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姫路市民にも知られていない安志藩

播磨国姫路藩が巨大であったため、北西に有った小藩は知名度が低い
姫路市民にも馴染みのある雪彦山へ行く通過地点である。

安志藩陣屋
安志藩(あんじはん)は、播磨国宍粟郡周辺を領有した譜代大名の藩。
藩庁として安志(兵庫県姫路市安富町安志)に安志陣屋が置かれた。

安志藩は小笠原秀政の長男・忠脩の家系であり、本来は小笠原家の嫡流である。
しかし、忠脩が大坂の陣で戦死した際、遺児長次が幼年であったため、忠脩の弟・忠真が相続し、忠真の家系が小笠原家の宗家に据えられた。
長次は忠真の下で養育された。
10歳を越えると播磨国龍野藩6万石に封じられ、翌年元服、数年後に豊前中津藩8万石に加増移封となる。

享保元年(1716年)9月に豊前中津藩主小笠原氏長が六歳で没し、無嗣廃絶となるが、
祖先功労のゆえをもって同年10月その弟小笠原長興は一万石を与えられ、安志に移されて立藩した(恩栄録・廃絶録)。

陣屋は安志村五庵に置かれ、幕末に至った。
藩主は長興―長逵―長為―長禎―長武―棟幹(貞幹)―小笠原貞孚と続きました(「小笠原家譜」東京大学史料編纂所蔵)。
藩主家は明治維新後には華族に列し、明治17年(1884年)に子爵となった。

明治4年(1871年)、廃藩置県により安志県となった。
その後、姫路県・飾磨県を経て兵庫県に編入された。
姫路県・飾磨県はともに兵庫県となり、安志は姫路市北西に位置する。



雪彦山登山

「英彦山」「弥彦山」とともに日本三彦山のひとつ「雪彦山」(せっぴこさん)
修験道(行者堂跡地は空地になっています)の地で修行

登山装備も軽いザックも無い大昔の行者は一流のクライマーですね。

播州姫路の北西に位置する登山で知られる山ですが単体の山の名ではなく、総称になっています。
登るのが楽しい山なので早朝に到着しないと駐車場には入れない。

地元なら
国道29号線→県道<23号><430号>→千畳平線利用
遠方東からなら
中国道の夢前スマートインターチェンジ
遠方西からなら
中国道の山崎インターチェンジ 35分。

姫路市安富町安志(ヤストミチョウアンジ)「安志藩陣屋跡」から東河内安富線<県道23号→430号>を北方向へ
安富町関「バンガロー雪彦山」Pへ

和式トイレが苦手な人は、現着する前に洋式トイレが有る店などを利用しましょう。

雪彦山は比較的難易度の高い山ですが、姫路市の地元であれば小学生でも登山可能な山です。
ハイキングコースはわずか6キロメートルですが、標高差は700メートル弱もあります。
クライマーが楽しめる高難易度ルートも有る。登攀技術を試す場。

岩場や鎖場がありスリップしやすいので、登山靴を履くことが推奨されています。冬山ではレイヤー、アイゼンと手袋、ザイル(ロープ)と安全帯が必須。

雪山登山の難易度は、残雪期、春期、初冬期、厳冬期の順でレベルが上がるため、雪山登山を初めて行う方は、まずは残雪期や春期から始めて、初冬期、厳冬期とステップアップしていくとよいでしょう。
冬山登山は熟練した登山家でも遭難の危険が高まります。

雪彦山 恐怖の915m 7時間半(ハイキングコースは4時間)
登山口から大天井岳を越えて地蔵岳へ
ジャンクションピーク、(通称)鉾立山、雪彦山、地蔵岳、峰山、鹿ヶ壺

ナメ滝、虹ヶ滝
出雲岩、覗岩、セリ岩、天狗岩、不動岩、展望岩
賀野神社、大曲、出合、雪彦川第二堰堤階段

秘湯「雪彦温泉」は10月に閉館されました。残念ヤマサ蒲鉾さん。

名所:セリ岩と覗き岩
雪彦名所の一つ「セリ岩」は、行者堂跡を過ぎて急峻な岩道を左から回りこみながら登った後、幅が40~50cmほどの割れ目しかない大きな背割り岩です。横には「覗き岩」もあり、絶景とスリルを味わってください。

地蔵岳正面壁 大ジェードルライン
雪彦山の地蔵岳正面壁大ジェードルラインは、遠くからでも分かる顕著なクラックを登っていくルートです。
出だしはトラバースし、右に回りこんでから左上するラインが登攀後にピンで読めますが、トラバースの後、強引に直上していきます。落ちたら大墜落の所です。
正面壁のルートと合流し、登頂します。

地蔵岳東陵すべり台
地蔵岳東稜のマルチピッチクライミングのルート「すべり台」は、雪彦山の登山口から約30分ほどで取り付きに到着する場所です。取り付きから10mほど下からスタートし、支点に沿って登ります。垂直なので滑るとおさらばへ
左はクラック、中央は10c

地蔵岳東陵取付きからすべり台、大凹角を経て地蔵岳ピークを目指すルートもあります。

クライミング初心者は、地蔵岳東稜ノーマルルートA0がオススメ。
A0はフリークライミングでは違反。

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