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墨と筆


墨(すみ)とは、煤(すす)、膠(にかわ)、香料を主原料とする書画材料。


弘法大師空海が中国で筆の作り方などを学び、嵯峨天皇にたぬきの毛を使った筆を献上したと伝えられています。

有馬筆(ありまふで)
兵庫県神戸市の有馬地区で作られている書画用筆
伝統的な技法で手作りされており、その製造技術は兵庫県から重要無形文化財として指定されています。

有馬筆には、穂先を下に向けると軸の上端から人形が飛び出してくるからくり細工が施された人形筆(有馬人形筆)もあります。有馬人形筆は、色鮮やかな絹糸をまとった竹筆で、文字を書こうと筆を持つと、筆の尻から可愛い人形が飛び出すからくり細工と、絹糸を巻いて美しい模様を筆の柄につけるのが特徴です。
有馬人形筆は、室町時代に起源があるといわれ、500年以上前から作られていると言われています。
1970年の万国博覧会で地方民芸館に出展し、入選作品となったことから光明を得ました。

天保5年(1835年)には佐々木為次が13歳のときに有馬で筆の作り方を学び、18歳で熊野に戻ってきました。

熊野の人々は、農業が暇なときに奈良県や和歌山県に出稼ぎに行って、筆や墨を買い入れて熊野に帰ってきました。

墨に用いられる煤には、油煙、松煙、工業煙(軽油などを燃やしたもの)がある。

膠には筆記した文字を紙に固着させる効果がある。
膠は動物の骨や皮などを煮て得られる液体を濃縮乾燥させたものだが、牛皮を原料とする墨が多く製造されている。
墨の製造に用いる煤は、菜種油や鉱物油を原料にランプを使って製造するランプブラック法で製造したものや、松材を燃やして製造する松煙などが用いられている。

膠の臭いを緩和する目的と、気持ちを静めるために副次的に香料が使用されている。

煤や膠に少量の香料などを加えて練和し木型に入れて乾燥させたものは摺墨ともいう。このような硯で水とともに磨って用いる固形墨(こけいぼく)のほか、手軽に使えるよう液状に製造した液体墨(えきたいぼく)もある。固形墨を摺った液や液体墨は墨汁(ぼくじゅう)または墨液(ぼくえき)とも呼ばれる。

日本での製墨の記録は『日本書紀』が初出とされる。

大宝律令には中務省に造墨手を置くことが定められ、奈良時代には平城京図書寮や和豆賀(京都府和束町)、播磨国で墨が作られた。

播磨国の墨
播磨国衛(県庁)は、平安時代に存在した地方行政機関であり、
播磨国(現在の兵庫県姫路市周辺)に所在していました。
平城京(奈良)から各地に特産品が届けられ、その付札(送状)は一定の書式で記されていました。これらの付札は、出先の役人(国衛-県庁、郡家-郡役所)によって書かれたものと考えられています。
播磨国衛の工房で墨が製造されていました。

有馬に筆の工房があり、姫路に墨の工房があった様ですね。

平城京は、造墨や写経などの事業が盛んで、墨を使った人々は約1万人(平城宮内外合わせて)いたとされています。

平安時代には松煙墨の生産が盛んになり、紀伊国産の「藤代墨」や近江国産の「武佐墨」が知られた。

室町時代には明徳から応永の頃、奈良の興福寺二諦坊において油煙墨が作られるようになり、これは「南都油煙墨」と呼ばれ、松煙墨より墨色が濃く高く評価された。

松煙墨(しょうえんぼく)

奈良時代後期、平城京図書寮工房の出先作業所のある和束(わつか)で粗製松煙墨が初めて製造されました。
これを精製して写経用の松煙墨としたものが和束墨で、奈良朝時代を通じて産地名が明示された最初の墨であり、我が国最初の松煙墨かと思われます。

青墨
松煙は燃焼温度にむらがあり、粒子の大きさが均一でないことから、重厚な黒味から青灰色に至るまで墨色に幅がある。青みがかった色のものは青墨(せいぼく)と呼ばれる。雨風に弱い。

朱墨
朱墨の原料は、鉱産物として天然に採掘される辰砂である。

現存する日本最古の墨書は三重県嬉野町(現在は松阪市)貝蔵遺跡で出土した2世紀末の墨書土器に記されていた「田」という文字(あるいは記号)とされている。

墨の原料となる掃墨(松煙)や膠は、漆や絵具と共に絵師や仏像の仕上師などによって使われていた事は正倉院文書で所々見受けられます。また、孝謙天皇の代に百万塔陀羅尼経の印刷にも使われたものである事から、すでに奈良時代には墨は造られていたと思われます。

安土桃山時代には安価な菜種油が油煙の原料として使われるようになり、奈良では民間でも製墨が行われるようになった。江戸時代には紀伊徳川家の後押しにより、水墨画に適した紀伊国産の松煙墨である藤代墨が「藤白墨」として再興され珍重されたが、江戸末期には後継者が途絶えた。現在の墨の主要産地としては、奈良県産(奈良墨)が9割のシェアを占める。

東大寺写経所などで用いられた和墨は、中墨(価格30文)で平城宮の下級役人は下墨(価格10文)を杯蓋研(フタシキスズリ)で磨って木片に墨書し、日常の事務用に使っていた事が解ります。

墨型彫刻
墨を練る技術以外に、高級品では墨の形も美術工芸的に重要となる。墨型彫刻師が木型を製作し、多様な形態が珍重される。日本で墨型彫刻を専業で行なう工房は、2014年時点で奈良の中村雅峯(「型集」7代目)ただ一人だそうです。

明治20年代、小学校教員をしていた田口精爾が、冬場に冷たい水で墨をする生徒達や、墨にかかる時間で文字を書く時間が減ることを懸念し、液体の墨を作る事を発起。東京職工学校(現・東京工業大学)で応用化学を学び、その後、墨汁を発明。
1898年(明治31年)に「開明墨汁」と名付け商品化し販売。田口商会(現在の開明株式会社)を牛込区築土八幡(現在の新宿区)に創業した。

1957年(昭和32年)にはポリビニルアルコール(PVA)を利用した墨汁が初めて特許申請された。

墨付け正月(すみつけしょうがつ)とは、山陰・北陸地方などで小正月に若い男女が互いに異性のほおに墨や鍋墨を塗りつける行事です。新潟県では「墨塗り」とも呼ばれます。

筆・墨と言えば
私は幼稚園児の頃から書道を始め、小学3年生の頃に4段として名簿に掲載された。
その頃、レアな職業かもしれませんが写経師を目指した記憶がある。
硯で墨を磨って、精神統一していたような。
書写山円教寺で写経していたのが影響したのかも知れないです。

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