脱衣舞 ~浅草の魔女~

                           3年 手塚実夏

 私は先日、魔女に出会ってしまった。いや、魔力にあてられたといったほうが正しいだろうか。出所のわからない魔力が、確かにあの空間には満ちていたのだ。
 きっかけは友人Yからの誘いであった。彼女は同じ総合文化政策学部の学生で、私とは違うラボに所属している。どうやらそのラボの主催でアートパフォーマンスの公演をするらしい。個性の強い彼女のことである、面白い企画をやるに違いない。渡されたフライヤーには公演名『AmuとSaku』、その他場所や時間など必要最低限の情報のみが記されている。興味本位で聞きはじめた私であったが、彼女の誘い文句は予想の斜め上を行っていた。
「知り合いのストリッパーさんが出るんだけど、どうかな。音楽も結構面白くて……」
 なんてこった。ラボの企画でストリッパーを呼ぶってどういうことなのだろうか。だいたいどうして彼女はストリッパーの知り合いがいるのか。彼女の発した単語に困惑するも、気づいた時にはこう答えていた。
 「金曜日なら空いてるわ、友達と行こうかなあ」

 チケット予約をした1週間後、私は友達二人と浅草リトルシアターへ向かった。その内の一人は当日になってから、かなりそわそわしだした。
 「すごく小さな劇場みたいで……。わたし、目が合ったらどうすればいいんだろう」
 一方、私は気軽な気持ちで銀座線に揺られていた。ストリッパーもしている人がただ踊るだけかもしれないな、と思っていたからだ。ラボの企画であるし、そんなに過激なことはしないだろうと高をくくっていたのだ。そして、会場に到着すると間もなく幕は上がった。
  
 終演後、私は今までにない経験に圧倒されていた。踊り子の身体のすべてを見てしまったこともそうだが、それ以上に、パフォーマンス全体の世界観に魅了されてしまった。
 決して広くない舞台上にあるのは、背景を映すスクリーンと何種類かの楽器、そしてペンキのみ。ハンマーダルシマー (※注)をチューニングし始める演奏者を尻目に、踊り子とインクの入ったパレットを手にした女の人がステージに登場する。ビィンと弦の音程をいじる音が広がり、始まっているのかまだなのか、浮遊感に似たそわそわが会場を包む。ずいぶん長いことその状態が続く。ゆっくりと、しなやかにステージ上を移動する踊り子。もう一人の演奏者がコントラバスをチューニングし始めた。どうやらもう始まっているらしい。
 チューニングの時間が終わり、だんだんと曲になってきた頃、踊り子の衣装が少しずつ脱がれ始めているのに気がつく。そして、布の面積が小さくなるにつれ体中にペインティングが広がる。あの空間において、踊り子が服を脱ぐのはごく自然なことに思えた。曲が完成していくにつれ、踊り子の動きは活発になり自らを解放していく。表情も見ものだった。私は彼女の顔面を凝視していたが、一度も目が合わない。彼女はどこも見ていないようだったが、私たちが知らない何かを見据えているようにも思えた。地上に降りてきた何者かのような、異質な空気感を目線一つで表現していた。一方ペインターは踊り子の激しい動きにも構わず、まっすぐな意思によって筆を動かす。白色一色とカラフルなペンキを重ねていくのでより鮮やかになってきた。そして、スクリーンも場の雰囲気と連動するようにサクと読む漢字(例:策、作、柵)が躍る。観客はもう、踊り子を含む会場が全力で表現する生命力に目を離すことができない。
 終演後、少女のような笑顔を見せて共演者を紹介する踊り子さんはどこにでもいるかわいらしい女性だった。演奏者も、ペインターからも不思議な妖気は感じられなかったし、会場ももとの狭いホールに戻っていた。あの、恍惚とした表情をして、すべてを悟り、人知を超えた存在に見えた踊り子は誰だったのだろう。そして、魔力を感じさせるようなあの空気はどこから来たものだったのか。踊り子が魔女だったのか、ペインターが魔女なのか、演奏者なのか、はたまた会場の空気そのものが魔力をはらんでいたのか。私にはわからなかったが、惹きつける魔力を持っているとはどういうことか、少しつかめたような気がする。自分には到底及ばないがゆえに目が離せない、そんな存在になることなのではないだろうか。

※注:ピアノの前身にあたるヨーロッパの打弦楽器。台形をした共鳴箱の上に多数の弦を水平に張り、2本の桴(ばち)またはハンマーで打つ。西アジアのサントゥールと同系統の楽器。ハンマーダルシマー。
"ダルシマー【dulcimer】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com.hawking1.agulin.aoyama.ac.jp, (参照 2017-10-02)


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