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ゾルゲ諜報団

勝てない戦争に挑んだ日本、その黒幕
戦争を始めた日本は何も悪くないとは言わないが、黒幕がいる事を知らない人がいるらしい。

200人以上のソ連スパイがルーズベルト大統領を操っていた。

国民を煽ったのは、毎日新聞、朝日新聞、極右団体、コミンテルン、日本の共産党員
近衛文麿政権のブレーンでソ連のスパイである尾崎秀実が政界・言論界に重要な地位を占め、朝日新聞とも連携して戦争を扇動していた。軍部ともつながりがあった。
尾崎たちスパイは、リヒャルト・ゾルゲが主導するソビエト連邦の諜報組織「ゾルゲ諜報団」に参加していた(1932年6月~本格的スパイ活動)。
日本で活動したメンバーはリーダーのリヒャルト・ゾルゲをはじめ、マックス・クラウゼン、ブランコ・ド・ヴーケリッチ、尾崎秀実、宮城与徳である。
また、協力者としては、秋山幸治、川合貞吉、川村義雄、北林トモ、九津見房子、小代好信、篠塚虎雄、田口右源太、中西巧、船越寿雄、安田徳太郎、山名正美、水野成、ギュンター・シュタインなどがおり、情報提供者ないし情報源としては、犬養健、西園寺公一、風見章、オイゲン・オット、アルブレヒト・フォン・ウラッハ、ヘルベルト・フォン・ディルクセン、ロベール・ギランなどの名が挙げられている。

筆名は、白川次郎、草野源吉。
評論家としては、中国問題に関して『朝日新聞』『中央公論』『改造』で論陣を張った。

ソ連による中ソ不可侵条約締結と在華ソビエト軍事顧問団やソ連空軍志願隊の派遣に前後し、9月23日付の『改造』臨時増刊号でも、局地的解決も不拡大方針もまったく意味をなさないとして講和・不拡大方針に反対、日中戦争拡大方針を主張した(コミンテルン指令1937年)。

一方、アメリカ国内においてもソ連による反日工作が行われており、後の対日政策に影響を与えた(「第7回コミンテルン世界大会」、『米国共産党調書』および「ヴェノナ文書」)。これら一連の動きは、日中の講和を阻害し、日本軍を中国に張り付け国力の消耗を狙ったものだった(敗戦革命論)。

コミンテルン 
ロシア革命に成功したレーニンが、世界共産主義革命のために創設した組織である。
日本の共産党も含む世界の共産主義者が集まった。

コミンテルンは資本主義諸国同士を戦わせて漁夫の利を得る戦術を取った。
敵と敵を争わせて弱ったところを叩く手法。

大戦前、ソ連と中国の間にはモンゴル人民共和国という傀儡国家を建国した。ここから東側諸国が始まることとなる。
大戦後、共産主義国家が増えており、終戦後の冷戦期には東側陣営となる。
日本に勝利した中国は共産主義国ではなく、戦後に中国で内戦を起こして共産党が勝った。
日本に勝利した蒋介石は、日本が手放し空白地となった台湾へ落ち延びた。

コミンテルンは戦後、日本と中国を共産主義国に変えて、日本を中国に取り込ませる計画だった。

ソ連スパイが日米開戦に果たした役割
冷戦史に詳しいハンガリー生まれでユダヤ人の母を持つアメリカの歴史学者ジョン・ルカーチは、「ソ連スパイが日米開戦に果たした役割」と題して、次のように断言しています。
「1941 年において、天皇および少なくとも日本政府の一部が、対米戦争回避の真摯な希望を持っていたことは、疑いない。ルーズベルトはかってホノルルでの近衛(首相)との会談を拒否したが、11 月 20 日前後には情勢は切迫しており、日本側のいわゆる『提案 B』(乙案)とアメリカ側がすでに用意していた暫定協定案はそれほど遠いものではなく、両者の妥協が可能のように見えていた。ところが 11 月 20 日と 25 日との間に、ワシントンはこの暫定協定案を日本に示さないことに決定した。それに代わって、11 月 26 に日本側に示された案(ハルノート)は、原則上は非の打ち所がないものであったが、日本政府が受諾する可能性は殆どないものであった。というのも、そ
れは日本が過去 10 年の間に獲得した全てのものを吐き出させるものだったからである。

アメリカ側がこのような急展開した動機は未だ不明瞭なところがあるが、ここに蒋介石の友人、支持者、ロビィスト、スパイなどがきわめて重要な役割を果たしていた。当時蒋介石の下にあって、ルーズベルト大統領の代表を務めていたオーエン・ラティモアが、これに関わっていたのは間違いないところである。」

ここに出てくるラティモアは、ホワイトハウスでルーズベルト大統領の中国問題担当補佐官を務めていたロークリン・カリー(ベノナ文書)の盟友です。そして、このカリーが、米政府内の強い反対を押し切って、ラティ
モアを蒋介石の顧問に任命し中国に派遣したのです。

もしこの時期に、日米交渉が妥結していたら、国共合作によって成立し抗日戦を戦っていた重慶政権が、崩壊する危険がありました。
当時、重慶のラティモアからワシントンのカリー宛に、次のような切迫した電報(11月25日付)が届いています。
「胡適(中国駐米)大使とハル国務長官との会談について、蒋介石総統と話し合いました。どうか早急に総統の(日米交渉妥結への)極めて強い反対を大統領にお伝えください。総統がこんなに興奮したのを、私は見たことがありません。対日経済制裁の緩和とか資産凍結の解除とかは、中日戦争の日本を軍事的に助けるもので、はなはだ危険な措置です。日本軍が中国に駐留するままで、対日圧力を緩和するなどということは、中国人を唖然とさせるでしょう。
-中略-
ここで中国人がアメリカに棄てられたと感じたならば、過去の援助も、未来の援助の増大も、その幻滅を償うことはできますまい。日本が外交上の勝利によって、軍事的敗北を免れるようなことがあれば、中国人のアメリカ人への信頼は地に墜ち、さしもの総統も状況を掌握できなくなるでしょう。これが私の警告です。」

このように、ソ連スパイで大統領補佐官であったワシントンのカリーと重慶のラティモアが、それぞれの役割を分担して、ルーズベルトと蒋介石に強力に働きかけ、土壇場での日米交渉妥結を、必死になって阻止したのです。これに「ハルノート」の起草者であったハリー・ホワイトが絡んできます。すなわち、日米開戦には、カリー、ラティモア、そしてホワイトというソ連ないし中共工作員の活動が、決定的に絡んでいたのです。

20 世紀の戦争を論じるとき、インテリジェンス(国家情報あるいは諜報)の分野を視野の外において、論じることは到底できません。そして、インテリジェンスの営みこそが、通常の軍事や外交のそれを超えて、戦争の主要な決定要素であり、それは戦争に至る経緯や、戦争責任の評価、戦争をめぐる歴史観そのものにもかかわり、歴史叙述においても常に大きな位置を占めます。

日教組の自虐史観教育によって、赤いモンスターが多数がうまれる。

田嶋陽子、辻元清美、今井絵理子、雨宮処凛、鈴木奈々、土井敏邦、小倉智昭、古館伊知郎、渡辺謙、坂上忍、美輪明宏、茂木健一郎、太田光、志位和夫・・・赤軍に憧れるバカ者たち。

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