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池田輝政

池田恒興と荒尾善次の娘・善応院の子。
尾張国清洲(愛知県清洲町)生まれ。
生年:永禄7.12.29(1565.1.31)
安土桃山時代の大名。
幼名は古新。
通称は三左衛門尉。
三左衛門は、姫路城の三左衛門堀(外堀川)、姫路市内の町名に三左衛門堀東の町・三左衛門堀西の町として名残がある。
諱は照政(元服してから)とも。
照政の名乗りは慶長12年(1607年)閏4月9日まで確認され、7月3日からは輝政に改名していることが確認される。

輝政は「幼い時からはきはきした性格で、成長するに従い、雄々しく逞しくなった。人となりは剛直で、下の者に臨む態度は寛容で、徳行を賞して顕彰した」と評されている(『名将言行録』)。

主君:織田信長→豊臣秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠

天正8(1580)年荒木村重の属城花熊城(神戸市)攻めに、父に従い参陣する。
天正12年小牧・長久手の戦において、羽柴秀吉に味方した父恒興と兄元助を、長久手で失う。
家督を継承し、美濃池尻城主、大垣城主となる。
天正13年秀吉から美濃岐阜城を与えられ、10万石を領する。
天正15年九州征討従軍後、羽柴の苗字を与えられる。
天正16年後陽成天皇が秀吉の聚楽亭に行幸した際、騎馬で供奉した。
このとき、豊臣の姓を受け、従四位下侍従となった。
天正18年小田原の役や奥州征討に従い、凱旋後三河吉田(豊橋市)15万2000石の城主に移封された。

豊臣秀吉の七将(しちしょう)
・福島正則(尾張清洲城主)
・加藤清正(肥後熊本城主)
・細川忠興(丹後宮津城主)
・浅野幸長(甲斐甲府城主)
・加藤嘉明(伊予松山城主)
・黒田長政(豊前中津城主)秀吉軍師・姫路藩、黒田官兵衛孝高の嫡子
・池田輝政(三河吉田城主)

文禄3(1594)年秀吉の命により徳川家康の娘・督姫(良正院)を継室とした。
このことが、家康から優遇され、池田家繁栄の基盤を築く背景となる。
家康の娘・督姫を娶った際、伏見の徳川屋敷を訪れた輝政は長久手の戦いで父・恒興を討った永井直勝を召し出し、その最期を語らせた。しかし、直勝が5,000石の身上だと知ると輝政は不機嫌になり「父の首はたったの5,000石か」と嘆息したという(『甲子夜話』)。
この後、輝政は家康に直勝への加増を言上をして、直勝は1万石の大名になった。後に永井家は7万2,000石を拝領する事になった。

なお、正室は中川清秀の娘・糸姫(大義院)である。他に側室ふたり 満願院、安藤氏。

利隆、政虎、輝高、利政、茶々姫、忠継、忠雄、輝澄、政綱、孝勝院、輝興ら11男3女の子をもうける。

慶長5(1600)年関ケ原戦には東軍に属し、織田秀信のこもる岐阜城を攻略。
決戦には先陣を務めた。
岐阜城攻めで、福島正則と激しい功名争いを演じたが、実際には一番乗りの手柄を上げたにも関わらず、あっさりと功を譲って、同時に城を落としたことにしたと伝わる。
戦後その功により播磨姫路52万石に封ぜられた。
同時に、弟長吉が因幡鳥取6万石を与えられる。
姫路入城後、城郭の大規模な改築に着手した。
慶長8年家康が征夷大将軍就任に参内したとき、右近衛少将に昇進し、家康の乗輿に従った。
慶長14年西国の大型船が禁止されたが、輝政のみ許可された。
輝政優遇の一事例である。
慶長17年正四位下参議に叙任され、松平姓を与えられた。10月17日 正三位、参議。
世上、姫路宰相百万石、西国将軍などと称された。
輝政が52万石、弟長吉が6万石、慶長8年に次男忠継が備前28万石、同15年に3男忠雄が淡路6万石を与えられ、一族の合計所領高が92万石にのぼることによる。
<参考文献>橋本政次『姫路城史』(復刻.1973)

明治43年(1910年)11月16日 贈従二位。

池田輝政は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑に仕えた。

初陣は15歳のときで、荒木村重の反乱に加わった父と兄とともに信長に仕え、小牧・長久手の戦いや本能寺の変などに参加した。

秀吉に仕えた後は、九州平定や小田原征伐、朝鮮出兵などに従軍し、功績を挙げた。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、家康の婿殿となった。

関ヶ原の戦い後、播磨国姫路に移封され、100万石の大名となった。姫路城を大規模に改修し、現在の姿に近づけた。

輝政は沈毅で寡欲な性格で、家康からも信頼された。文化や教育にも熱心で、藩校を設立したり、茶道や歌道にも親しんだ。

慶長18年(1613年)、50歳で死去した。跡を長男の光政が継いだ。光政は家康の孫で、徳川将軍家との縁戚関係を強めた。

国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。
シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれる姫路城。白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5重6階地下1階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴です。
今、私たちが目にしている姫路城の大天守は、慶長14年(1609年)に建築されたもの。
400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残しています。
姫路城公式サイト:トップページ (himeji.lg.jp)

毎日午後8時00分と午後9時00分からそれぞれ15分間、季節に応じた特別演出を実施しています。
8月の特別演出プログラムのカラー
メインカラー:淡いブルーから淡いグリーン
アクセントカラー:イエロー
季節のイメージ:山・空・ひまわり

夏の特別公開
期間
令和5年8月11日(金曜日・祝日)から9月24日(日曜日)まで
公開場所
乾小天守・イの渡櫓・ロの渡櫓・ハの渡櫓・東小天守・折廻り櫓

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