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日本人のルーツ

氷河期とは、地球が誕生してから大陸に氷河が成長した時代とそうでない時代が繰り返されてきた中で、約3500万年前に始まった気温が低い時代です。

氷河期の終わりに、シベリアからマンモスハンターが南下して日本に定住した。
日本人のルーツの一つは、シベリア東部に先住するモンゴル系の狩猟民族「ブリヤート人」です。

ブリヤート人

ブリヤート人は、仏教やシャーマニズム信仰を持っている点も日本人と似ていますね。
力が強く格闘に向いている民族です。

ロシアのブリヤート人は白ロシア系との混血が進んでいるようです。
シベリアに残ったブリヤート人は遊牧民(モンゴル同様)へ変化した。

今から400~500万年前に遠くアフリカの熱帯域で生まれた人類(猿人)
その後、l00万年余り前の原人の時代に初めてアフリカから脱出し、ユーラシア大陸各地へと広く拡散した。
アジアでも、最初は熱帯域に住み着いた原人(ジャワ原人)
環境への適応能力を増して徐々に北上、北京地方や陸地続きになっていた日本列島ヘ拡散していく。

古モンゴロイドと新モンゴロイドは、W・W・ハウエルズによるモンゴロイドの分類で、
寒冷地適応を経ているか否かの違いを表したものです。

古モンゴロイド(猿人の進化系、原人)
古モンゴロイドは、背がやや低く、彫りの深い顔で体毛は多いという特徴があります。
おもに南方アジアに分布しています。

日本に来た古モンゴロイドは東北を中心として多く分布している。

新モンゴロイド(耐寒性)
マンモスを狩る為に広大なシベリアを駆け回った。
新モンゴロイドは、のっぺりとした顔で体毛が薄く、背が高いという特徴があります。
寒冷順化した人種で、氷河期に歩いて日本列島や北アメリカ大陸へ広がった。

日本に来た新モンゴロイドは日本の中央部に定住しました。

凹凸の少ない顔立ち
頬骨の張った顔つき
扁平で細い目
蒙古襞(目頭のひだ)
新生児に蒙古斑が見られるのも特徴である
薄い体毛(特に男性のひげの少なさ)
耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状
頭髪が直毛であること
頭形は前後に短く横に広い短頭が一般的で脳容積が大きい
手足の短いずんぐりした体型

https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_14/4/notes/ja/04saito.pdf

よくわからない石器時代と縄文時代のこと
古く長い時代であることくらい。

その日暮らしの旧石器時代
旧石器時代とは、ホモ・ハビリスなどヒト属による石器(打製石器)の使用が始まった時代で、石器時代の初期・前期にあたる時代です。
年代的には200万年前に始まり、約3万8千年前から1万6千年前の約2万2千年間を指します。

採集経済の縄文時代
縄文人が先住民で、アイヌ人は後から発生します。
縄文時代は、日本列島における時代区分のひとつで、約1万2~3千年前から約2千3百年前まで続いた時代です。
縄文時代は、土器の製作や矢の使用が始まり、ムラが作り始められました。
弓矢や槍で獣を捕まえて肉を得たり、網で魚をとったり、貝を掘ったりして食べていた痕跡が残る。
縄文時代は比較的穏やかだったため、1万年以上も続いたと考えられています。
縄文文化は、縄文時代中期の終わりから後期にかけて気候が寒冷化したことにより徐々に衰退しました。食料不足で人口も26万人から8万人へと減りました。

縄文時代の遺跡には石を円形に並べ、中央に石柱を立てた日時計と思われるものがあった。

弥生時代の名称は後付
1884年(明治17年)に弥生町遺跡で発見された土器が発見地に因み「弥生式土器」と呼ばれたことに由来する。
縄文時代の火焔土器の様なデザイン性はなく、実用本位の土器であった。

稲作が始まった弥生時代には竪穴式住居と高床式倉庫、物見櫓が出現します。

生産経済の弥生時代
弥生時代は、日本列島における時代区分のひとつで、紀元前10世紀から紀元後3世紀中頃までにあたる時代です。縄文時代と古墳時代の間に当たり、およそ1000年続きました。
日本列島で稲作が始まり、日本で初めての国家が形成された時代です。
鉄や青銅技術が入ってきた時代です。
登呂遺跡、吉野ヶ里遺跡、原の辻遺跡
弥生語(古代語)が話されていました。

弥生時代に活躍した人物には、女王として国を統治した卑弥呼(ひみこ)や、卑弥弓呼(ひみゆみこ)、難升米(なんしょうべい)、台与(だいよ)、帥升(すいしょう)などが挙げられます。
魏志倭人伝で記された卑弥呼は高齢の独身女性だったという。
卑弥呼は鬼道のシャーマン(呪術師、預言者、占い師、先導者)だったと考えられる。
卑弥呼の弟が前に出て政治を補佐していたといわれています。

飛鳥時代には聖徳太子が出現して、天皇中心の日本統治を実現し
中国とも交流する。
本格的な都市が出現し、内乱も起こる。藤原京・平城京

現代人のゲノム(全遺伝情報)を解析したところ、47都道府県で縄文人由来と渡来人由来のゲノム比率が異なることがわかりました。
弥生時代に起こった混血の痕跡は今も残っているようです。

近畿と四国の人々は中国・北京の漢民族と遺伝的に近く、沖縄の人とは遺伝的に遠いことが示されています。
九州北部は中国や朝鮮半島と距離的に近いにもかかわらず、沖縄の人と遺伝的に近いこともわかりました。

日本列島に根づき、森を中心に豊かな文化を築き上げた縄文人。
DNA分析の結果、シベリアの「ブリヤート人」と遺伝的に最も近いことが判明しています。
マンモスなど大型動物を狩猟して生きていた北方の人々が、日本人のルーツの一つだと分かってきました。

水田稲作技術は、約3,000年前(紀元前10世紀)に古代中国の南部のアッサム・雲南から長江と西江を下り、海路で台湾・沖縄・九州に最初に伝わったと考えられています。
その後、約300年後(紀元前7世紀)には近畿地方まで広がり、約600年後(紀元前4世紀)には本州の北端まで伝わりました。

山を守った水田
水田は、洪水や土砂崩れを防ぐ役割も果たしています。
日本の地形は山の斜面が急で川の流れが速いため、洪水や土砂崩れが起こりやすくなりますが、水を貯めてゆっくりと外に出すことができる水田は、ダムのように洪水を防ぎます。また、斜面にある水田は土砂崩れを起こしにくくしています。

米は財産となる
米は税となる
多く蓄えたものが豪族となり、公家となり、王となっていく。荘園

農民との格差が産まれ争いごとが増え治安が悪化する。奈良時代
治安維持と徴税目的で武士がうまれ、武家が出来る。平安時代
武家が公家を超える権力を持つようになっていく。鎌倉時代~幕末
米を生産する農民が米を食べられず税として取られるので百姓一揆が起こる
宗教も絡み、一向一揆が11年も続く。

日本人の身長変動
石器時代から古代までは獣肉を接種していました
その後、魚肉や農作物中心の食生活に移行して、動物性たんぱく質が欠乏し、骨の成長の停滞につながった。殺生を禁止する仏教の影響や政治的な方針もありました。
古代から近世にかけて、身長が161cmから157cm程度に低下しました。
その後150年ほどの間に何でも食べるようになり栄養条件が劇的に良くなり170cmまで平均身長が伸びた。
食料(栄養)のとりすぎで肥満も増えた。

日本人で最も背が高いのは、松坂良光(まつざか よしみつ)さんです。
松坂さんは巨人症を患っており、身長は238cmまで伸びています。

身長停滞原因
最近では食生活の変化によるカルシウム不足による骨の成長阻害やインターネットやスマホの普及による睡眠不足などが原因ではないかともいわれる。
カルシウムを多くとり、体を鍛えて、睡眠もしっかりとるスポーツ選手は長身の人も増えている。
大谷翔平さんの身長は193cmもあります。
ダルビッシュ有さんは196cmです。
日本人の平均身長より20cm以上高い。

退化する日本人
現代では斜面での稲作が激減して土砂崩れが起きるようになりました。
また、ソーラーパネルの設置も土砂崩れや水質汚染の原因となっています。

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