長い文章なので賛同できる点もあれば反対する点もあるけれど、真っ先に思うのは「耳が痛いな」である。俺は特定のジャンルを専門にしているわけではないけれど、様々な分野の本を読んではそれで偉そうなことを書くというコンテンツを作っているので。その芸風の近さは堀元氏と俺が同一人物説が出るほどだ。
しかも俺の場合、監修をしてくれる専門家はゼロである。毎回一人で調べ、一人で書いて他の人の目を通さずに公開している。それなりに気をつけているつもりだけど、どれだけ間違い勘違い時代遅れが含まれているか分からない。
かといって勉強しつくしてから出すというのも難しい。かけられる時間やコストには限界があるし、完璧を求めていたらいつまでたっても出すことは不可能だ。それに常々思っているのだが、「完全に理解した」と思うタイミングでないと記事を書くのは難しい。
もちろんこの「完全に理解した」はネットミーム的な意味である。「バカの山の頂に立った」と言い換えても良い。ある分野についてしばらく学習した人が感じるあの万能感。そのタイミングだ。
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